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特異点修復者シリーズ (刑事編)端緒 #4

              4; ヘンデルとグレーテル


 自分で切り落とした筈の手首が、灼熱の溶鉱炉の中で溶かされている。

 幻痛とするなら、度を超した痛みだった。

 その痛みによって自分自身の存在が吹き飛んでしまうのではないか、と思えたほどだ。

 護は、少しでもその痛みを中和しようと叫んだ。

 そして、その自分の叫び声で目が覚めた。

 汗まみれでベッドから跳ね起きて見ると、そこは本部の緊急医療室だった。

 護の視界に、こちらを心配そうに見ているゲッコと、デスクに向かっていて今こちらを振り向いたばかりという医療主任カグニの浅黒い顔の半分が見えた。

 護に駆け寄ってきたのはゲッコだけだった。

 カグニは、既に護に対する関心を失ったのか、そのまますぐにデスクワークに戻っている。

 カグニのその背中からは、護に対する無関心しか伝わって来ない。

 護は、まさかと思いながら自分の失われた筈の左手首を触った。

 そこには、いつもと変わらぬように左手があった。

 全ては「夢」か、、、、。

「気が付いたか、、。」

「俺は、どうしてここにいる?」

「ローがお前さんを回収してくれた。そのなんというか、、リペイヤーとすれば異例の行為だ。」

「回収、、、。レズリーが俺の特異点内部に入った、、。」

 護には想像も付かない出来事だった。

「天地がひっくり返ったような顔をしてるな。不可能じゃないんだよ。現に侵入者どもは、お前さんの世界に入り込んでいるし、ウチの学者さん達は運び屋のリペイヤーに特異点に連れていってもらってるじゃないか、、処理班のリペイヤー同士は、それを今まで誰もやらなかっただけの話だ。」

「それはそうだが・・学者も夾雑物も只の人間だ。たとえ夾雑物が化けても、先に特異点に順応してる俺たちの方が力が強い。やつらは俺の世界に従属してるだけだ。」

 だからこそ、自分と順応力が匹敵しているレズリーローが、と言いかけて護はそれを止めた。

 何よりも、助けてくれたことに、生きている事に、感謝すべきだった。

「・・レズリーが、わざわざ救援の為に俺を追いかけて来てくれたのか。」

「そうじゃない。お前さんが音信を絶って絶望視され始めた頃、別の任務で特異点に入っていたローが、お前さんを見つけたんだよ。」

「俺の特異点内部とレズリーの特異点内部は繋がっているってことなのか?、、まあいい、、、あっちで見つけた俺の様子をレズリーはなんて言ってた?」

 ゲッコはこんな時に不思議な事を聞くヤツだと言わんばかりに、護の顔を見つめていたが、やがてあきらめたように応えた。

「ジッグラトの麓で血だらけになって倒れていたそうだ。左の筒袖が引きちぎられて無くなっていたから、ジッグラトの上で侵入者と取っ組み合いをして転げ落ちたんじゃないかと思ったそうだ、、。」

「、、、そうか。」

「なあマモル、、そうして身体が動くようになったんなら、俺なんかとグダグダ話をしてないで、真っ先にローに礼を言いに行った方がいいな。こんなんで済んでいるのは、ローのおかげだ。」

