CGD1-⑨
屋上のエーテルが全滅すると、守さんは躊躇いもなく今度は別のビルへと飛び移る。私も高いところは好きだが、さすがにこれだけの高さのビルを飛び移るのには尻込みしてしまいそうだ。まあ、そもそもあれだけの跳躍力を生み出しているのも魔術によるものなので、魔術変換の使えない私にできるような芸当ではないのだけれど。
とにかく、守さんも佑紀乃さんも別のビルに飛び移ってしまったので、ここからはもう戦っている様子は視認できなくなってしまった。あとには、屋上で魔力生成を行なっている拓馬さんだけが残された。拓馬さんは一心不乱に魔力の塊である魔力石を作り出している。そのスピードはかなりのものがある。あとは、それを守さんたちが受け取れば、当面の間は魔力には困らないだろう。
さすがの連携だと思った。恐らく、守さんは拓馬さんを一人にしておく時間を極力少なくしたいと思っているはずだ。だから二人はじきにここに戻ってくる。それはきっと、ほんの少しの間だけのはずだった。
雨はまだ降り続いている。霧雨といえど、雨は雨だ。それはつまり、新たにやつらが出現する確率はまだゼロではないということだ。それでも、この程度の雨ならやつらが身体を作るにはかなりの時間を要するはずだ。きっと、ここにいる誰もがそう思っていたはずだ。
だから、その可能性は排除していた。まさかエーテルがそんな潜み方をするなんて、誰も考えないだろうから。
拓馬さんが瞬時に、自身の足元へと視線を落とす。それにつられて、私も視線を拓馬さんの足元へと移す。
「手のようなもの」が、拓馬さんの左の足首を掴んでいた。それは屋上に並べられたプレート同士のかすかな隙間に潜んでいた。
足を掴むその手は銀色で、ところどころ赤黒く血液のようなものが脈動しているのが分かる。間違いない、あれは……!?
「バカな!? こんなところに!?」
恐らく拓馬さんはそう言ったのだと思う。そして驚愕しながらも、拓馬さんは瞬時に迎撃の姿勢をとった。その動きには一切の無駄がなかった。だがそれでも遅い。獲物を捕らえたエーテルの速さに人間は敵わない。
私と拓馬さんは自動ドアを隔てている為、外の音は何も私には届かない。それでも、私にはその音が聞こえたような気がした。腑が弾け飛ぶ陰惨な音が、ここまで聞こえたような気がしたんだ。
地獄のような光景だった。目の前で人が真っ二つにされる光景なんて誰が見たいものか。しかし、悲劇はそれだけでは終わらなかった。
分離した拓馬さんの上半身は、まだエーテルへの抵抗をやめていなかったのだ。しかし、人間としての機能を奪われた以上、その抵抗が彼の明確な意思によるものではないことは明白だ。彼の攻撃はもはや制御不能だった。
彼の掌から魔力弾が放たれる。運の悪いことに、それはちょうど私のいる自動ドアの方へと飛んできたのだ。
とっさに私はドアから離れた。結界が張られていたって、彼の最期の最大出力を食らっては穴ぐらい開くのは目に見えている。しかし、それは予想以上の力を誇っていた。なんと、扉は彼の攻撃を受けて木っ端微塵に砕け散ってしまったんだ。
「きゃあああ!?」
壊れることは予期できた。だがまさか室内にこれだけの衝撃が起きることは予想していなかった。私は吹き飛ばされ壁に激突する。幸いなことに頭は打たなかったので意識を失うことはなかったが、あまりの激痛に私は地面に突っ伏す。だが、今は自分のこと以上に気にしなければいけないことがある。
「……た、拓馬さん」
私の目線の先、屋上の中心付近で拓馬さんは絶命していた。辺りには、彼から飛び出した臓物が散乱している。
吐き気を抑えることは不可能だった。いくらその相手が、さっきまで会話をしていた相手だとしても、人間の防衛本能が私の脳内に全力で警笛を鳴らし続けていた。
まさかこんなことになるなんて思っていなかった。いや、決してエーテルとの戦いに100%勝てるとは思わないが、彼らに関してだけは、きっとまた言葉をかわすことができると根拠のない自信があったんだ。
でも、そんなものは幻だった。あまりにあっさり、拓馬さんは死んだ。そして次はこの私であることも私は理解していた。
「う……く……」
結界は破られた。エーテルはこの屋上にいたんだ。ならば、ここにいる人類である私を、やつらは確実に狙ってくる。
息をひそめることは無意味だ。やつらは恐ろしいほどの嗅覚で人間を探し出し確実に仕留めにくる。隠れたところで私の運命は変わらない。このままでは、やつらは私を殺した後、建物内のすべての人間を殺し尽くすだろう。シェルターに篭ったとしても、残念ながらシェルターの防御力にも限度がある。攻撃を受け続ければ壁はいずれ破られてしまう。そうなったら、この夜だけで何千という命が失われる……。
そんなこと、許せるわけがない。だが、今の私ではどうすることもできないのが実情だ。ただの小娘であるところの私では人々を救うことなどできない。それはあまりにももどかしいことだ。今更ロイエに入隊しなかったことを悔いても遅い。このまま私は、やつらにやられるのをゆっくり待つより他に方法は……
「まーちゃん!?」
不意に名前を呼ばれた。それも非常に親しみのあるあの呼び方でだ。私をそういう風に呼ぶのは、この世界にただ一人だけ、私の幼馴染をおいて他にはいない。
「あ、あずさ……?」
衝撃のせいでぼやけた視界が鮮明になっていく。
すると、やたらと心配そうに私を覗き込む顔がそこにはあった。
予想通り、それは羽岡あずさであった。短めのサイドテールを激しく揺らし、あずさは私の身体を抱きしめこう言った。
「良かった! 意識はあるね。どこか怪我してない?」
「ちょっと、背中打ったくらい。それよりも、このままだと、エーテルが中に……」
「大丈夫だよ。今はみんなが食い止めてくれているから」
「でも、拓馬さんが……」
私がその名前を口にすると、あずさは途端に表情を厳しくする。その様子から状況が芳しくないことは明白だった。




