9. 邂逅
「はぁっ、はぁっ、取れないっ……」
帝国領西部を流れる小川には、何かに取り憑かれたかのように必死に手を清めようとする少年の姿があった。
ライバルであり友でもあった大切な存在を葬り去ってしまったユウシは、数日間森を彷徨ってこの小川へと辿り着いていたのだ。
手についた血は既に流れ落ちていても、目に焼きついた鮮やかな赤はいつまでも彼を苦しめ続けた。
「こうなったら……」
ユウシはEXカリバーを起動し、光の刃で自らの穢れた手首を切り落とそうと考えた。
しかし、剣を持つ手が震えてどうすることもできない。己を斬る勇気すらない自分を嫌悪し、絶望の淵に立たされて彼は泣き崩れた。
そんな彼の姿を、岩陰に身を潜めながら見る者たちがいた。
「おい、あれを見てみろよ」
「勇者の剣を持っているが、何だか隙だらけだぜ?」
「あれなら勝てそうだな…」
小川の流域一帯を縄張りにしている鬼人たちだ。
「あの人間を倒したら、俺たちは勇者殺しとして魔族の英雄になれるぞ」
「やっちまおう!」
彼らは運良く目の前に現れた絶好の獲物に歓喜していた。
「いくぞ!」
掛け声とともに岩陰から飛び出し、3人の鬼人たちはユウシを取り囲む。
「そこの勇者小僧!」
「お命頂戴するぜぇっ!」
「魔族の力、見せてやる」
鬼人たちは棍棒、槍、鉈と、それぞれが武器を構えてユウシへと襲い掛かった。
「丁度、自分で死ねずに困ってたところなんだ。煮るなり焼くなり好きにすればいい」
彼は両手を広げ、鬼人たちに身を差し出した。意外な反応に戸惑いつつも、彼らはユウシの命を奪いにかかる……
「そうはさせないっ!」
しかし、ユウシの思惑通りにはいかず、折角自分を罰してくれそうだった鬼人たちは突然現れた少女が振るう光の刃によって皆斬り伏せられてしまった。
「リリカ……」
「ユウシ、こんなところで何やってるの⁉︎」
聖剣を納めると、彼女はユウシに駆け寄り頬を強く平手打ちした。
「ユウシが死んでもヒロは帰ってこない。あなたもわかっているはずよ?」
「だけど、俺はこの手で人を、大切な友を殺してしまったんだ。こんな罪人に生きている価値なんて……」
今度は平手ではなく握り締めた拳がユウシの頬を打った。
「自分だけをそんなに責めないでっ!」
一筋の涙を流し、少女は肩を震わせる。
「あなたは私を守ろうとしてくれた。私がもっと、自分の身を守れるくらいに強ければ、あなたに手を穢させることもなかった。彼を殺してしまったのは私のせいでもあるの……」
ヒロを殺してしまった……そう思い苦しんでいたのはユウシだけではなかった。
幼い頃より苦楽を共にしながら切磋琢磨してきた特別な存在を自分の未熟さ故に失ってしまった。その事実は2人の心に重くのしかかっていた。
「一緒に戻ろう? 帝国に帰って、ありのままを話そう。そして私たちは、生きて罪を償うの」
「私たち? リリカの手は今もまだ綺麗じゃないか! 俺の手を見ろよ。洗っても洗っても血濡れたままなんだっ」
ユウシの両手には、まるで鳥人の巣での悲劇などなかったかのように僅かな血すらも残っていないが、彼の目にはそうは映っていなかった。
「君は人を、友を直接殺したことがないからそんなことが言えるんだよ。俺の気持ちなんてわからない癖に、知ったような口を利くなっ!」
リリカは、今のユウシには最早何を言っても伝わらないのだと悟った。
「行けよっ! もう君の顔なんて見たくないんだ!
君の顔を見ると……うあああっ!」
泣き崩れ、拳を河原に叩きつけるユウシ。彼女を見るたびに、3人で過ごした日々、今はもう戻らない幸せが思い出されて胸が苦しくなった。
「私が殺してしまったのは、ヒロだけじゃなかったのね……」
リリカは涙を拭うと、足早に彼の元を去った。ユウシの泣く声を背に受けながら、一度も振り返らずに東へと走った。
* * *
「悲しい血の匂いがする。これは、あなたがやったの?」
日が暮れ始めた頃、1人河原に取り残されたユウシの元へ魔族の少女がやってきた。
リリカが倒した鬼人たちの骸の側で座り込んだまま虚空を眺める少年に問いかける。
「……俺が、殺した」
「今、はっきりと言ったわね? てっきり君が鳥人たちの救世主なのかと思ったけど、残念。人違いか」
ユウシの耳には彼女の声など届いていなかったが、自分の罪を責めるあまり口から溢れた言葉はミスティの逆鱗に触れてしまった。
怒りに震えながらミスティは魔導書を開く。
「最近はちょっと強い呪文を使い過ぎたわね。こいつを殺せるような呪文は……これだ!」
多種多様な呪文を操るミスティだが、どれも一度詠唱すると7日間は使えなくなるという制約があった。
辺りを見回し、小石が沢山転がっていることに気付いた彼女は、それらを用いて敵を葬れる呪文を選択する。
「飛翔石」
河原の石たちは彼女の言霊に反応するかのように音を立てて震え出し、空中に浮かび上がった。そして、右手に持つ魔杖を前は向けると、ユウシの体目掛けて一斉に飛来する。
無抵抗のまま、弾丸の如く襲い来る小石の群れに全身を打ちつけられた彼は、地面に倒れ込み動けなくなってしまった。
「……なんだ。心はもう死んだも同然だったようね。私が始末しなくても、いずれは野垂れ死んでたか」
とどめを刺すことも考えたが、命乞いすらしない廃人のような状態の彼を見ると、不思議とそんな気にならなかった。
ミスティは鬼人たちの墓を作って弔うと、天を仰いで倒れたまま動かないユウシをその場に残し、どこかへと去って行った。