 護は、カグニの背中をもう一度見た。

 彼らには自分がどう見えるかは別にして、護には強烈な爆破に巻き込まれた記憶と、自分の左手を切断した記憶があるからだ。

 カグニは微動だにしない、診察は既に終わっているという事だった。

「・・二階建ての階段から転げ落ちた程度だとさ。血塗れだったから派手に見えたが、擦り傷と軽い打ち身と捻挫程度ということだ。お前さんの頑丈さなら、なんて事はない。」

 カグニの代わりに、ゲッコが応える。

「・・・判った。頭の打ち所が悪くて悪い夢でも見てたんだろう。さっきは大声を出して済まなかった。」

 護はベッドの中で起きあがった。

 節々が痛むものの、確かに大した怪我ではなかった。

 身体の痛みより、混濁した時間感覚の方が不快だった。

 もっとも特異点内部で、まともな時間の流れを期待する方がおかしいのだが、今の感覚は度が外れているように思えた。

 手首を大鉈で自分で断ち切ったあの瞬間から、覚醒後のこの時までが、ショートカットされているように感じられる。

「備品室に吊るしてあった官給品のスーツを持ってきた、それに着替えるといい。」

「ああ、何もかもすまん、、所で、ゲッコ、さっきからレズリー以外の件で、俺に何か言いたい事がありそうだな。」

「、、ついさっき、ヘンデルとグレーテルからお前さんに対する出頭命令があったんだよ。お前さんが目覚めたら、俺からそれを伝えろと言われた、、。」

 特異点保護修復機構の最高責任者と、現在、最も「神」に近い男からの呼び出しだった。

「、、、、いつだ?」

 護の声は乾いていた。

「明日の午後五時十五分から三十分間。ちなみに言っておくが、特異点の安定値ラインがあの事件の後で相当乱れた。」

 ゲッコが付け加えた一言に、護は相当のショックを受けたようだ。

「、、お忙しいお二人様だからな、、俺の為に時間を割いてやったという事か、、まあいい。俺は、これからレズリーに会いに行く。」

「おっと、それならそのマニキュア、取っていけよ。レズリー、お前さんのそれ見て嫌な顔してたぜ。」

「マニキュア?」

 護はゲッコの視線が自分の左手に伸びているのに気付いた。

 確かに護の左手の指先には、宇宙に散らばる星座を図案化したマニキュアが塗られていた。

 なぜか護は、ロバート長谷川が言い残したサクリファイス王女という名前を思い出していた。



 休憩室のテーブルの上に、几帳面に積み置かれたタバコのパッケージとジッポーライター、そして紙のコーヒーカップと携帯灰皿。

 それらがゲッコこと、特異点内移動管制管理官・月光総次郎の日々痛む胃腸に対しての、毒を盛って毒を征する常備薬だった。

 次の仕事まで暫く空きがあるからと、出頭前の護を休憩室に誘ったのはそのゲッコである。

 二人の話題は、管制室の時間流と特異点内部の時間流のズレから、今や特異点の登場によって現実味を帯び始めたタイムトラベルへと話の焦点が移りつつあった。

「さっき吸ったばかりじゃないか?一体ソレであんたの給料は幾ら煙になって消えているんだ?」

 今や、一箱が、成人男性の時給にほぼ等しくなった煙草に、またもや手を伸ばしかけるゲッコを見て、護はあきれ顔で言った。

 今も昔も、真のニコチン中毒者は、煙草で破産しようとも癌になろうと、それを止められない。

 ゲッコは、月光総次郎という純和風な名前にそぐわないイタリア系の顔でニヤッと笑いながら、煙草を一本抜き取ると口にくわえた。

 ゲッコの身体には実際、イタリアの血が半分流れている。

 もっともこの時代、この国にあって、混血など珍しい事ではなく、半分、まさに「ハーフ」という混血比率は「純血」に次いで、珍しい存在と言える程だった。

 イタリアとのハーフ、そのくせゲッコが愛飲しているコーヒーはカプチーノではない。

 ゲッコに言わせると「あんな泥水のようなものに砂糖を山ほど入れて飲む奴の気が知れない。」ということだ。

「まあ聞けよ。俺がガキだったころ、タイムトラベルの話と言えば、例えばこんなのだ。」

 ゲッコは器用にジッポーライターをワンアクションで点火し、それで煙草に火を付けた。

「原始時代にタイムスリップしたのは、普通のサラリーマン。ヒーローでもなんでもない、普通の男だ。だが奴のポケットにはライターがあった。奴はそれで原始人達の目の前で火を付けて見せた。その途端、奴は神様に格上げさ。なっ判るだろ、この話の仕組み。」

「・・なあゲッコ、、あんたが上から呼び出しを喰らった俺の事を気遣ってくれているのは判る。だからそんな遠回しな話はいいんだよ。気持ちだけで十分だ。」

「いや、十分じゃない。人の話は最後まで聞くもんだ。原始人たって、みんなウッホウッホと胸をゴリラみたいに叩いてるお人好しばかりじゃないんだぞ。苦労しないで火を手に入れる魔法の石があるなら、それを横取りすればいいって考えだす奴だっているわな。かわいそうにサラリーマンは、そういう原始人に頭を棍棒で、かち割られてあの世行きさ。それに世の中は広い、それは、原始時代だって一緒だ。原始人の中には、サラリーマンがライターで火を起こすのを何度か見ている内に、その仕組みを理解した奴もいた。ああ、あの火花の飛び方は、いつか見た岩同士がぶっかった時に出たのと一緒じゃねえかと、だったら、、みたいな感じだろうな。こうなると、その頭のいい原始人と、ホントはライターの事をガスの成分とか科学的に知らないサラリーマンは同じレベルって事になるよな。少なくともライターが火が付く仕組みに対する理解度については同等だ。」

