第参話:要するにハッピーバースデー
取り敢えず、喜助は不法侵入者ではないらしい。それだけは確かだろう。
そして、いつの間にか居間にいた彼の事を、毅は座敷童だと自信有り気に言い切っていた。
しかし、だ。
喜助の姿を見ると、どうしても毅の言う事が信じられなくなってしまう。彼の見た目は、童の要素がどこにもない。
座敷童ではなく、もっと他の、化け狐だとか、鴉天狗だとか言われたなら、もう少し信じられたかも知れないのだが。
「……やっぱ、座敷童ではない!」
「何だ突然」
急に叫んだ咲希を、喜助は特に驚いた様子もなく見てきた。
「だって、座敷童って子供の姿をしてるって言うじゃないですか。えーと、誰でしたっけ、喜助さん?は、子供には見えません」
「言っとくが、俺だって元々は子供の姿だったんだぞ」
「えっ!?」
まさかの事実に、咲希は目を見開く。
この、駄目なオッサンをそのまま体現した様な男の、子供姿。全く持って想像出来ない。今の見た目からして、妙に綺麗な子供であったであろう事しか予想がつかなかった。
「何でそんな残念なオッサン姿に……」
「残念とは何だ、失礼な」
喜助が眉をひそめる。
が、咲希に撤回するつもりはない。
「顔は良いのに、ってよく言われません?」
「よく分かったな」
「やっぱりか」
呆れてため息が出た。
周りからの評価も、咲希と同じようなものらしい。自覚しろよと思う。してるのかも知れないけど。
「で、何でそんな老けちゃったんですか。玉手箱でも開けちゃったんですか」
「そこまで老けてねぇだろ。実年齢はアレだが」
「おいくつなんですか?」
「三桁後半から四桁の間のどこか」
「わーお」
驚き過ぎて、逆に抑揚のない声が出た。長寿にも程がある。
そして、自分の年齢なのに物凄くアバウトだ。長生きし過ぎて、分からなくなったのかも知れない。
「成長した理由なぁ……何だったか……」
首を捻りながら、喜助はケーキを口にする。むぐむぐと口を動かしながら、彼は明後日の方向に目を向けた。
覚えてない可能性の方が高いんだろうな、と思いながら、咲希はケーキの上の真っ赤な苺にフォークを刺す。それを口へ入れると、甘酸っぱい味がした。美味しい。
苺狩りいきたいなー、と余計な事を考えてしまった。現実逃避をしかけている。咲希は頭を振り、その考えを頭から追いやった。
「んー……」
喜助は唸り声を上げながら、ケーキを次々と口の中へと運んでいく。唸っているだけで、真剣に思い出そうとしている様には見えない。
最後の一口を食べてしまうと、彼はフォークを皿の上に置き、顎に手を添えて目を閉じた。
目を閉じると、気だるげな感じが一気に引っ込み、代わりに色気やら異様な美しさやらが更に際立つ。 見惚れそうになるのが何故か悔しくて、咲希は残り少ないケーキへと視線を落とした。
「……あ」
何か思い出したのか、喜助が短く声を上げる。
「そうだ、酒だ」
「はい?酒?」
一人で納得した様な声を出されても、咲希には何の事だかさっぱり解らない。
先程まで飲んでいた、缶ビールの事でも言っているのだろうか。
喜助は何かに対して何度も頷きながら、感慨深げに説明し出す。
「酒飲んだら、成長した」
「えっ、座敷童ってそう言う仕組み!?」
まさかの事実に、咲希は目を点にした。
そんなに簡単に、見た目年齢が変わっていいものなのだろうか。もしくは、酒にそんな特別な力でもあるのだろうか。
「そう言う仕組みって何だ。知るか、そんなん」
「知るかって、自分の事じゃないですか」
「飲んだら急にでかくなったんだ、原理なんざ解る訳ねぇだろ」
「ええー……」
何だか物凄く投げやりだ。
解らないと言うより、考えるのが面倒だっただけなのではないのだろうか。
「私、それ、お酒が大人の飲み物だからじゃないかと思うのだけれど」
多恵がどことなく遠慮気味に、おずおずと口を挟んできた。
「あぁ、成る程」
喜助が合点がいったとでも言う様に、深く頷く。
いや、他人に説明されて納得すんなよ、と微妙に思った。自分の事だと言うのに、何故そんなに適当なのだろうか。
「お酒飲むと成長するなら、何か食べると退化でもするんですか」
「よく分かったな」
「えっ、マジで!?」
冗談のつもりで言ったのに、いとも簡単に肯定されてしまった。何てこった。
