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いつからだろう……?
女は揺れる馬車の中で、全身に突き刺さる痛みに耐えながら考えていた。
女がまだ幼かった頃、母親は世間から隠れるように、貧しい生活をしていた。
何でこんなに貧しいのか、女には分からなったし、母にはなんだか恐ろしくて聞くことも出来なかった。ただ、女はこんな暮らしから絶対に抜け出してやろうと強く誓っていた。
当時、女性が手に職をつけるのなら、神女になるのが手っ取り早かった。
支給金も国から出る。何より体の弱い母に奇跡の業を施してやりたいと思った女は、神女に弟子入りをして、夢を果たそうと考えていた。
――しかし、そんな将来の展望は呆気なく砕かれることになった。
……女の父は、国王だったのだ。
女の母は妃の嫉妬を怖れて逃げていたらしい。
女は無理やり母親から引き離された。
それからだった。女の人生すべてが狂ってしまったのは……。
義兄の玩具となり、絶望の末に生んだ子供は、自分の子供として育てることすら出来なかった。
そして、義兄の気まぐれで捨てられた後、嫁いだ名門貴族の男は、まるで妻に無関心で、たいした会話をすることもなく、わずか数年で死んだ。
……すべてが馬鹿馬鹿しかった。
そんな時に、内戦が起こった。
女は悲惨な状況を領地で目の当たりにして、独り固く決意をしたのだ。
――私はこの国と結婚しよう。
この国にあだなす者は何人たりとも許さない。
たとえ、それが国王であっても。
女はその瞬間から、一度も涙を落とすことはなかった。
強くならなければいけないと思った。
誰にも弱みを見せない強い人間にならなければ……。
振り返るものか。
自分の進む道は正しいのだと懸命に言い聞かせた。
……でも。
――いつからだろう。
それがどこかおかしいと感じるようになったのは……。
アイリーンという女性のマスタークロスを、ミルディア領主から渡された。
ミルディア領主は娘の遺品を集めている最中で、そのクロスを発見したという。丁度良いと思った。計画に役立てようと女は思ったのだ。
女はクロスを使って、アイリーンの姿を手に入れた。
だが次第に女は、アイリーンという一人の女性に興味を抱きはじめた。
彼女は自分と同じ目標をもっていた。
魔術を……、神の奇跡を体現しようした女性。
その鮮烈で華やかな人生は女の心を大きく揺さぶった。
……羨ましかったのだ。
女はアイリーンを利用するつもりで、いつの間にかアイリーンに取り込まれていたのだ。
「馬鹿ね。もっとやりようがあったでしょうに……」
乱れた息で自分を嘲笑する。
術は返された。
しかもヴァール召喚という古の魔術で……。
その反動が女の体を蝕んでいる。
しかし、死にはしない。
ヴァール神にすべてを破壊される前に、意識を本体に全部移し変えた。
まだやれる。
サンセクトは惜しいことをしたが、まだ計画は続行できるはずだ。領地イリカに入れば、すぐにでも軍を動かすことができる。
国王は暢気にミルディアに来たくらいだ。まさか女の自分がこんなに早く兵を挙げるとは思ってもいないだろう。
どちらにしても、国王ウィラードは女の計画に気づいていてる。
今挙兵しなければ、むしろこの身が危ない。
だが、女の気持ちとは裏腹に、馬車は急停止した。
「何!?」
窓を開けて、外を見る。薄い霧が静謐な空気に流されていくと、女は目の前の光景に唖然とした。女の視界にあるのは、イリカではなく、
――最強の要塞と誉れ高い、白の城壁に抱かれた王城セイレンの姿だった。
そして、銀髪の小柄な男が屈強な男たちを引き連れて、目前に立っていた。
執務官クレイ=フェルディン。
国王の腹心だ。女もその顔だけはよく知っている。
「これは、当然王命ということなのでしょうね……」
女は窓から顔を出して言う。
クレイは縁のない眼鏡を押し上げて神妙な面持ちで告げた。
「お怒りですか? ……でも、これは貴方のためでもあるんですよ」
「私のためですって?」
女はいまだ苦しい体を騙して、毅然と背中を伸ばして馬車から降りた。
「アリスタは動きません。貴方が兵を挙げても、再び内戦が始まるだけでした」
「さっぱり意味が分かりませんわ」
どういうことかと思いながらも、女は知らない振りをするしかなかった。
しかし、状況は女が予想していたより、はるかに最悪なものだった。
「アリスタは国王が新しくなったそうですよ。つい先日のことですが、穏健派のクロード様に王権が譲位されたとか。王宮内部で反乱があったそうです。恐ろしいですね」
女は男が何を言わんとしているのか、刹那に悟った。
だから、あえて説明は求めなかった。
女はこの男と、ウィラードが裏でアリスタの政変に関わっていたことを察知したのだ。
「元皇太子のアデル様は、残念ながら急な病で身罷られたと聞きます」
無表情を装う。
「――そう、死んだの……」
女の呟きは、降りだした小雨に吸い込まれて地面に落ちた。
「陛下はお悔やみを述べ、新条約を締結するため、極秘裏にアリスタ国に赴きました。そのうち戻られることでしょう。それまでアセンフィート統轄大臣には、ここで待機していただきたいとの陛下のご命令です」
女は腕に落ちた肩掛けを羽織り直した。
凛然とした笑みを精一杯浮かべて、銀髪の男のもとに赴く。
こんな時、あの聖女アイリーンならどんな顔をしただろうか。
そんなことを考えていた。