「特異点がライターで、ヘンデルとグレーテルがその利口な原始人だとでもいいたいのか?」

「いいや。俺がマモルに求めているのは、この話の中で自分がどの立場に該当する人間なのか?って、そう考える姿勢そのものなんだよ。そう考える姿勢があれば、ドクターヘンデルと会っても、なんとかなると思うんだ。今のままじゃマモル、お前、リペイヤーを首になるかも知れないぞ。あの二人がリペイヤーを、審問で直接呼び出すなんて滅多にないんだ。」

 首、、少し前の護なら、どうと言うことのない問題だった。

 だが今はそれなりにリペイヤーという仕事の意義を理解しているし誇りも持っている、、首になってもいいとは考えていなかった。

「この機構は何よりも特異点中心に回ってる。そこんとこを充分に考えて下手を打たないように小狡く臨機応変に立ち回れって事か。」

「そこまでは言ってないさ。ただお前は正直すぎるから心配してるんだよ。ドクターヘンデルは特異点に付いて誰よりも理解が深い、それに人間観察の達人だ。ドクターに嘘や誤魔化しは効かない。だがドクター自身は特異点の中に入ったことがないんだ。それがお前が使える唯一のカードなんだよ。それを覚えておいて欲しい。」

 高校三年の夏、護はロバート長谷川を事故で殺してしまい、それからは荒んだ生活を送っていた。

 そんな彼を拾い上げたのは機構だった。

 その理由はたった一つ、護が特異点との親和力に優れた適応者だったからだ。

 その人選を、どこで誰が調べ決めているのかは、機構に入ってからも明らかにされていない。

 リペイヤー達の間では、政府の国民データプールと直接リンクしているグレーテルが、それらの差配を行っているというのが定説なのだが、、、。

 とにかく護にとっての初めての「実社会」とは、この機構そのものだった。

 護は学生気質も武道家気質もまだまだ抜けきってはいない。

 良く言えば、まっすぐ、悪く言えば世間知らずだった。

 ゲッコはそんな護の性格を愛しながらも心配していたのだ。



 ゲッコと別れてヘンデルの執務室に向かう事になった護は、その途中、レズリー・ローと出会った。

 執務室に向かう廊下は、構内で徐々に絞られていき、最後は一通路しか残らない。

 レズリー・ローと出会ったのは、正にその通路の入り口だった。

「偶然?」

「偶然じゃないわよ。」

 護はレズリー・ローと肩を並べながら機構本部の中で最もセキュリティの高い廊下を歩く事になった。

 その視線は、どうしてもレズリーの胸元、そしてその長い脚に吸い寄せられてしまう。

 黒色の次世代ラバー生地によってぴったりと覆われたレズリーの身体は申し分のない魅力的な曲線を描いている。

 こいつ本当に男なのか?

 どうして、この「女」は真っ昼間から、しかも軍隊や警察機構に近いこの本部の中で、こんな挑発的なスタイルを晒せるのだろう。

 時たま二人とすれ違う職員達も、目のやり場に困っているようだった。

「ドクターヘンデルが呼んだのは君と私。・・どちらかと言うとメインは私の方かしら。君、聞いてなかったの?」

「俺はてっきり、ヘンデルに今度のへまを叱責されるもんだと思いこんでいたから、、。」

「呼び捨てじゃなく、ドクターを付けなさい。それにドクターヘンデルはリペイヤーの細かなミスにいちいち関わっていられる程、暇じゃないわ。それに特異点の安定ラインの変動だって、何がその本当の原因になっているのかなんて、人間には誰も判らない。その事を一番理解してるのもドクターヘンデルよ。」