何故食べ物を摂取したくらいで、そんなに簡単に見た目年齢が変わってしまうのだろうか。滅茶苦茶にも程がある。
「ちなみに、何を食べると退化するんですか?」
「退化っつーなよ、外聞悪ぃな」
喜助が嫌そうに顔をしかめた。
間違ってはいないと思うのだが。少なくとも、進化とは言わないだろう。
しかし、確かに「退化」は言い方が悪いかも知れない。
ふむ、と咲希は口元に手を添え、他の表現を考える。
「じゃあ、正常な姿に戻る、とか」
「今が異常みたいだろうが」
「いや、どう見ても異常ですが?」
眉根を寄せる喜助を、何を言っているんだとばかりにズバッと切り捨てた。
オッサン姿の座敷童が、どうして正常と言えようか。疑問ではなく、反語。
「若返ると言え、若返ると」
「ぶっちゃけ何でも良いですよ。で、結局何を食べると子供になるんですか」
表現の仕方に無駄に拘る喜助をぶった切り、脇道に逸れていく話題の軌道を修正する。彼の拘る部分は、よく解らない。
答える前に、喜助はとてつもなく嫌そうに顔を歪めた。
「……離乳食だ。もしくは粉乳」
「……あぁ」
何だか妙に納得してしまう。
離乳食なんて、離乳の時に乳児が食べる物だ。粉乳は微妙だが、どちらかと言えば子供が飲む物だろう。
ある意味、酒と対極的な位置にある食物だと言える。
喜助が嫌そうな顔をした理由が、何となく解った。取り敢えず、双方ともにある程度成長した後に摂取したくはない。
「俺がどんだけお前のためにそれを嫌々摂取したか……」
「……はい?」
愚痴る様な喜助の呟きに、咲希は思い切り眉を寄せる。
お前、と言うのは、誰の事を示しているのだろうか。流れ的に、咲希の事を指している様な気がしてならない。
しかし、咲希が喜助の存在を認知したのは割とついさっきで、一時間も経たぬ前の事だ。当然の事ながら、その間に彼に対して離乳食や粉乳を摂取するよう頼んだ覚えはない。
「お前って言うのは、私の事ですかね」
「他に誰がいるんだよ」
「私のために、ってどう言う事ですか?」
「まぁ、知らねぇよなぁ」
はぁ、と喜助はため息を吐く。
何だ自分が悪いのだろうか、と咲希は微妙に困惑した。そんな風にため息を吐かれたって、知らないものは知らない。
「あら~、昔、教えてあげたじゃなーい」
幸子が咲希の分のケーキに密かにフォークを伸ばしながら会話に入ってくる。自分の分はもう食べ終えてしまったらしい。
咲希は容赦なく幸子の手をピシャリと叩いた。一応、咲希のために作ったケーキだと言う事を覚えているのだろうか。
「教えた?何を?」
「離乳食食べた後の姿なら、絶対見た事あるわよー、って」
「…………」
顎に手を当て、片っ端から記憶の引き出しを開けてみる。
その間、幸子に食べられない様にと、脳に糖分を送るためにケーキを食べ終えた。考え事には糖分が大事だ。
だが、なかなか思い出せない。どの辺の引き出しを開ければ良いのか、見当もつかない。
「ねぇ、それっていつの事?」
「んー……幼稚園入るより前だったかなー」
「覚えてるか!!」
咲希は即座に記憶の捜索を終了した。そんなに前の事を、細かく覚えている訳がない。引き出しの中身は、限りなく無に等しい。
ケーキを食べ終えた皿の上にフォークを置き、咲希はため息を吐く。
「そんな昔、怪奇現象が発生してた事くらいしか覚えてないよ……」
「ちょっと待て。怪奇現象?何の事だ?」
「え」
何気無い呟きに、喜助が予想外に食い付いてきた。怪訝そうな顔をされ、咲希は若干狼狽える。
「いや、あの、リモコンとか、缶ビールとかが、独りでに浮いたりしましてですね」
「そんな筈ねぇだろ。この家の中は俺の領域だ。俺の許可なく、霊や妖怪どもが簡単に入れる訳ねぇ」
「いやでも、実際浮いてましたが」
見間違いなどではない。何度も、物が独りでに浮かび上がるのを見た。
つい先刻だって、見た。
「さっきだって、その缶ビール、浮いてました」
咲希は先程喜助が飲み干した缶ビールを指差す。
喜助が現れる直前まで、あの缶ビールは確かに浮いていた。
「……あれ」
と、そこで、ある一つの考えが咲希の頭の隅を過る。
咲希には、喜助が何の前触れもなく突然そこに現れたように思えた。だからこそ、彼を不法侵入者だと思ってしまったのだ。
その前に、母は、祖父は、祖母は、一体何と言っていた?
