④
エリーは困惑していた。
スタンリーは優れた人だ。
エリーも出来れば、スタンリーを国王側に引き入れたいと思っていた。
だが、ミルディアでの説得は実を結ばなかったはずだ。結局、町長によって中断されてしまったし、スタンリーは大臣の計画自体には賛成だった。
――なのに。
これでは、まるでスタンリーはエリーたちを助けに来たようではないか。
「どうして?」
「そこの神女に連れて来てもらったんだよ」
ティルはこくりと頷いた。
「アイリーンが登場したのなら、領主に来ていただくしかないと思ってね。一日ちょっとでミルディア、サンセクトを馬車で駆けてきたんだよ。幽体飛ばして領主を説得したりして。………本当に疲れたよ」
疲れたのは俺だ、と馬車の御者をやっていたというイサがティルを押しのけて、前に出た。スタンリーはその光景に微笑むと、急に顔をひきしめて、前を向いた。
アイリーン=統轄大臣がそこにはいた。
「聞きましたよ、大臣。……何もかも。最初はまだ私も揺れていた。様子を見ようとも思った。しかし、町長がこんなことになってしまった以上、私も黙っていられない」
ふっきれたスタンリーの口調に、大臣は一瞬だけ顔をひきつらせた。
「貴方はウィラード国王陛下にお会いになったそうですね?」
さあ……、と言いかけた大臣の言葉を、スタンリーは鋭く遮った。
「もう下手な芝居をするのはやめて下さい。貴方だって分かっているはずだ。私が現れた時点で何もかもおしまいだということを」
やむなく大臣は沈黙した。
「貴方は国王陛下に会った。信じたくはありませんでしたが、この状況で敵対する国王に味方になれと言うのは、どういう了見かと。いや、それよりも……、私は何も聞いてない」
エリーもそんなことは知らなかった。
そもそも、ティルがどうして、大臣と王都にいるはずのウィラードが会ったことを知っているのだろうか。
……やはり?
「このサンセクトの税率に関しても、貴方がきちんと町長を監視しているのだと信じていた。ここまで苦しくなるまで、町長を使って貴方が取り立てているとは知りませんでした」
スタンリーはそう言うと、大臣から町人の方に向き直り、深々と頭を下げた。
「すまない。近年ミルディアでは、フローラルナイトの採掘量が減っていて、財政難だった。しかし、私はミルディアに押し寄せてきた難民を追い出すことは出来なかった。ミルディア全体で税を上げたが、貧しい人から税は取れなかった。……だから」
「仕方なく、サンセクトだけ税金を上げたというんですか?」
ティルが淡白に尋ねた。それに浅くスタンリーは頷いた。
「すべての領民が慎ましく暮らすためには、この町の豊かな財源をわけてもらいたかった。それでも、そんなに高くした覚えはない。依然、ミルディアは苦しかったし、結局、私はアリスタと密貿易をして、財を築くしか方法がなかった」
「領主……」
エリーがそっと近づくと、スタンリーは首を振って、来ないように牽制した。
「私もまた最低な人間だ。だんだんそんなことをしている自分に耐えられなくなってきた」
「それで、ここでまき上げた莫大な金を使って戦争なんか始められた日には、サンセクトの人たちも報われないよね。美談でも何でもない」
「ティル!」
エリーが怒鳴りつけると、ティルは横を向いた。
「いや、彼女の言うことは正しい。税金で反乱しようとは考えなかったが、密輸で得た金を使おうとしていたのは事実だ。どちらにしても、私が汚いということに変わりはない」
スタンリーはそう吐き捨てる。やっと町の人間もスタンリーの言っていることを理解してきたようだったが、言葉が出てこないようだった。皆硬直している。
「貴方も謝罪したらどうですか? 大臣」
エリーが腕を組んで大臣を睥睨する。無反応の大臣にスタンリーがとどめを刺した。
