プロローグ2/2
……思えば、あおいが死んだのも、2年前のちょうど今ぐらいの、肌を突き刺すような寒さの季節だった。
あの日、私は任務へと向かうあおいの後ろ姿をこの家から見送った。あの日の彼女の姿を忘れることは生涯ないと私は言い切れる。
あおいはその日の任務中、エーテルの大群に襲われ命を落としたらしい。「らしい」といったのは、あおいが襲われた瞬間を目撃した者がおらず(同じ分隊の他のメンバーも全員死亡した)、またあおいの遺体も現場には残されていなかった為だ。
あとで別の隊が現場に急行したところ、他の隊員の遺体が転がっていた付近に、あおいのものと思しき血がべっとりとこびり付いていた刀(彼女の愛用していた武器らしい)が落ちていたことから、彼女は死亡したと判断されたらしかった。
2年前のその戦いでは、あおいの他にも、今の私と同い年くらいの若い魔術師たちが悉くエーテルに惨殺された。そして今も、人類はエーテルの脅威に晒され続けており、日々やつらによる被害は出続けているのだ。
人類は20年間に渡り甚大な被害を出しながらも、エーテルについてそこまで詳しいことを把握できたわけではなかった。少なくとも今確実に分かっていることは、やつらは「人間を殺す」為にこの地球にやって来たということ、そして、やつらが羽岡あおいを殺したということだけであった。
……と、またあれこれと考え込んでしまったが、今はそれより、私の為にご飯を作ってくれているあずさを手伝うのが先決だ。私は気を取り直し、あずさを追って階下へと降りていった。
「あずさ、手伝うよ」
「ありがとう。でも大丈夫。まーちゃんは座って待ってて」
「いやいや、そうは言っても、学校も行って放課後はロイエの訓練もあって毎日忙しいんだし、そんなに無理しなくていいんだよ?」
私はそう言いながらあずさの肩を揉んだ。ちなみに、姉であるあおいと同様、あずさも今はロイエに所属している。
あずさを元気づけるのは、私の「義務」だ。何よりも優先すると私は心に決めている。とは言っても、義務感から嫌々やっているのかと言ったら当然そんなことはない。あずさにとって私が心の拠り所であるのと同時に、私にとってもあずさは心の支えであり、生涯をかけて守りたいと思える存在だ。どれほどの月日が経っても、そこには少しの揺らぎもない。
「あ、まーちゃん、うま、い、ね……じゃなくて、訓練は大変だけど、『まーちゃんを守るため』だから、全然苦じゃないんだよ。だから心配しないで」
私は、私を守ると言ったあずさの言葉に思わずドキッとしてしまう。私は自身の動揺を悟られぬよう、平静を装って尋ねた。
「私ってそんなに貧弱そうに見えるの?」
「うーん、それなりには。まーちゃん運動とか全然しないし、体力なさそう」
「ほ、ほら、私って高等遊民じゃん?」
「じゃん? って言われてもなぁ……体力ないと、エーテルに襲われても逃げられないよ」
心底心配そうなあずさの顔に、私は肩を落とすしかない。
「ま、まあ、それはそうだけど、守られるだけってのは……」
「まーちゃんはそれでいいの。まーちゃんにはいつも助けてもらってるし、その恩返しってことで」
ね? と言いながらあずさはウインクを向けてくる。それはまるで、一瞬で恋に落ちてしまってもおかしくないほど愛らしい仕草だった。それを無自覚にやってくるのだから、相変わらずこの子はずるい。
それからあずさは私を座らせると、料理に再び取り掛かった。ちなみにあずさの料理は美味しい。少なくとも私が作るのよりは数倍。できることなら彼女を嫁にしたいぐらいである。
キッチンに立つあずさを見て、私はふと懐かしい光景を思い出していた。
私は今、一人でダイニングテーブルに腰掛けているが、かつては私は一人ではなく、あずさと二人で椅子に座り料理ができるのを今か今かと待ち望んでいた。
その光景では、料理を作っていたのはあずさではなくあおいだった。彼女はチャームポイントであるポニーテールを楽し気に揺れさせ、私たちの料理を作っていたのを、私は今でも鮮明に覚えている。
あおいは私よりも歳は2つ上だった。あずさにとっては母親と等価かそれ以上の姉であり、私にとっては憧れで大好きな先輩だった。羽岡姉妹には両親はおらず、あおいがあずさの母親代わりだったのだ。