『何だ、咲希、お前まだ見えないのか?』
『あぁ、だからまだ見えないのね』
『時間的にはまだ十六歳じゃないから、見えないのよー』
様々な台詞が、咲希の頭の中で次々と再生される。彼女たちは、総じて咲希は「何か」が見えないのだと言っていた。
そう言えば、喜助が現れる寸前に、多恵が何か言ってはいなかっただろうか?
咲希は記憶の引き出しを、勢い良く引き開けた。
『じゃあ、そろそろ見えるわね』
では、咲希は一体「何」が見えていなかったのか?
ここまで来たら、答えはもう簡単だ。
「──お前かぁぁぁぁ!!」
全てに合点がいった途端、咲希は喜助を指差してそう叫んでいた。
喜助が「うおっ」と小さく声を上げながら、驚いた様に肩を跳ねさせる。喜助が、と言うか、その場にいた全員が、突然の咲希の叫びに少なからず驚いていた。
しかし、人を指差してはいけないだとか人を驚かせてしまっただとか、そんな事を考える余裕は今の咲希にはない。
咲希は色々と気付くのが遅いと、微妙な自己嫌悪に頭を抱える。
全てではないのかも知れないが、大体解った。
どう言う原理なのかは知らないが、今の親父姿の喜助は、子供には見えないのだ。でも、缶ビールは見える。だから、喜助が缶ビールを飲んでいると、子供には缶ビールが独りでに浮いている様に見えるのだ。咲希が怪奇現象だと思っていたのは、ただ喜助が見えなかったと言うだけ。
「ええー……何で子供には見えないんですか……」
意味が解らなかった。
普通、座敷童子と言う存在は、子供にしか見えないと言われている筈だ。何故、逆に子供には見えなくなっているのか。
「あのね、これは私の推測なんだけれど」
頭を抱えたままうつ向いてぶつぶつと文句を言っていると、見かねたのか多恵が話しかけてきた。
咲希はチラリと視線を上げて多恵を見る。
「子供姿の座敷童子は、子供にしか見えないでしょう?だから、その原理で、大人姿の喜助さんは、大人にしか見えないんじゃないかしら」
「あぁ、そうかもな」
多恵の横で、喜助が二回ほど肯定する様に頷いた。
だから何でお前が納得してるんだよ自分の事だろうが!と咲希は心の中で捲し立てる。何となく、口にする気にはならなかった。
幸子が「離乳食食べた後の姿なら見た事ある」と言ったのは、喜助が子供の姿になり、子供にしか見えない状態になったりしていたからだろう。まぁ、咲希は喜助の子供姿を見たかどうかなど覚えていないし、まず彼の子供姿がどんな風なのかも分からない訳だが。
「……喜助さんは、ずっとこの家に暮らしてるんですよね」
「まあな。座敷童子は家に居着くもんだしな」
「ですよねー……」
咲希は項垂れる。
気分的には、今から同居人が一人増えますよ、と言われた様な感じだ。
喜助は昔からこの家に住んでいた様だが、咲希には今までずっと彼の姿が見えていなかったのだから、いないも同然だったのだ。
──あぁ、何てとんだ誕生日プレゼント。
今から始まる、この無駄に美しいオッサンとの同居生活の事を思うと、もはや頭痛しかしてこなかった。