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特異点修復者シリーズ (刑事編)端緒 #0#1

                序


「我々は、単に、未知そして未来と過去からの遺構である時空転移ゲートを修復しているのではない、この世界そのものと、人間自身の瓦解を食い止めているのだ。」

      ヘンゼルとキューブ(グレーテル) 往復書簡より


 紫紺の空に重く輝く三日月を見ながらカルロスは、崖下に飛び込む寸前に、彼が普段絶対にやらないことを、、そう、ある種の感慨をもって自分自身の歳を数えるということをした。

 明日が誕生日なのだ。32才になる。

 後先を考えずに無茶が出来る歳でもない、かと言って総てを諦めきれるほど枯れきってもいない、、。

 このままで行けば、自分は移民先の街で一生うだつの上がらないゴロツキとして終わるだろう。

 自分自身に、暗黒街で、のし上がる才覚がないとは思っていない。

 腕っ節も度胸も、他の悪党共に遅れを取っているわけではない。

 しかし、それでも芽がでない。

 それが運と言われれば、運なのかも知れないが、かといって運に頼らず、どこかの組織に潜り込んで、底辺から這い上がる辛抱が自分にないのも分かり切っていた。


 だから俺はここにいるんだ。

 文字通り生か死か、最後の賭けだった。

 切り立った崖下から突風が吹き上がって来る。

 風の中に花の甘い匂いが潜んでいる。

 夜空にかかった三日月が、その風を己の懐に呼び込んでいるように思えた。

 なけなしの有り金と、幾つかの裏切りと暴力で手に入れたのが、ダイビングポイントと呼ばれるこの「時刻」と「場所」だった。

 そして「特異点」で生き延びるための幾つかの装備。

 覚悟が決まった今、後は出来るだけ遠くに飛び込むだけの事だった。

 特異点が自分を受け入れるのか、それとも、単なる投身自殺に終わるのか、神のみぞ知る、、、「いや俺には神など生まれた時からいなかった」と男は思い直した。

 総ては、やはり「運」が支配するのだ。


         1: リペイヤー(修理者)の仕事


 あまりに黒すぎて青味さえ放つ太いボルトが、マシンオイルに濡れ周囲の血と混じりながら、「肉の穴」に螺旋状に沈んだり浮かび上がったりを繰り返している。

 男のはだけたワイシャツの胸板には、同様の穴とボルトが、あと2・3個見える。

 あろう事かこの男、胸に穿たれたボルトの螺旋の浮き沈みに同調して喘ぎ声を出していた。

 感じているのだ。

 ・・どこの世界での「成れの果て」だ。

 こいつ、俺の同僚か?

 護は、顔だけは知っているが一度も話したことのない人間を含めて(機構ではそういった人間の方が圧倒的に多い)機構で出会った全ての人間達の記憶を探ってみる。

 過去の記憶にも該当者はいなかった。

 だがこのボルト男は、酒臭い息をまき散らしながら、リペイヤー達や実地研究班の連中しか利用できない構内バーの入り口で酔いつぶれ座り込んでいるのだ。

 機構関係者である事には間違いないだろう。

 それにこの男の支離滅裂な肉体変化は、特異点のなんらかの影響を受けた結果に相違なかった。

 そうであるならやはりこの男、機構の人間の中でも、直接特異点に侵入する機会のあるリペイヤー関係者なのだろう。

 リペイヤーの中には、機構の最高責任者である「ヘンデル」の特命を受け、正にその名前通りに、特異点そのものの修復を行う人間がいると聞いたことがあるが、この男はそういった一人なのかも知れない。

 例え自分が、夾雑物を排除する分担といえ、リペイヤーである限りは明日は我が身だと思いながら、護は無関心を装いながら男をまたぎ越えた。


 巨大な鬼人が、裸体の男の頭部を囓っている。

 そんな陰惨な油絵のレプリカが、バーの壁に掛かっている。

 小柄な女性の背丈程の高さがある絵の中に描かれている濃密な闇は、特異点の闇そのもののように思えた。

 ようやくまわってきたアルコールの鈍い酔いと、先ほどまでいた特異点が精神に及ぼす干渉力のせいで、壁の絵に魅入られてしまった護は、暫くその絵から逃れられないでいた。

「その絵の題名、我が子を食うサトゥルヌスっていうのよ。特異点がまだ公にされていなかった頃のコードネーム、、知ってた?サトゥルヌスはローマ神話に登場する神様なの。将来、自分の子に殺されるという預言に恐れを抱いて、この神様は自分の5人の子達を次々に呑み込んでいったという話があるの。ゴヤはそれをモチーフにして自分の子を頭からかじって食い殺すという凶行に及んだサトゥルヌスを描いたわけ。5人のうち、1人が人類、、残りの4人は、まだ私たちの知らない特異点ゲートに繋がっている何処かの時空に存在してる・・・って解釈なのかな。」

