風の修行
その土曜日、三人は近くの谷川の大きな石の上に立った。山には新緑が芽を吹いていて、五月の爽やかな風が頬を撫でて心地よかった。
「この谷は常に風が吹いておる。まずは、この風を動かすことから始めよう。訓練で大事なことは、風を感じ、風と友達になることだ。そうなれば、こちらの言うことを聞いてくれる。見本を見せよう」
源爺は、岩の上にあぐらをかいて座ると、両手の指を組んで、目を閉じて瞑想するような格好になった。
不意に、静かに流れていた風が、急に源爺の周りを回りだし、彼の服や髪の毛が風に揺れ出した。風の勢いが段々と増して、木の葉や砂塵を巻き上げると、風の渦巻きがはっきりと見えた。
更に、風の渦巻きが強く大きくなると、木々が騒めいて、近くにいた鳥たちが一斉に羽音をたてて飛び立っていった。次の瞬間、風は暴風となり、辺りの物を飲み込み、凄まじい竜巻となって、谷の木々を薙ぎ倒さんばかりに揺らした。
神一と真王は、吹き飛ばされそうになるのを、必死で岩にしがみ付くしかなかった。
源爺が目を開けると、竜巻は弱まり消えて、元の緩やかな風に戻っていった。
「どうだ、これが風の技だ」
二人は、驚きの目で源爺の顔を見つめた。
そして、神一と真王の修行が始まったが、一日目は、何を得るでもなく終わった。
「そう簡単に出来るものではない。わしは、風を動かすまで三年はかかったからな」
「三年も……」
源爺の言葉に、二人はガックリと肩を落とした。
精神を集中させることは体力の消耗が激しくて、二人は食事を済ますと、倒れるように布団の上に転がった。
それから二人は、時間を見つけては我が心を風に集中させた。学校の行き帰りも、駆けながら風を意識しての修行の場となった。
「真王、何か感じる? 僕は全然わからん」
神一が、気になって聞いてみた。一緒に修行をする以上、彼女はライバルでもあった。
「分からんけど、頑張る!」
まだ十歳前後の二人には、難しい事は分からなかったが、純真さだけはあった。風の事が頭から離れず、夢にまで見るような生活が数カ月続いて、夏休みとなった。
毎日、朝から晩まで修行に明け暮れていた、ある日の事。突然、真王の周りに変化が起きた。
僅かだが、風が纏わりだして、彼女のおかっぱ頭の髪を揺らし始めたのだ。そして、次の日には、風は唸りを上げて舞い出したのである。
神一は、年下の真王に先を越された事が悔しかった。彼女には、帯電体質を何とかしたいという、切実な目標があったから、その差が出たのかも知れないと神一は思った。
神一の心に火が付いて顔つきが変わった。そして、数日経つと、神一の心にも風を感じるようになり、風と話しが出来るようになった。風よ回れと念じると、神一の周りに風が回転をはじめ、更に念じると、小さなつむじ風が巻き上がったのである。
神一は、初めて風を動かせた事に嬉しさを隠せなかったが、同時に激しい疲労感に襲われた。
「神ちゃんやったね」
「真王が出来たから、僕にも出来る気がした。お前のお陰だよ」
二人は、不可能と思われた事が、自分達にも出来た事が嬉しくて、抱き合って喜びたい気持ちになったが、彼女の帯電体質がそれを許さなかった。
「ほう、こいつは凄いな。血は争えんという事か……」
二人を見ていた源爺が、驚きを隠せないふうに呟いた。
「よし、今の感覚を忘れるな。あとは、修練あるのみだ!」
二人は、疲れを知らない年齢だったが、朝から晩までの修行は、さすがに、疲れもピークに達していた。源爺は彼らの疲れを考え、一日休みを取った。
そして次の日から、新たな訓練が始まった。
「次は、飛行術を教えよう。飛行と言っても空を飛べるわけじゃないぞ。風に乗ってジャンプするんだが、問題は着地だ。これをマスターしておかないと大怪我をしてしまうからな」
源爺の指示で、二人は、高さ五メートルの崖の上からジャンプする訓練が始まった。ジャンプして風に乗って、ゆっくり降りる、着地の練習である。
下は深い川なので怪我をする事は無かったが、動きながら風を動かす技は、一段ランクが上がり、座して精神集中する事とは訳が違った。
神一と真王は、代わる代わる石の上からジャンプしたが、普通に水面にドボンと落ちて、引力を証明するだけだった。夏の事で、外から見れば水遊びのようにも見えたが、二人の顔は真剣だった。
着地寸前に上昇気流を起こし、自分の身体を浮かせる訓練を重ねるうち、彼らは、体勢を崩しながらも、着水前に身体がふわっと浮くようになった。今度も真王が一日早かった。 そして、夏休みが終わる頃には、数十メートル自力で浮き上がり、降下して、ゆっくり着地する事が出来るまでになっていた。
二人の成長の速さに、源爺も舌を巻いた。
「数カ月で、ここまで出来るとは大したもんだ。最後に、風の無いところで、風を使う訓練がある。これを習得すれば、いつでもどこでも風を使うことが出来る。その為には、風を作りだす訓練が必要だ。
それから、最終段階になると、大気を動かして、雨や雷を操ることが出来るが、それはまた次の話だ。お前たちの力はまだまだ未熟だ。今後とも修練を怠るんじゃないぞ」
頷く幼い二人の逞しい顔が、夕日に照らされて赤く染まった。この時、二人は修行の果てに何があるのか、又、自分達がやろうとしている事は何なのかもよく分かっていなかった。