喫茶店にて
こんな老いぼれの話を聞きたいなんて、物好きな人がいるもんだ。若く見えるけど年はいくつだ。46?なんだそんなに若くないじゃないか。私が君ぐらいの年の頃は働きながら家族を養うのに必死だったよ。結婚はしているのか?私の息子は君より少し若いけど結婚はおろか、まだ定職にも就いていなくてね。したいことがあるの一点張りだよ。困った者だ――あぁ結婚はしていて子供もいるのかい。そりゃあ幸せ者だねぇ。家族は大切にしないといけないよ、一生の宝になるから。それにしてもここの喫茶店のコーヒーはいつ飲んでも絶品だね。香りが深くて、舌にいつまでも残る苦みは年老いた私に丁度いいんだよ。ここはよく妻と一緒に来ていてね。妻は苦いものが苦手で、いつもにおいを嗅ぐだけで胸焼けがするショートケーキと、砂糖の味しかしないカフェオレを飲んでいたよ。甘いものは幸せを運んでくるなんて言ってさ……そんな事より君、私に聞きたいことがあるんだろう。私は早く家に帰らなくてはいけないんだよ。最近妻の具合が悪くて心配しているんだ。さあ、聞きたいことがあるなら早く言いなさい。「私と妻の話が聞きたい?」ほう、やっぱり変わっているね。
妻と初めて会ったのは見合いの場だった。当時は見合い結婚が主流で、両親が決めたことが絶対な時代だったからね。異議を唱えることなんて出来ない。私の家は会社を経営していて、妻の家はその取引先だった。なおさら「嫌です」なんて言えないだろう。「跡付きだったんですか?」いや、跡継ぎは兄貴だったよ。兄貴はもう結婚していたから、私に白羽の矢が立ったんだろう。
当時の私には付き合っている女性がいた。学生の頃からの付き合いでね。家族には紹介もしていなかったけど、もちろん結婚するつもりだった。なのに見合いの話が来て……駆け落ちだって考えていたんだ。でもそんな事、私にはできなかった。でも、好きな人がいるのに違う人と結婚するのも考えられない。相手に悪いだろう。だから色々な理由を付けて、ずっと後回しにしていたんだ。だけど、とうとう逃れられなくなってね。恋人の事はまだ好きだったが、泣く泣く別れた。
私は見合い相手に興味がなく、写真すら見ていなかった。どんな相手かもわからない。堪らなく恐ろしかったけど、それはきっと妻も同じだっただろうね。だって妻は18歳だったのだから。そんな若い人だと思わなかったからとても驚いたよ。綺麗な着物を身に纏っていたけど、身体がまだ小さくて彼女に全く似合っていなかった。でも、彼女は全く物怖じしていなかったんだ。背中に定規でも入っているのかと思うぐらい姿勢が良くて、私の目をじっと見つめ「四宮幸子と申します。よろしくお願いいたします」なんて三つ指ついて挨拶するんだから可笑しくてね。それでもまだ18の娘だ。私が当時26だったから8歳差、上手くいきっこないと思っていたさ。でも相手側と両親がどんどん話を進めて行ってしまって、結局一緒になる事になるんだけど……まだ聞くかい?もう少し長くなるからコーヒーのお代わりでも頂こうか。