「俺達は特異点を作った神に、頭から貪り食われるのか、、」

 護は、己の内に残った微かな意思の力をかき集めて、ようやく絵から視線を引き剥がすと、その眼を隣の女の横顔に向けた。

 、、そうだった、俺はこの女に用があるんだった。

 護は、ようやく特異点の影響から逃れつつあった。

 酒と特異点の相性は悪い。

 女は護の先輩で同僚だった。

 女の半端ではないボンデージファッションは、彼女のスレンダーな体形を強調していて、隣のスツールに座っているだけでも彼女の強烈なフェロモンを感じさせている。

 噂では、この同僚、女ではなく男だという話もある。

 そういえばこの女の、大型犬を繋ぐための首輪を巻いた首は華奢で美しいが、首輪の影から少しだけかいまみえるラインは喉仏の隆起を思わせなくもない。

「なに?あたしの顔に何かついてる?」

 女はショットグラスをカウンターテーブルに静かに置きながら掠れた声で言った。

「いや。」

 護には、隣の女の本当の性別など、どうでもいい事だった。

 確かに彼女は、金を積んでお相手が願えるものなら大枚をはたいてもいいと思わせる程の魅力を持っていて、好色な男達にとって、その性別は重要な問題なのだろう。

 しかし護には、この女が同じ仕事上の悩みを相談できる同僚であるという事実が最も重要だった。

 護の仕事仲間は数少なく、その上、特異点内部での仕事が、修復よりも夾雑物の排除へと比重が移る中で、彼らの関係はライバル意識をより強く高める傾向にあった。

 この同僚は、特異点への無断侵入者の排除という点では、護と同レベルの成果を上げている。

 だからこそ護は対等者としての気安さで彼女と話せるのだ。

「・・又、奴が出てきた。へらへら笑いながらだ、、。」

 護はグラスの琥珀に視線を落として、告白口調で言った。

「、、よく判らない。死ぬ前は、勇敢で無口な男だったんだ。あんなにやけた表情を顕すような奴じゃなかった筈だ。」

 それを聞いた同僚は、グロスのかかった唇の端を歪ませてかすかに笑ったように見えた。

「で、君は特異点で付きまとって来るその男の正体を幽霊だと思っているわけよね?」

「俺は、あの男を最後の試合で殺しちまった。奴が幽霊じゃないというなら、俺達は特異点という名の個人的な妄想世界で仕事をしてる事になる。」

「案外、そうかもね。特異点の内部は、そういう性格を帯びていてもおかしくはないわ。」

 今度は、はっきりと赤くぬめるような唇の端が、女悪魔ならそう笑うといったふうに吊り上がった。

「あんたは、どうなんだ。俺みたいに、自分を悩ますものが向こうにいるのか?」

「いると言えば、君は安心するわけ?」

「あそこが、個人的な意識を反映しやすいのは認めるさ。昔、特異点が動き回っていた頃に、病人とかを治したって話があるけど、奇跡が起こったのは生きる事に執着を持った人間だけで、諦めてた奴はそのままだって話だ。まさに汝求めよ、の世界だ。それに俺達が選ばれたのは、特異点との親和性を買われたからなんだからな。だが、あそこが俺達のインナースペースそのものであるわけがない。どんな国家が、個人の妄想の為に巨額の金を出すというんだ。あれが個人の妄想域でない限り、あんたと俺との間には、何かの共通項があるはずだ。それを教えてくれ、」

 護は一気にまくしたてた。

 普段、無口な彼にしては珍しいことだった。

「特異点は私たちの知らない知性が残した遺構、とんでもない時空間ハイパーロードの壊れかけたジャンクションだって事を教えて貰わなかったの?それに傾きかけたこの国が、なんとか国際社会で国家としての姿を止めていられるのは、特異点がこの国に繋留したからじゃない。国が特異点に金をかけるのは当然。とにかく特異点の全てが尋常じゃない、異常が当たり前なのよ、、。リペイヤー同士の共通体験を知りたがるなんて、君、相当、重症ね。」

