④
……一体、自分は何をやっているのだろう。
エリーは剣の柄に手を置きながら、柄の悪い二人の男と対峙していた。 純白の神女服を身につけた女性は、エリーの外套をしっかりと掴んでいる。
――密命を授かり、王都を出て、南西の方角に一週間。
徒歩では二週間かかる道程を、馬を飛ばしてようやくたどり着いた。
サンセクトの町……。
エリーにとって、初めて訪れる町で、まさかいきなりぶつかった女性に助けを求められるなんて、夢にも思っていなかった。しかし、巻き込まれたとはいえ、エリーにも騎士としての誇りがある。
かよわい女性を助けるのもエリーの役目だ。大きく息を吸いこむと、エリーは眼光鋭く男たちを睨みつけた。
「何の騒ぎだ?」
「女を渡してもらおうか。騒ぎはごめんなんでね。大人しく渡してくれれば、あんたには危害を加えない」
中年のヒゲ男が、逸る若い男を制してエリーに言う。
エリーだって目立つのは嫌だった。一応、国王から直々の命令を授けられている身の上だ。こんな所で派手に乱闘騒ぎを起こして有名になるつもりはない。
しかし、ここで脅えている女性を、騎士として見捨てるわけにはいかなかった。
「渡したら、この女性をどうするつもりだ?」
エリーは、男たちが手にしている短剣に目を向けた。
「女性一人相手に、随分と手荒じゃないか?」
「この女が金を……」
「だから、ごめんなさいって、何度も謝ってるじゃないの!」
エリーの背後から、意外に強気な声がした。
「借りたお金は必ずお返ししますから、少しだけ待って欲しいって言ってるだけなのに、どうして私にそんな物騒な剣を突きつけてくるの?」
「はあ。借りただと? 綺麗な顔して何言ってるんだ。お前は……」
若い男の呆れた言葉を遮って、女性が叫ぶ。
「私が悪いのは分かっています! でも、今はお金がないんです。あと少し経ったらまとまったお金が手に入りますから、……ですから!」
エリーは盛大に溜息をついた。
「金貸し業も大変だと思うが、返済に関しては両者できちんと話し合う必要があるのではないか? 無抵抗の女性を二人がかりで追い回すなんて、男として情けないだろう?」
「うるせえな。女、女って言うけど、あんただって、女みたいな面してるじゃねえか?」
「何だと?」
「女を渡してもらおう」
男たちは示し合わせたように、二手に別れて、エリーの後ろへ同時に手を伸ばした。
エリーは慌てずに、まず短剣を突き出してきた若い男の足を引っ掛けて転ばせると、それから中年の男に肘鉄を食らわせ、尻餅をつかせた。
中年男の伸びた顎ヒゲの前で剣を止めると、男は脅えきった顔でエリーを見上げていた。
「部下の教育はきちんとするものだな。騎士に対して侮辱的な言葉を吐くなんて、身の程知らずもいいところだ」
「くそっ」
がたいの良い中年男は体を小さくして、両手をあげた。エリーは冷徹な笑みを浮かべて、剣をおろす。
女みたいだと言われたことが気に入らなかった。女にさえ生まれなければ、こんな町に来ることもなく、エリーは今頃意気揚々と近衛騎士団に入団していたのだ。
「じゃあ、行け。彼女が悪いということは俺も知っている。後日きちんと金は返すように説得する」
ようやく立ち上がった若い男が渋々頷いて、中年男を抱えて去っていく。
エリーはほっと一息をついて振り返った。
「今日のところは大丈夫だろう」
「本当にありがとうございました」
女性は深々と頭を下げていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
――うわっ。
エリーは驚きで、しばらく言葉を失った。
絶世の美女だった。
背中まで伸びた金髪に、宝石のように輝く碧色の瞳。神の奇跡と称したいほど、無駄のない部品で作られた女性には、ゆったりとした純白の神衣がおそろしいくらい似合っていた。
本当に同じ人間だろうか……。
もしも、エリーが男だったのなら、彼女の色気にどうにかなってしまっていたかもしれない。
完璧な容姿に圧倒されながらも、ようやくエリーは剣を鞘に戻して、女性と向き合った。
