CGD5-①
暗闇の中に独り取り残されているような感覚。しかし、すぐに視界は開け、私は気付くと草原の真ん中に佇んでいた。
草木の匂いが鼻をかすめる。それは実にリアルな感覚だった。もし、何も知らない人間がこの匂いを嗅いだのなら、ここが本当の草原であると一切の疑いを持つことはなかっただろう。
『全機器の状態に問題がないことが確認できました。これより演習を開始します』
聞きなじみのあまりない女性の声が脳内に直接鳴り響く。すると、気付くとまた私は見覚えのない場所にいた。そこは草原ではなく、廃墟と化した人間の都市であった。
「まーちゃん」
「あずさ……?」
今度は耳によく馴染む声が私の鼓膜を振るわせる。すると、体内の血液が全身にくまなく行き渡るかのように、私の意識は急速に鮮明になっていった。
目の前にいるのは、エーテルを殺す武器、アーチェリーをその手に携えたあずさだ。そして、私の視界の遥か向こうには、各々の武装を携え、猛烈な勢いで駆けていく少女たちの姿があった。
呆けている場合ではないことは明白だ。私は感覚の行き届いた眼球をぐるりと回し、自身の周りの状況を把握することに努める。
「初めてのVRはなかなか慣れないよね。わたしも最初はそうだったよ」
「ごめん、状況把握に時間がかかった。でももう大丈夫。みんなに遅れをとるわけにはいかないわ」
しかし、そう言う私をあずさがたしなめる。
「もう、そうやってすぐ無理する。最初からできる人なんていないんだから、ゆっくり慣れていけばいいと思うけどな」
「そうかもしれないけど、実戦はそう悠長なことも言っていられないわ」
「はあ……。まあ、それがまーちゃんらしくもあるけどね」
あずさは少しあきれた様子だが、守られる側の私としてはそれぐらいの心算でいる方がいいと個人的には思う。いつ敵に狙われるか分かったものではないんだ。警戒しすぎて悪いことはないだろう。
『指揮官』
不意に無線から哀華さんの声が流れる。このタイミングでかかってくるということは、全員の配置が完了したということだろう。
『準備できた?』
『問題ないわ。前線には既にかなりの数のエーテルが確認できる。数は二十といったところね』
『いきなりヘビーな数ね。哀華さんのところは?』
『パラパラと五体ぐらいね。一箇所に集まる前に片付けるわ』
『無理しないでね。佑紀乃さんとうまく連携して』
『言われなくても分かってるわよ。あんたも早く魔力石寄越しなさいよね』
『分かってる』
相変わらずの哀華節だが、こんな時にいちいち彼女の言葉の刺々しさを気にしている暇はない。
それにしてもいきなり二十体とは骨が折れる。哀華さんのところも今は五体だが、いずれもっと増えることは間違いない。これは、早めにプランを実行に移した方がよさそうだ。
「あずさ」
「任せて」
私は今しがた生成した魔力石十個をあずさに手渡す。あずさが魔術を行使し、皆に魔力石を転送していく。本来なら私がやるべき役割をあずさに負わせてしまっていることに申し訳なさを感じながらも、その負担を少しでも軽くする為の本作戦であるわけであり、余計なことを考えるよりも実践に移す方が何倍もマシであることは言わずもがなだ。
「あずさ行こう!」
「う、うん……」
魔力石を転送し終わるのを見計らい、私はあずさに合図を出す。あずさの躊躇いがちな返答は、昨日の作戦会議で見せたように、彼女が本作戦を全面的に支持していないことを示しているのだろう……。
時刻は遡ること、丸一日前。第三分隊が私を指揮官に招いて以降初めてのVR訓練を翌日に控え、私たちは作戦の確認の為に作戦室に集まっていた。
そこで開かれた作戦会議で、私は開口一番あることを提案したのだ。
「明日の訓練では、これまでのような指揮官が後方に控える通常のプランαではなく、積極的に私が前線に出るプランβを提案するわ」
すると、そんな私に対し哀華さんがこう尋ねた。
「作戦の意図は何?」
「あずさに魔力石転送だけでなく積極的に攻撃に参加させる為よ。私が転送できないせいであずさは魔力石の転送にかかりっきりになっちゃってるから、一人攻撃に参加できないだけで大きな戦力ダウンになってしまっているのはみんなも分かっていることだと思う。でも魔力石転送の距離を短くすれば、あずさが戦闘に参加する時間も増える。攻撃できる人間が一人でも増えれば、作戦はより迅速に行えるはずよ」
「でもそれだと真昼ちゃんが危険すぎるんじゃない? 作戦の狙いはよくわかるけど、前に出れば出るほどエーテルに狙われる可能性が高まるのは間違いないよ」
守さんは厳しい表情で私に問いかける。恐らく、彼女は私の覚悟のほどを試しているのだろう。だがそれならば、私は動じる必要はない。なぜなら私はこの作戦を確固たる意志の元提案しているのだから。
私は皆に対しこう言った。
「確かに守さんのおっしゃる通り危険性は非常に高まるわ。なので、中衛の二人には私の守りもある程度はお願いしたいと思っているわ。負担が増えるのは申し訳ないけど、後ろに控えているなんて私にはできないから」
すると、それに対して哀華さんがこう言った。
「ま、遠くでちょろちょろ逃げ回られるより、近くにいる方が楽で助かるわ」
それは実に哀華さんらしい強気な言葉だった。普段は高圧的でとっつきづらく思うことも多いが、こういう時の彼女の言葉は頼りになると私は思う。
「そうだねぇ、後衛とか中衛とか明確に分けないといけないルールなんてないし、三人の負担が分散されるのはいいことなんじゃない?」
一方、同じく中衛の佑紀乃さんも前向きな様子でそう言ってくれる。
だが、前向きな皆の様子に反し、このプランの当事者であるあずさは表情を曇らせていた。
しかし、私はあずさのこの反応を実は予見していた。前に出れば、私が死ぬ可能性が高まることは明白だ。そして私を守るあずさの負担が増すこともまた然り。あずさは私を守ることに特にこだわっている。にも関わらず、私自ら危険に足を踏み出そうとしていることに彼女が納得できないのは当然と言えた。
沈黙したままのあずさに対し、守さんが尋ねた。
「あずさちゃんはこのプランには反対?」
「わ、わたしは……」
あずさは、皆が揃うこの場では、直接的には「まーちゃんを危険に晒したくないから」とは言わない。一人を贔屓すれば、それがチームの崩壊に繋がるとわかっているからだ。
「それが最善とは、今は思えません……。もっと、色んな作戦を模索してもいいんじゃないかと、わたしは思います」
それでも尚あずさは抵抗を見せる。あずさは遠慮がちにではあるが、時折私の表情を伺っている。すると、そんなあずさに対し哀華さんが腕組みをしたままこう吐き捨てた。
「随分と弱腰ね。こんなんじゃ先が思いやられるわ」
哀華さんがそう言う気持ちも分かるし、そもそもこの事態を招いたのは私自身の所為だ。にも関わらず、私は哀華さんにあずさを悪く言われて、正直内心ではムッとしていた。我ながらなんと自分勝手なのか。すると、それに対しすぐさま守さんがこう言ってくれた。
「哀華ちゃん、負担が分散されるとはいっても、基本的に真昼ちゃんを守るのは今まで通りあずさちゃんなんだからそういう言い方は駄目だよ」
諭すような口調の守さんに対し、哀華さんは「うっさいわね……」と毒づいたが、それ以上あずさのことを悪く言うことはなかった。