そして、彼女は戦いにおいても非常に優秀だった。魔術を駆使し、人間に牙を剥き続けるエーテルとの戦いの最前線に立ち、やつらと互角以上に渡り合った。そんな彼女の活躍は人々に希望を与えるには十分だった。
人類はついにエーテルに勝利できるかもしれない。そう思えるくらい、彼女の戦闘力は桁外れだったのだ。
しかし、人々の思いが成就することはなかった。
あおいは死んだ。あまりにもあっさり。人々は嘆き悲しみ、絶望した。だけどそれは、彼ら自身を救ってくれる都合の良い「救世主」を失ったというだけのことだ。
自分たちを助けてくれる存在を失ってさぞ辛かろう。でも、そんなこと私の知ったところではない。私やあずさは別に救世主なんていらなかった。私たちはただ、あおいといつまでも一緒にいたかっただけなんだ。結局のところ、「羽岡あおい」を失ったのは、この世界で私たちだけだったのだ。
「まーちゃん? 大丈夫?」
「……あ、ご、ごめん」
恐らく、また嫌なことを思い出して険しい表情をしていたのだろう。あずさが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
あずさが私を抱きしめる時は、決まって心に何かしらの不安がある時だ。それが学校でのことなのか、ロイエでの活動のことなのかは分からないが、少なくとも今のあずさをこれ以上不安がらせることはすべきではない。だから私は、努めて笑顔を作って言った。
「ごめん、ちょっと考え事してて」
「考え事? 何か悩んでいることでもあるの?」
「大したことじゃないわよ。そろそろ期末試験だから、ちゃんと勉強しとかないとって思っただけよ」
「う、そ、そう言えばそうだったね……」
ちなみに言うと、あずさは数学がやたらと苦手だ。数学以外なら平均以上の点数が取れるのに、数学が入るだけでギリギリのラインまで落ち込んでしまう。
「でも、まーちゃんは頭良いからいいよね……」
「私はちゃんと勉強しているからね。試験の前日の夜中になって急に泣きながら電話してくるような計画性の無い子とは訳が違うのです」
「ぐさっ……」
項垂れるあずさと、ない胸を張る私。
まあ、実際はあずさはロイエの活動で日夜エーテルと戦っているから時間がないわけなのだろうけど、こう毎回私を頼りにされても困るので釘を刺しておくのは間違いではあるまい。
実際この子は忙しくなくたって大して勉強なんてしないのだし、そんなに不安に思うならたまには勉強をするべきなんだ。こちとら一生懸命授業中も寝ないでノートを取っているのに、そう簡単にコピーを取られた日にゃ納得いかないにもほどが……って、何を私はしょうもないことを愚痴っているんだ。
「まーちゃーん……」
「う……」
さっきから言っているように、この子は本当にずるい。そんな捨てられた子犬みたいに切なそうな瞳で見つめながら迫られたら、助けない方が悪いことをしているみたいに感じられちゃうじゃないか……。
かくして私はあっさり彼女に屈し、大げさにため息をつきながらこう言った。
「分かったわよ、勉強は見てあげるから、そんな泣きそうな顔しなさんな……」
「ほ、本当!? あ、ありがとう! 今回もほとんどノート取れてなくて、どうしようかと思ってたところなんだよ。ホントにまーちゃんは頼りになるね!」
「はいはい。分かったから、とりあえずご飯食べようよ」
私は先刻あずさが作ってくれたクリームコロッケたちを指さしながらそう言った。
「あ、すっかり忘れてた。冷める前に食べよう」
「うん。そうだ、あずさ」
「ん? なに?」
「ありがとう。いつもご飯作ってくれて、本当に助かるよ」
私がそうお礼を言うと、あずさは笑顔を弾けさせた。
もし、あおいがここにいたとしたら、彼女は間違いなくあずさのことを抱きしめていただろう。二人はそれほどまでに仲のいい姉妹だった。姉妹のいない私にとって、それは羨ましいぐらいの関係だった。でも、今は……。
ええい、駄目だ駄目だ。今日は特に感傷に浸りやすい日のようだ。さっきあずさをこれ以上不安がらせないって決めたばかりじゃないか……。
私は覚悟を示すべく、こっそり自身の脇腹をつねった。痛いよりも、少し肉がついてしまっていたことがショックであったことは内緒だ。
こうして、二人だけの夜は更けていったのであった。
次回から本編です。