「礼には及ばない。しかし、何だってあんな奴らから金を借りたんだ? 大体、神女が一人で旅に出るっていうのも不自然な話だろう。見たところ、供もいないようだし」
エリーは一度だけ、大神殿に行ったことがある。祭祀の護衛に関しての簡単な打ち合わせだったのだが、団長から神に仕える神女に失礼がないように、一通りの説明は受けた。
簡単なことしか教えられなかったが、神女の服装くらいなら分かる。
「君の、その白い服は、ヴァール神に仕える神官のものだ」
「別に私は神殿勤めをしているわけではないですよ。『魔術』、今風に言うのなら、『神の奇跡』を勉強しているんです」
女神のような容姿に、癖のない笑顔を乗せて女性は言う。こんなにも感情豊かな神女もいるとは、正直エリーも知らなかった。
「しかし、結局のところ魔女が魔術を勉強しているっていう話だろう?」
「まあ……、そういうことになりますね」
今でこそ、ヴァールは「神」として崇められ、国民のほとんどが信仰している女神であるが、その昔は、激しい気性から「邪神」として扱われ、信仰者は国から迫害を受けていたらしい。
現代の選り分けとしては、近代に構築された術を「神の奇跡」、それを実行する人間を「神女」、「神官」と呼び、古い時代から伝わる術を「魔術」、古の術の継承者を「魔女」、「魔術師」と呼ぶ。つまり、彼女は「神女」でもあるが、「魔女」でもあるのだ。
エリーは、国王の密命を思い出しながら、目の前の女性に尋ねた。
「……で、君が魔女であることと、あんな奴らから金を借りたことと何の関係があるんだ?」
「この町に来る前に追いはぎにあって、お金は殆ど持って行かれてしまったんです」
「そりゃあ、また何て罰当たりな……」
仮にも神女を襲うなんてどんなヤツだろうと、エリーは腹が立った。
「連れが故郷からお金を持って来てくれると言うので、私はこの町で待っていることにしたんです。だけど、一週間経っても、連れは戻って来なくて……。滞在費も尽きてしまったので、もうどうしようもなくて」
「いくら借りたんだ?」
「ほんの少しです。連れが戻ってくれば返せる額ですよ」
エリーは、やっとまともに見ることが出来るようになった女性の顔から、全身を見下ろす。――と、広口の袖からすらっと伸びている白い腕が目に止まった。
袖口に施されている金色の刺繍のせいではない。
――腕輪だ。
黄金の腕輪が夕陽の中できらきらと光っていた。
「その……、腕に光っているのは、もしかしてマスターのクロス?」
「まさか、ご存知なのですか?」
女性は驚いた様子で、袖をめくりあげた。
露わになった金の腕輪を、エリーによく見えるように掲げる。
「魔術を深く研究している人間以外は、あまり知らないと思っていたのですが、マスター資格までご存知だなんて、すごい騎士さまですね」
エリーだって、知らなかった。フェルディンに説明されるまでは、魔女の世界のことなどこれっぽっちも興味がなかった。
「マスター資格のクロスを持っている魔女っていうのは、グローリア神統協会が『弟子を持っても良い』と許可した存在だって。試験も難しいって聞いたけど?」
「ああ、でも、私は治癒魔術専門で、やっと資格を頂いただけなんで」
治癒専門?
そこまで詳しい「魔女」の説明は、フェルディンの口からはなかった。
しかし、彼女が腕にしている金のクロスが本当に「マスター資格」で、彼女が「一流の魔女」であるのなら、エリーはまだこの女性と、ここで別れるわけにはいかない。
――いや、……いかなくなってしまった。
「一番、肝心なことを聞いてなかったね。俺はエリオット=クラウディア。君は?」
暗くなってきた町に、少しだけ陰影を宿した女性の艶やかな笑顔がある。
エリーは信心なんてものをまったく持っていなかった。
だからこそ、素直に女性の立ち居姿が「影」の部分を有しているヴァール神そのものに見えたのかもしれない。
その名前はエリーにとって、雷撃に等しいものだった。
「私の名前はティル。……ティルと申します」
「えっ?」
エリーは身震いをした。
『魔女アイリーンと、魔術師ティルを陛下の御前に連れてくること』
それが国王から下された密命の内容だった。