CGD1-⑧
ただがむしゃらに走った。エレベーターは避難する客でごった返しとても使えそうになかったので、私は50階もある階段をこの足で登っていた。
普段からそれほど運動をする方でもないので数階登ったところで既に息も絶え絶えであったが、戦いからこれ以上目をそむけたくないという想いだけが何度も止まろうとするこの足を前に進めていた。
階を上に登るにつれてどんどん人の数は少なくなっていく。そして25階を過ぎたころにはもはや誰の姿もなくなっていた。
生き物が生命活動を停止したかのように、このビルから人の息吹が途絶えていた。30階に到達したころようやくエレベーターを捕まえ、私はそれに飛び乗る。酸欠状態に陥り、頭痛が酷くなる。膝をつきたくなる衝動を抑え、私はなんとかこの両の足で自身の身体を支えた。
しかし、屋上にこのまま行くわけにはいかなかった。一般人である私では雨が降っている屋外に出ることは不可能だし、そもそも「魔術変換」を使えない人間が傍にいては足手まとい以外の何ものでもない。実際今の私が役に立てることは何一つないのだ。それを分かっていながら、私は衝動を抑えることができなかった。我ながら自分が何をしたいのか私は図りかねている。こんなぐちゃぐちゃな気持ちは、この一年半で初めてのことだったんだ。
守さんたちに見つからないよう、手前の48階でエレベーターを降りる。そして再び階段を登り始める。すると、屋上に続く階段にさしかかった時、上方から佑紀乃さんや守さんの声が聞こえてきた。
「雨、少しずつ弱くなってきてるね」
「そろそろやつらが動き始めるわ。私たちも戦闘準備に入るわよ」
「ああ。魔力生成は既に開始している。魔力石がなくなったらすぐに俺のところに来るんだぞ」
「分かってるわ拓馬。でも、大丈夫? 今は他のみんながまだ来ていないから、拓馬の守りが薄くなってるわ……」
不安そうな守さんの声。やはり、戦闘においては、指揮官である拓馬さんを守る人が必要なんだ。
「大丈夫だ。雨が弱まった以上、みんなはすぐに来てくれる。その間くらい、自分の身は自分で守るさ」
守さんを心配させまいと拓馬さんが明るい口調でそう言った。もし、こういう状況で私が指揮官だったとしたら、きっと5分も自分の身を守り切れないだろう。緊急事態なんてこの先何度だってあるはずだ。その度に戦えなくなっていてはどうしようもない。やはり、私は少しの役にも立てないのかと暗い気持ちになりかける。しかし、その時そんな私の思考を中断させるように拓馬さんが言った。
「よし、そろそろ頃合いだ。『浄化』作業に向かうぞ!」
「「はい!」」
拓馬さんの言葉に対し、二人は気合いの入った声で返答する。ついにエーテルとの戦いが目の前で展開される。今までシェルターに隠れ続け、ついぞ目にすることのなかった死闘を目の当たりにするのだ。人知れず、私は手をぎゅっと握りしめていた。
誰かが外へと通ずる自動ドアを手動で開く音が聞こえる。アラートが鳴った時点で全ての出入り口が閉ざされているので手動で開けるしか外に出る方法がない為だ。
扉が開くと、すぐに冷たい外気が入り込んでくる。それは少し離れたところにいる私ですら軽く身震いしてしまうほどの寒さだった。
目を凝らさなくては外からはっきりとは見えなさそうな位置から外の様子を伺う。しかし、闇の中に確かに三人の姿が確認できるものの、この位置からではほとんど皆が何をやっているかまでは分かりそうもなかった。
「……仕方ない」
私はやむなく更に扉の方へと近づく。幸い、一番扉の近くにいる拓馬さんもこちらへ振り返る様子はない。それもそのはず、屋上には既にエーテルが出現していたのだ。その数5体。銀色のスライム状の形態をしたエーテルの大きさはゆうに人間の背丈を超えている。並の人間であれば一撃のもとに身体を粉々にされてしまうだろう。
だが、あの三人は違う。やつらと互角に渡り合える、それこそがロイエに所属する人間の凄さなんだ。個人の力が優れているのは言わずもがな、それに加え彼らはチームで戦う。そうすることで何倍もの力を発揮することができるんだ。
守さんの手には長い槍がある。やはり、彼女はチームの先陣を切ってエーテルに突撃していくことを役目としていた。そのポジションはあのあおいも一緒だった。彼女の場合は日本刀を持ち、次々にエーテルを真っ二つにしていったのだという。それでは守さんはどのように戦うのだろうか?
……と、そんなことを想像する間もなく守さんはエーテルへと突撃していく。そして、あっという間にエーテルを2体粉砕してしまったのだ!
「な、なんて速さなの……」
かつて彼女と一緒に訓練していた時は、失礼ながらまだこれほどまでの実力は誇ってはいなかった。恐らく、血のにじむような努力をして、彼女はここまでの実力を手に入れたのだろう。
二体が倒れ、このビルの屋上に残るエーテルはあと三体だ。すると、突然三体の内の一体が何かの衝撃を受け、その身体の一部を千切れさせた。私は驚いてあたりを見回すと、佑紀乃さんがいつの間にか隣のビルの屋上におり、その位置から銃身の長い、所謂狙撃銃のようなものでこちらの屋上のエーテルを狙い撃ちしていたのだ。
敵に逃げる隙など与えない。佑紀乃さんは間髪入れづにエーテルを撃ちぬいていく。しかし、エーテルも決して鈍重ということはない。一体が撃たれている間にもう二体は散開し、隣のビルにいる佑紀乃さんの元へと行こうとする。しかし、そうはさせないとばかりに今度は守さんがやつらに襲い掛かる。遠くから狙撃されているとはいえ、あれほどの実力者である守さんから目を放すのは愚かなことだ。術中に嵌った敵はあっさりと守さんの槍でその核を木っ端みじんに砕かれていった。
私は三人の圧倒的な姿に思わず見とれてしまう。これは、結構簡単になんとかなるんじゃないかと思えてしまう。もしかしたら、今回は意外とエーテルの数も少なくて、あまり手応えのあるやつはいないのかもしれない。そういうことなら、全員がそろっていない状況でも勝てるかもしれない……
「……って、そんなに甘いわけあるか」
うっかり楽天的になりすぎる自分を戒める。過剰なネガティブも良くないが、それ以上に敵を侮るのが一番良くない。実際、エーテルとの戦いで多くのロイエの隊員が命を落としている。その意味をよく考えるんだ。エーテルとの戦いで楽ができるなんてことはあり得ない。少しでも油断すれば、すぐに死に直結してしまう。
三人を見ると、私のお花畑な脳みそとは違い、少しも油断した様子も見せずに変わらずに敵に狙いを定めている。彼女らは敵の怖さを十分知っている。今は優勢でも、少しでも油断すればたちまち事態は悪化する。それをよく知っている。私はそんな三人の様子を見て、人知れず気を引き締めなおした。




