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黄昏の夢  作者: 文咲るね
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兄の我儘

 大陸の北方に位置する、帝国領土ヴァルシネア。帝国暦十七年に帝国軍に侵攻されて以来、ヴァルシネア侯爵による治世が続いている。反乱や大きな戦争もなく、ヴァルシネアの地は帝国侵攻以前より寧ろ平和になったという。


 エルネスティは歴史書の一節を諳んじてみせた。その両隣に座った二人の子どもたちは、嬉々としてエルネスティの話を聞いている。


「どうしてヴァルシネアは平和になったの?」

「帝国がヴァルシネアの民から言語と宗教を奪わなかったから。それから、侯爵様が非常に優れた方であるから――」

「やってるな」


 太い声に子どもたちが「パパ!」と歓声を上げて立ち上がった。彼らが飛んで行った先には大男が立っている。二人をしっかりと抱き留めた男を見て、エルネスティも立ち上がった。


「トピアスさん、おかえりなさい。ミルヤミから、ヴェルヴィさんがお出かけになったと聞いています」

「おお、わかった。ヤロ、アウラ。勉強はもういいのか?」


 子どもたちを抱え、トピアスの目元が緩んでいる。

 トピアスの肩によじ登りながら、息子のヤロがエルネスティを見下ろした。


「ミルヤミってエルの妹のあのひとだろ?」

「あのひと、こわいからイヤ」


 ヤロを押し退けようともがきながら娘のアウラが言う。


「ミルヤミは人見知りでね。本当は僕より賢くて、良い子だよ」


 エルネスティは苦笑した。ふうん、と子どもたちは興味をなくしたようにトピアスの上でじゃれている。

 ミルヤミは子どもたちに懐かれず、家庭教師から外されて屋敷の雑用を命じられていた。


 けれど、ミルヤミは才色兼備の少女だった。金とも銀ともつかない透明感のある美しい髪はいつも綺麗に結わえられている。エルネスティが夕暮れのような瞳ならば、エルヤミのそれは黄昏から夜に移りゆく空のような紫色の瞳だ。その奥底は齢十六とは思えないほど思慮深い。読み書きも計算もそつなくこなしたし、議論すればエルネスティが言い負かされることは今でもしばしばあった。


「お前に何度も言うのも気が引けるけどな、エル。正直なところ……、俺もあの子は好かん。最近、悪意の臭いがプンプンするからな。まだ害は出ていないが、早いところ出て行ってもらいたいと思っている」

「……すみません。あの子が成人するまでは」

「わかってる、俺もそこまで鬼じゃあない。まあ、器量は良いからな。将来は保証してやる」

「ありがとう、ございます」


 エルネスティは項垂れた。どうにも妹はハハト一家との相性が悪い。

 トピアスの言う悪意の臭いを、エルネスティは密かに察してはいた。しかしそれはトピアスに拾われる前の話だ。トピアスの言いつけ通り、ミルヤミは屋敷で一度も悪事を働いたことがない。外との関わりも持たず、毎日淡々と従事していた。

 エルネスティの希望を叶えて、二人一緒に置いてもらえるだけでもありがたいことなのだ。トピアスの言葉に強く否定することはできなかった。

 不意に、ぽんと大きな手がエルネスティの頭に乗せられた。トピアスの小さな目が、憐れみの籠った眼差しでエルネスティを見ていた。


「そう気に病むな、お前のことは気に入ってるんだ。お前がちゃんとあの子の手綱を握っているなら構わんよ」


 子どもたちに登られつつ、トピアスはエルネスティの頭を掻き回す。ぼさぼさにされながら、エルネスティは「ありがとうございます」と礼を言った。

 少しでもミルヤミが受け入れられてくれればいいのだが。

 妹をそばに置いておくことが我儘だとわかってはいた。けれど妹を目の届かないところにやるのは不安で仕方がなかったから、エルネスティのただひとつの我儘として聞き入れてもらっているのだった。

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