 レズリーがまなじりが切れ上がった目でこちらを見る。

 その目線が護の高さと一致している。

 二人の背の高さは殆ど変わらない。

 護が平均的な成人男性の身長よりやや高い程度だから、レズリーは女性として相当背が高いのだ。

 その菫色の瞳が神秘的だった。

「しかしあんたは俺を助けてくれて、俺は銃を盗まれた上に夾雑物を逃がしてしまった。ゲッコに聞いたらターゲットはジッグラトを少し離れた所で捕捉出来なくなったそうだ。つまり力を得たんだ。安定ラインが大きく揺れたのが、そのせいだとするなら、相当な力を手に入れているのかも知れない。・・話を聞くとすれば、誰が考えてもこの俺だろう。あんたに、お褒めの言葉をかけるつもりなら、もっと違うやりかたがある。」

「いい?藍沢護君。君、イライラするんだけど。」

 レズリーは急に立ち止まると護に向き直った。

「なっ、なんだよ急に、俺は今まで他人にイライラするなんて言われたことないぜ。」

「まずその口の効き方。わたしレズリー・ローは、君にとって何?」

「・・命の恩人。」

「私はそんな恩着せがましい人間?そんなことを聞きたいんじゃないわ、」

「同僚、同じリペイヤー」

「そうね、でもそれだけじゃないでしょ。私、君が青白い顔してこの機構に入って来たのを知ってるのよ。」

「自分は、先輩っだってことを言いたいのか、、。」

「そうよ、そして先輩に対する口の効き方を覚えなさいって言ってるの。君、このままドクターヘンデルにあったら今と同じ様な調子で接するんじゃない?」

「ヘンデル、いやドクターヘンデルはサバけた人だって聞いている。」

 ヘンデルとグレーテル。

 勿論、本名ではないが皆はそう呼んでいる。

 機構のトップにして、神のような存在、特異点に関して総てを見通し、知っている、、。

 そのくせ、神と同じように、人間にはこの世の真理、つまり特異点の真の姿を決して語らない。

「そうよ、ドクターヘンデルはそんなちっぽけなこと気にされる方じゃないわ。君に腹が立つのは私なの。人間には格がある。その格は判る人間には判るはず。君も人を見る目は多少はあると思う。だからそれに即した言葉遣いをしなさい。お前と俺みたいな言い回しをいつまでも癖にしちゃだめ。」

 護はヘンデルとレズリー・ローが出来てるという噂話を思いだしたが、「腹が立つのは私なの」という言い回しに奇妙な暖かさを覚え、その噂話を自分の中から打ち消した。

「判った、、急には変えれないと思うけど、努力するよ。」

「じゃ、それでいい。行くわよ、後輩君。」

 『はいはい先輩』と言いながらレズリーの形のいいヒップを撫で上げ、その途端に肘鉄を食らっている自分を思い浮かべながら、護は先を行くレズリーの後を追った。


 問題はヘンデルらがいる執務室に辿り着くまでに通過しなければならない数々の「フィルター」の存在だった。

 正に人間を濾過するのだ。

 細胞レベルまでの人物照合が数メートルの廊下を歩く中でスキャニングされ、問題有りと判断されればその時点でスキャニングは、人体の解体行為に切り替わる。

 後には色の濃いスープしか残らない。

 ・・・フィルターが故障しないと、誰が言い切れる。

 これほどの警備網が引かれるのは、ヘンデルとグレーテルが、特異点の価値と並ぶ程の重要人物だったからだ。

 今では特異点同様、彼らの存在自体が、秘匿対象と成っている。

 国家の存続さえ危ぶまれる程、弱体傾向にあった極東のこの島国には、奇跡的も二つの僥倖があった。

 一つは人類にとっての最大の発見となるだろう特異点が、この国のある地域に停留したこと。

 二つめは、特異点が何であるかを理解でき、ある程度、その機能を把握制御することを可能にした頭脳の持ち主が、この国の国籍を持っていた事である。

 その頭脳の持ち主こそが、ヘンデルとグレーテルだった。

 むしろ特異点は、故障した船が近くの港に修理の為に立ち寄るように、ヘンデルとグレーテルの側に身を寄せようと、この島国に停留したのではないかという説もあるぐらいだった。

 「ヘンデルとグレーテル」とは勿論、コードネームである。

 噂話にしか過ぎないが、二人の実像はウアンとイアンという天才一卵性双生児だと言う話もある。

 この噂話には続きがあって、イアンは酷い奇形を持って生まれ、それ故人に交わらず深い思索に優れ、ウアンは天才科学者に似合わぬ眉目秀麗な姿形を持った為に、二人の共同思考を表現する為のスポークスマンの役割を果たしたというものだ。

