前座:我が家の怪奇現象
咲希が物心つく頃には、彼女の家では既に怪奇現象が起きていた。
咲希の家は大きな平屋で、まさに日本!と言った感じの和室のみな造りをしており、一族代々受け継がれてきた家らしい。
一族と言っても、別に高貴な血筋だったり、とてもお金持ちだったりする訳ではない。家が大きなだけで、咲希は祖父母と暮らす普通の母子家庭だ。
初めて体験した怪奇現象では、突然見ていたテレビのチャンネルが変わった。不思議に思った咲希が、一体誰が変えたのか見てみると、何故か空中にリモコンが浮いていた。
幼いながらにギョッとした咲希は、慌てて傍らに座っていた母親の服の裾を掴む。
「お、おかーさん!り、リモコン!リモコン!ふわって!」
拙い言葉で必死に異変を主張する咲希に、母は特に驚いた様子もなく、ただ咲希の頭を撫でた。
「あぁ、咲希はまだ子供だから、あの姿じゃ見えないのねー……」
全く説明になっていなかった。
と言うか、おそらく母は、説明などする気もなかったのだろう。母は結構、面倒臭がりなところや、適当なところがある。
子供だから見えないって何じゃそりゃ、と言う感じだ。「子供にしか見えない」なら聞いた事があるが、「子供だから見えない」など聞いた事がない。
ポカンとする小さな咲希を見て、母は意味深に笑った。
「でも、離乳食食べた後の姿なら、絶対見た事あるわよー」
意味深に意味不明だった。
幼い咲希が困惑していると、向かい側に座っていた祖父が、缶ビールを片手に豪快に笑った。
「咲希が何言ってんだって顔してんぞ!」
男、と言うより漢と言う表現の似合う祖父は、父を早くに亡くした咲希にとって、父親の様な存在だった。
父が亡くなった時、咲希はまだ単語すら上手く話せない程に幼く、正直、父の顔など覚えていない。
そんな父親よりも、祖父の方が咲希は何倍も好きだ。
ゲラゲラと笑い続ける祖父の左横で、今度は缶ビールが浮いた。
咲希は再び目を見開く。
「おかーさん、おかーさん!お、おじいちゃんの!おじいちゃんのが!」
「はいはい、大丈夫よー」
空中に浮かんだ缶ビールを指差して叫ぶ咲希の背中を、母は宥める様に優しく撫でた。手の動きに反して、声音はやはりどこか適当な感じが漂っている。
咲希には独りでに浮き上がった様に見える缶ビールは、宙でふわふわと揺れる事はない。まるで、見えない何かが支えているかの様に、しっかりと安定していた。しかし稀に、まるで誰かが飲んでいる風に、缶ビールは傾いたりする。
「咲希。十六歳になったら、解る様になるよ」
祖父の右隣で、湯飲みを手に祖母が微笑む。優しい祖母も、この怪奇現象に対して、それ以上の説明はしてくれなかった。
何故、誰も説明してくれないのかは解らない。
何か理由があるのかも知れないが、幼い咲希にそんなものが解る筈もない。
十六歳。
十六歳になれば、解る。
咲希はそれから、家の中で怪奇現象に遭遇した時、自分にそう言い聞かせ、原因を追求したりはしない様にした。
原因を追求しようと、家族に聞いても、皆口を揃えて「十六歳になれば解る」と言うだけで、正直なところ、聞くだけ無駄だったのだ。家族以外に聞いても、この家に住んでいないのだから、原因など知っている筈もない。
咲希はひたすら待った。
浮く缶ビールを何度見ても、ただ無言でそれを眺めた。
何が、一人でに浮こうと。
何が、勝手に動こうと。
ただ、ただ待った。
自分の、十六回目の誕生日を。
そして、ついに──
その日を、迎えた。