③
――港町、サンセクト。
背の低い白塗りの建物が夕陽色に染まる頃、狭い路地をティルは走っていた。
白い神官服は橙色に染まり、さらさらの長い金髪は向かい風になびいていた。
石畳の上を飛ぶように走る。風のような速さを維持しながらもティルは汗一つかいていない。むしろ、ティルを追う男たちは、疲労が限界に達しつつあるようで、前のめりになって走りながら、今にも倒れてしまいそうな様子だった。
「姉ちゃん、追われているのかい?」
露天商の男が下心のありそうな笑みを浮かべて、声をかけたが、ティルは唇を緩めるだけで、速度は落とさなかった。
表通りから一歩奥に入ると町は迷路になっている。最近やっと覚えた緩やかな坂をティルは駆け下りた。そろそろ行き止まりだと直感して、少しだけ後悔する。
「さて、どうしたものかな?」
艶のあるその声は、激しい動きとは正反対に冷静なものだった。
追っ手たちは、毎度撒かれているのが癪なのか、ここに来てもまだ諦めるつもりはないらしい。感心はしているが、客観的に見て自分が窮地であることには違いない。
いっそ捕まってしまおうか?
そんな考えがティルの頭をよぎる。それもいいと思った。捕えられても抜け出せる自信が確かにティルにはあった。
だが、ぴたりと足を止めたのは、その考えを実行するためではなかった。
夕陽の届かない路地裏に黒い人影を見た。
ティルはなぜ、自分が立ち止まったのか分からないまま、目を凝らし確認する。人影は徐々に輪郭を露わにした。まだ性別は判断できないものの、華奢な体つきをしていた。
ゆっくりと前進してくるものの、ティルが見る限り、所作にまったく隙がなかった。腰を落として、知らない土地を敵地のように注意深く歩いている。
影だと思ったのは、無理もない。烏色の髪と、黒い外套。全身真っ黒だ。
腰の部分が盛り上がっているのは、長剣を差しているせいだろうか。
――騎士か。
それも、きちんと訓練を受けた上質なヤツだ。
一目でティルは見抜いた。
しかし、騎士はたった一人だ。他に連れはいないらしい。
なぜなのか……。しかし、すぐにある憶測が生まれて、苦笑が零れた。妖艶な碧色の瞳に、悪戯を考えた子供のようなあどけなさが宿る。ティルは止めていた足を再び動かし、即興で涙目を作った。
緊迫感を漂わせて騎士にぶつかると、その胸倉を必死の形相で掴んだ。
「助けて下さい。追われて……」
だが、計算高い、月並みな言葉はそこで途切れた。初めて直視した騎士の顔は、ティルが今まで知っているどんな男よりも凛々しかった。
「本当に騎士?」
「いいから下がれ!」
騎士は中性的な声音で一喝すると、ティルを背中にかばって剣に手をかけた。