興味本位でパチンコ屋に行ったら遊びじゃなかった話。
この話はノンフィクションです。実在の人物や団体などど関係あります。
僕はギャンブルをやらないけれど学生時代にパチンコ屋へ行ったことがある。
そういうのが大好きな知り合いに連れられてパチンコ台の席に着き、千円札を機械に挿入する。するとちょっとばかりのコインが出てきた。今思えばあれはスロットってやつだから正確にはパチンコをやったことないのだがそれはご愛敬。
出てきたコインを機械に詰め込んで楽しむわけなのだが、僕はどんくさいのでコインを床に落としてしまい誰も気にするわけでないだろうに慌ててそれらを拾い集めた。コインを入れるケースがすぐそばに用意されているというのに、耳鳴りのするような店内の騒音と初めての緊張感から気が付かずにこんなことになってしまった。そのあたりで自分が何をしに来たのかわからなくなってきた。千円札をシュレッダーにかけたような気分、そしてコインを床にぶちまけ羞恥心がつのる。ここまで楽しいと思えることが何一つなく、本音を言えば帰りたいなと考え始めていた。
大衆の前でかき集めた鉄の板切れ共を投入口へ一枚一枚丁寧に入れていく。僕は一枚一枚がなにかアクションが起きるわけでもなく上から下へと落ちていく様を眺めてさらに高揚感を失っていく。これは何か、何をしているのか。周囲はうるさいし、照明はまぶしいしで歌が苦手な僕にとってカラオケも好きじゃなかったが、こいつはそれよりもはるかに理解のできない世界であることを確認した。カラオケはうるさいけれど照明が暗いから体力にもよるが眠ることができた。ここはそれができない。快適なイスでもないし背もたれもない。一応、あるにはあるがあまりにも小さい背もたれに存在価値を汲み取れない。
辛くはないが、楽しくもないコイン投入を続けていくうちに僕はあることに気が付いた。隣に座る知り合いの表情が全くの無であることを。そして周囲に座るおじさんおばさんの表情もまたそれであることに。感情を読み取れないどころかそのものを無くしてコインの消費に励む彼らを見て僕は一瞬の不安感に襲われた。
今でもそうだが当時はさらに人生経験が浅かったわけで、そんな世界に突然放り込まれて恐怖しないほうがおかしいのではないだろうか。興味本位で来るべき場所ではなかったのだと後悔すら感じた。
やがて千円分のコインを消費し、当時のバイトの時給以上の消費をしたところでふと腕時計に目をやる。店内に入ってから五分しか経っていなかった。精神を消耗しただけのあの時間はたかが五分でしかなかったのだ。隣の知り合いは次々にお金を機械へ投入しており、後になって知ったのだがコインが終わり、完全にやる気を失った僕が席を立って店内をただただぶらぶらしているたったの十五分の間で五千円をすったという。にわかには信じられない出来事だ。五千円の価値は相当なものであり、それだけあれば一週間分の食費になるだろう。それがこの十五分で無となり得るものが何一つ存在しない経験の一つになったのだ。やがて僕らは店を出ると、知り合いは乾いた笑いと共に使った金額を僕に告げ、その日彼は一銭も使うことはなかった。
時間とお金以上にその知り合いには失ったものが大きいような気がして、僕はこれ以降ギャンブル、とりわけパチンコには興味の一つも持たなくなった。
これは僕の、ああはなるまいと心に決めた学生時代の記憶の一つである。お金は大事だよ。
知り合いはその後、あそこでさらに五千円ぶっこんでいたら上手くいっただろう旨の話をしていたので余計怖かった。
場所は秋葉原のパチンコ屋でした。店名は覚えてない。こうして話のネタになったのだから少なくとも僕にとっていい経験になったのは間違いないです。たぶん二度と行かないけれど。