⑤
「――十年前、グローリアで反乱が起こった。その時、反乱軍を指揮していたのがアイリーンという魔女で、現国王はその女性の片腕だったらしい」
「有名な伝説ですね」
路地裏の宿屋兼酒場。
すべての事情に不審を抱いたエリーは、ティルを食事に誘うことにした。最初渋っていたティルも、エリーの奢りだと言ったら、これ幸いにと良い店を勧めてきた。今、ティルは杯の中の葡萄酒をくるくる回しながら、あまり興味なさそうにエリーの話を聞いている。
階段の地下に設けられている酒場は、石壁で天井が低い。隠れ家のようで雰囲気は良かったが、客の数はまばらだった。
「アイリーンは戦争の最中、忽然と姿を消してしまい、反乱軍は危機的な状況に追いやられた。そこに……といっても、それから四年後だが、ティルという魔術師が現れた。男の身で魔術を修めたそいつは、圧倒的不利だった戦局を覆し、現国王を勝利に導いたらしい。俺も最近知ったんだが……」
「そのティルが私だとおっしゃるんですか?」
ティルは微笑んだように見えたが、暗いのでよく表情は窺えない。
エリーは咳払いをした。
「まさか。君は魔女で、そいつは魔術師だろ。だいたい彼らが本当にいるのかどうか……」
「いましたとも」
あまりにも自信たっぷりにティルが言うので、エリーは口に運ぼうとしていた硬い麺麭の欠片を落としそうになった。
「単なる伝説だろう?」
どうせ、実在していない人物の探索を命じて、一生城には帰って来るなと……、そういうことだろうと、エリーは思っている。
「いいえ。ティルはともかく、伝説の魔女アイリーンは魔術を学ぶ者にとっては、憧れの人物ですよ。彼女一人で、三百の兵にも匹敵するほどだったと言いますから」
「しかし、いきなり戦線から消えるなんてことがあるか? いくら、国王陛下を勝利に導いた英雄、聖女だからって、国民の生活が豊かにならなければ、何の意味もないじゃないか。陛下が即位されてから三年、今が大変な時だ。それを……、もし本当にいるのなら、知らないふりなんて出来ないだろう?」
「魔術使いは影であれ」
何のことかと、困惑するエリーに構わず、ティルは続ける。
「古い魔女の教えです。力を持った魔術使いは表に出てはいけないと言います。魔術とは元々自分の力ではなく、女神のもの。女神の力を我欲のために乱用すれば、とんでもないことになる……と」
ふん、とエリーは鼻をならした。
「アイリーンも、ティルも、戦争のために魔術を使いまくったんだろう。国を創るために使ったって罰はあたらないじゃないか」
「ヴァール神は極端な女神なのですよ。復活や再生などは苦手分野なんです。ヴァールの加護でできることって言ったら、……破壊活動くらいなものでしょう」
「さっぱり理解不能だな」
そもそもエリーは本当の魔術というものを一度も目にしたことがない。簡単な治癒魔術だったら見たことがあるが、そんなものは放っておいても治るような擦り傷だった。その程度の魔術で国を変えることが出来るものか。
エリーは、苛々して葡萄酒を一口含んだ。口内に葡萄の香りが広がると、苦味が追いかけてくる。やはり、好きにはなれない味だった。思わず渋い顔をすると、その横顔をティルが見ていた。
……笑っている。
今度ははっきり分かった。
「それでも、そんなに興味がなさそうなのに、魔術について知らなければいけない。……お仕事のためですか?」
酔っているのだろうか、潤んだ流し目を向けてくる。
「――違う」
「そうでしょうか。会った時から、その二人の魔術使いが気になっていらっしゃるように感じますが?」
「俺はただ個人的な興味で、魔術使いについて調べているだけだ」
苦しい言い訳だが、仕方ない。
「興味などないのでしょう? なにやら、誰かから依頼されて調べているという感じですが?」
「そ、そんなことはない」
「まあ、どの城主さまにお仕えされているのか存じませんけど、騎士さまなのですから、私のような庶民には話すことの出来ない事情をお持ちなのでしょう」
やけに、物知り顔のティルが気になる。
本当にこの女性はあんな低俗な金貸しから金を借りたのだろうか?
エリーは落ち着くために、途中だった食事を再開した。
「俺はマスター資格を持ったティルという魔術使いが、性別は違うとはいえ、この世に二人存在していたことに驚いているだけだ」
「へえ……」
「何だ?」
「いえ、なぜ、ティルがマスターのクロスを持っていると、エリオット様はご存知なのですか?」
知っているとまずいのだろうか。フェルディンからそんな話は聞いていない。
「ゆ、有名じゃないか。君は魔女のくせにそんなことも知らなかったのか?」
「……ええ、まったく」
エリーの苦し紛れな虚勢に、ティルは無感動に頷きながら、自分の杯に葡萄酒を注いだ。ついでにエリーの杯にも酒をつぐ。
「……まあまあ。騎士さまも一杯どうぞ。あれ、お名前、エリー……何でしたっけ?」
「俺の名前はエリオットだ!」
ティルはエリーが女であることを知らないはず。出会って一日、正確にはたった数時間だ。まだばれるはずがない。男装の騎士なんて、そうそう感づく者はいないはずだ。
そうたかをくくりながらも、エリーは思わざるを得なかった。
彼女はすべてワザとやっているのではないだろうか……。