 ちなみに、イアンはもう人間としての姿形をとどめていない。

 彼は「キューブ」と呼ばれる姿で、特異点と現世の境目に「スーパーコンピューターのように設置」されている。



 そのヘンデルが二人を、執務室の応接セットの奥にある壁際に来るよう手招きをしていた。

 二人が揃ったタイミングで、長身のヘンデルが右手を軽くあげると、壁が左右二つに割れ、左右にスライドしていく。

 そこに現れたのは壁一面の大きなガラス壁だった。

 ガラスの向こう側に、海と、今まさに暮れていこうとする夕焼けの空が見えた。

 特異点はその海の何処かに存在する。

 真下には、この建物が小高い丘に作られているのを示すように、森の光景が広がっている。

「どうだい、素晴らしいだろう。」

 ヘンデルのさわやかで軽やかな声。

 ヘンデルの視線はレズリーではなく護に止まっている。

 レズリーはこの光景をもう何度も見ているに違いなかった。

 確かに美しいが箱庭みたいだ。

 壮大さにかけると護は思った。

 フルコンタクト空手の世界大会で海外遠征の経験がある護は、これよりもっと壮大な夕焼けを何回か見ている。

 それを口に出しかけた護だが、レズリーとの約束を思いだし、曖昧な笑みを浮かべるに止めた。

「なんだ、こじんまりしすぎだって顔してるね。世界中どこを探してもこんなに四季と自然の包み込むような穏やかさを感じさせてくれる夕日はないと私は思っているんだがね。我が先人、ラフカディオハーンは出雲の国の夕焼けにそれを見た。私はここだ。」

 ヘンデルは渋い笑みを浮かべると、二人に席に付くよう勧めた。

 そして自らも長い脚を優雅に組みながらソファにその身を沈める。

「宇宙空間に出たら、地球上では絶対に見られない此処は神の隣の席かと言うほどの壮絶な光景にいくつも出会える。最初は度肝を抜かれるが、その内、気が付くんだ。・・ここには何もないと、それ故の美しさだとね。われらがサトゥルヌスもそれを知っている。だから、この大宇宙に存在するなけなしの生命を繋ぐための回廊を造った。私はそう思う。いや、そう思うようにしているんだよ。」

 現代は宇宙衛星での実験や研究が盛んだが、ヘンデルの言葉には、そういったものの体験者としてのリアリティが感じられた。

 四十代後半か、いやもう少し若いのかも知れない。

 学術の世界にいる人間なら、この隠れたる天才の本名を聞けば、その存在に思い当たる人間の数も多いのだろうが、護にとってヘンデルは、自分とは全く肌合いの違う気取った只の男に過ぎなかった。

「さあ、本題に入ろうか。レズリー・ロー、まずは君からだ。藍沢君を、君の持ち場から移動してまで、救出に向かおうと思った所から報告をしてくれたまえ。出来るだけ詳しくだ。」

「お言葉ですが、この件につきましては、報告書を上げています。仕事熱心なドクターヘンデルがお読みにならなかった筈はないと思うのですが。、、二度手間だとは申しませんがドクターにとっての貴重な時間が失われるのは確かです。」

 報告書についてレズリーが言ったことは、当てこすりではなかった。

 ヘンデルは特異点に関することなら労を惜しむことなく、ありとあらゆる事を知りたがり、実際にそう努力する人間だというのが機構内の一致した意見だった。

 勤勉なる神というわけだ。

「報告書は確かに読んだ。実に正確で精緻なものだったよ。しかし君の肉声にはかなわないんだ。それに、今のこの会話はグレーテルにも届いている。彼は君の肉声から報告書以上の情報を得る能力を持っている。君から直接報告を聞くべきだと言ったのは、グレーテルだ。グレーテルは、強い順応力を持ったリペイヤー同士が、特異点内部の世界で行き来したこのケースに非常に強い関心を持っている。特異点は、強力なリペイヤーに対しては、それぞれ違う顔をみせる、逆に言えば、その二人は同時に特異点内部では存在できない、、今まではそう考えられてきた。」

 護は息をのんだ。

 機構にいて、ヘンデルとグレーテルの名を知らぬ者はいない。

 特にグレーテルは、機構の人間達にとって、未来を見通す目を持った「神」と呼ばれる存在だった。

 今回の呼び出しは、その「神」が行ったのだ。


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