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ラストウィザード  作者: 森戸玲有
第1章
8/40

 冴えた月の光は、町の全景と、幾槽もの船の輪郭を微かに縁取っている。

 黒い海面に映りこむ、楕円の月は頼りなく揺れていた。

 見たことのない夜景。

 それを今不思議な気分で、エリーは部屋の四角い窓から眺めている。

 坂の上に建っているせいか、奇跡のように景色が美しかった。

 ……値段の割には、上質の宿というべきだろう。ティルのおかげか。


 ―――ティルの?


 はあ……と、深い溜息をついて、エリーは部屋を出る。部屋からの夜景には未練があったが、こうしているわけにはいかなかった。

 女だとばれた時点で、騎士としての人生は終わるだろうと、覚悟をしていたはずだ。

 ……なのに、この展開は一体どういうことだ?

 近衛騎士団入りを許可されて、国王直々の密命を授かった。途方もないことだと思えるような密命も、町に到着してから、たった一日で大きく進展している。

 まるで誰かにお膳立てされているようだ。客観的な見方をすれば、運が良すぎる。

 出来すぎだろう。

 特にティルだ。……怪しすぎる。

 エリーはすでに金貸しに借金をしているという彼女の話を、信用していない。

マスター資格を持つ魔女。いくらエリーが魔術について知識が乏しくても、マスター資格を持っているティルやアイリーンが国の中でも貴重な人材であることは分かる。

 たとえば、彼女が一つ難易度の高い魔術をここで披露するだけでも、町の人は感嘆し、彼女に金を渡すはずだ。人に魔術を見せてはいけない法律なんて、エリーは聞いたこともない。

 何が「魔術使いは影であれ」だ。いまどきそんな戒律は流行らないし、食うに困れば何でもやるのが人間だ。彼女がその気になれば、金に不自由することなどないはずなのだ。


「ああっ! もう」


 暗い廊下を右往左往する。となりの角部屋には、一週間連泊を続けているティルがいるはずだ。前金を供の者が払ってくれたのだと、本人は言っていたが、とても信じられなかった。

 いっそすべて聞き出してしまいたい。

 何しろ、あのあと直ぐにティルは酒に酔ったと言って、部屋に行ってしまったので、何も話を聞くことは出来なくなってしまったのだ。  

 眠っているのだろうか。

 エリーは扉に耳を寄せて、中の様子をうかがった。物音はない。どうしようか迷っていると、いきなりティルの部屋の扉が開いた。


「あっ!?」


 後退したエリーは、ついいつものクセで剣を抜きそうになってしまったが、悲鳴を上げたのは、ティルではなかった。

 そこには、手燭の薄明かりの中、エリーの殺気に竦みあがった中年女性がいた。蝋燭の灯よりも、数段明るい橙色の髪を一つに束ねて、同じ色の服を着ている。、酒場兼()宿()の女将だった。


「女将、落ち着いて。俺だよ、騎士の……」


 明かりをエリーの顔に近づけて、確認した女将は、ようやく安心したようだった。


「ああ、良かった。私本当に斬られるかと思ったのよ。まあ、騎士っていうのは、そういうものなんでしょうけど……」


 そう言い切られてしまうのも悲しい。

 エリーはとりあえず、付け焼刃の微笑みを顔に張り付けて、精一杯愛嬌をふりまいた。


「俺も驚いたよ。まさか彼女の部屋から女将が出て来るなんてな」

「私はちょっと頼まれごとをしまして。それより、何で騎士様がここにいらっしゃるの?」

「いや、別に。俺は、その……」


 エリーは急いで背を向けるものの、女将はその場から離れない。


「もしかして、ティルさんに御用なんじゃないですか?」


 肩越しで、女将の大きな瞳が怪しく光っているのが見えた。


「駄目ですよ。こんな時間に女性の部屋に押しかけるなんて」


 見事だ。型どおりの誤解をしている。


「違う。そんなんじゃ……」


 じゃあ、どういう理由なのだろうと、思ったが、丁度良い言い訳が出てこない。

 女将は重そうな体を揺らして、振り返ったエリーの鼻先まで迫っていた。


「隠さなくて良いんですよ。……お二人は、わけありの恋人同士なのですよね」

「はあ?」


 それは、エリーにとってまったく予期していなかった誤解の更に上だった。


「お部屋を別々にしているのが謎だったんですけど、まあ、たまにそういうお客さんもいらっしゃるし。羨ましいわ」

「――……それは、どうも」


 脱力したエリーは訂正する気力も失っていた。女将はそんなエリーの様子など知るよしもなく、無駄なくらいの至近距離で囁いた。


「ティルさんだったら、今お湯を使ってます」

「湯?」

「そう、湯浴みですね」


 何かを期待されても困る。エリーは女なのだ。


「体を洗いたいっておっしゃったんで、お湯をわかしたんですよ。本当は女性が入浴する時は、私が見張りに立っているんですけどね」

「じゃあ、女将は頼まれごとで、ここに?」


 首をひねると、女将が持っていた刺繍入りの小物入れを見せてくれた。


「鞄は持っていたみたいなんですけど、中の化粧品を忘れてしまったそうで。お肌の手入れをしたいから持って来て欲しいと」

「なるほど」


 案外、うっかりした一面も持っているのだなと、エリーは苦笑するが、同時に一つ気付いてしまった。

 本人に会わなくても、エリーの知りたいことを入手する手段がある。いっそ、ティル本人に問い質すより、そのほうが早いかもしれない。


「その小物入れ、俺が彼女の所に持っていくよ。それと、ここだけの話にしてくれよ。俺と彼女は恋人同士ってことは……」


 にっこりとエリーは笑顔を作る。

 騙せたな……。

 確信しつつも、こんなのは騎士の仕事ではないと泣きたくなる自分がいた。


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