 仲間内からはレズリー・ローと呼ばれている男だか女だか判らない人間が憂鬱げに言った。


 特異点が、この世界に顕在化したシーンで、一番有名かつセンセーショナルだったものは、某国におけるプロバスケットのワールドリーグ戦の真っ最中だった。

 シュートを打とうと空中にジャンプした選手の頭が突然、アイスクリームを丸く掻き取る器具を使ったみたいに、消えて無くなったのだ。

 会場にいた全ての観客が、その選手のシュートに注目していた。

 そしてその頭部が異なった空間の接触によって掻き取られ、直後の血飛沫の惨状までが、観衆の目の前で唐突に展開されたのだ。

 その日を皮切りに、特異点は地球上のありとあらゆる場所、そして時間に出現した。

 その大きさは、まちまちで巨大ビルを半分切り取った事もあれば、とある実験室の顕微鏡下で細胞片を次々と欠損させていった事もあった。

 特異点自体には「大きさ」の概念がないのだ。

 さらに特異点が出現した周囲では数々の奇跡が起こった。

 壊れかけていた機械が正常になる。バッテリーが勝手に充電されている。

 最も顕著な例は、不治の病や重度の障害が治るという事実だった。

 この特異点が、極東の没落しかけたある島国国家に固着した頃には、特異点が人間社会に及ぼす本質的な意味が、ようやく人々に理解され初めていた。

 それは、人間が地球外知的生命体に遭遇する以上の、人間存在に対する浸食的な意味を持っていた。

 全能なる特異点は、人間の全ての「飢え」と「欲望」を満たし、それによって人間の進化を停止させるのだ。

 特異点の力を人類が完全に制御出来るまで、超国家単位でその管理にあたると合意できたのは、欲深い人間達にもまだ辛うじて理性が残されていたという証明だったかも知れない。

 以降、特異点の発現跡は、各国の政府によって封殺され、その存在は全面的なトップシークレットとなった。

 今では人々の口にのぼる特異点は、表面上、只の禍々しい都市伝説にしか過ぎない。

 半分に掻き取られたビルはテロリストの起こした爆破の結果となり、バスケット選手の死は試合中の脳溢血となった。

 しかし当の極東の島国では、奇妙な噂が流れ、それが絶える事はなかった。

「ある時刻、ある場所に、ある方法で人がそこに立つと、その人間は神隠しに合い、再び戻ってきた時には人にあらざる存在として帰ってくる」と、、。

 極東の島国への繋留と共に、不活性化したと思われた特異点は、この地で地獄の釜の煮えたぎった泡を沸々と涌き上げていたのだ。


 レズリー・ローは、リペイヤーの中で夾雑物排除率トップを誇る後輩の同僚にあえて伝えなかった言葉を、自分の中で反芻しながら、グラスに唇を寄せた。

『・・共通点はあるよ。君は、あそこで幽霊を自分の相棒にして、あたしはすべての人間をあたしの奴隷にした。秘められた願いが叶う場所。その意味では、あそこは間違いなく個人の妄想世界そのものなのよ。』

 ローの無言の返答に耐えきれぬように、護は、突然、思いついた事を喋った。

「あんた、左利きか?」

 護は、艶のある黒に塗られた爪先を持つローの細い手首をみつめた。

「それが、何か問題なの?」

「俺は小さい頃、左利きだった。両親が早い内にそれを矯正させたんだ。ロクでもない親だったがそれだけは妙に覚えている。しかし、右利き左利きってのは不思議なもんだよな。右利きの人間は、例えばギターなんかを持つ時は、左手でネックの上を運指して右手で弦を鳴らす。右手の方が遙かに動きが細かいのにな、、。だから逆みたいな気がするんだけど、それでうまく良く、、。」

 ローは少し興味を引かれたように護の顔を見る。

「でも利き手じゃない方の手の動きは、どこか他人の手を借りてるような感じがしないか?気持ちがまわり切らないというか、神の領域に近い部分でタイムラグがある。そんな感じだ。無意識のレベルでスムースにってわけにはいかない。」

「ふん・・気のせいよ。」

「ああ、まったくだ、、。」

 決勝戦の対戦相手である長谷川を殺したのは、護がクロスカウンターで放った頭部への左の拳だった。

 瞬間に勝利が確信出来たほどの威力と精度のある拳だったが、それは技の結晶であり、決して暴威ではなかった。

 長谷川程の相手であれば、それを相手の勝利の技として綺麗に受け止めてくれる筈だった。

 それこそが、防具なしの試合における「当て」の高度な暗黙ルールだった。

 それが、実に嫌な手応えを持って返って来た。

 長谷川の頭部が、護の拳から逃げるのではなく、自ら当たりに来ているように思えた。

 そして次の瞬間、長谷川の首は護の予想もしない角度にぐにゃりと曲がったのだ。

 その時、護は相手を「殺した」と気づいた。

「でも神の領域に近いタイムラグがあるっていう表現は面白いね。」

「ああ、、いや、、あんたがさっき言ってくれたように、その正体は気のせいってやつだよ。」



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