「私は城を出る前に、ミルディアの軍隊をこちらに向かわせることを決めました」
「何?」
大臣は目を大きく見開いて、驚いた。
エリーも信じられなかった。しかし脅しではない。
スタンリーは本気なのだ。
「どういうつもりなのかしら? ミルディア軍をサンセクトに派遣するというのは?」
「直属の精鋭部隊を先遣隊としてこちらに送ります。抵抗すれば貴方を捕らえる」
「愚かなことを」
「貴方も私も最初から愚かではないですか」
大臣は開き直ったのか、とても聖女とは思えない、壊れた笑いを部屋一杯に轟かせた。
「笑えるわよ、スタンリー。貴方は彼らの言うことを鵜呑みにして、憎んでいる国王陛下に追従するつもりなの?」
「そんなつもりは、まったくありませんよ。ただ、貴方のやり方では、国は変わらない。私はここで貴方を捕らえて、情報を公開し、この町がこれからどうあるべきか、町のみんなに決めてもらう。私は今回の反乱には参戦しませんよ。やはりまだ死にたくないんです」
「面白いことを言うわね。一体……、私達の道は同じだったんじゃなかったのかしら?」
「――最初から違っていましたよ」
スタンリーは乾いた声で明言した。
「貴方は遠い未来を見ていた。私はただ足元にある現状を見ていた。お互いに見ていたものが違っていたんです。そして、私は過去を、娘の残像を見るのもやめた。そこのエリオットくんに教えられたんです」
突然名前を呼ばれたエリーが向くと、スタンリーの温かい笑顔が返ってきた。
……説得は失敗したわけじゃなかったのだ。
大臣はもはやスタンリーの心が揺るがないことを知ったのだろうか。特に取り乱すことはせずに、窓の外に瞳を走らせた。
「貴方とは、良い関係でありたいと、そう思っていたのに、残念だわ」
その言葉には感情というものが欠落していた。辺りには緊迫感が漂っていた。 ほとんどの人間がアイリーンの変貌ぶりについていけないようだった。
「今ならまだ間に合う。サンセクトから手をひいて下さい」
「私が大人しく投降すると思う?」
二人の間に割り込むように、ティルが叫んだ。
「貴方には本体があるでしょう。とりあえず、そのクロスを返してよ!」
ゆっくりと、大臣は神女服を翻して、ティルに微笑みかけた。
「若い神官さん。まだ終わってないわ。だからクロスはお預けよ」
「それはどういう?」
問いかけながらも、すぐにエリーにも分かった。最悪な予感がした。
「ねえ、こういうのはどうかしら? アイリーンは、町長を殺した神女と対決することになった。その戦いでここにいる町の人間と、駆けつけたミルディア領主が巻き添えになってしまった。……どう? 幸い、そこの神官さんはヴァールの大祭期間中に魔術を使うという禁忌も犯しているわけだし、裁きやすいわ」
大臣は部屋全体をぐるりと見回した。集まっている町の人間は三十人くらいだろうか、皆、ついていけない話の展開に動揺していた。
「随分、強引な話ですね」
ティルが笑えない冗談だと言いたげに、肩を竦める。
「でもアイリーンならば、少しくらい出来の悪い話でも、真実だと思い込ませる力があるはずだと、私は思うのだけど?」
「そうですね」
エリーはしのびやかに剣を抜いた。
「エリー!?」
止めるティルの声を後ろに聞きながら、エリーはローブを脱ぎ捨て、大臣へと疾走した。
「その前に貴方を斬る必要があるようだ」
「えらく短気な騎士ね。嫌いじゃないわ」
それは戦いの合図だった。振り上げた剣は、見事に大臣のクロスの前で跳ね返された。
エリーは怯まない。むしろ微笑んだ。
「高位術者と戦えるなんて、俺は光栄ですよ」
「貴方も面白いことを言う子ね」
「……ああ、もう何やってるの!? あんたはまだ寝てないといけない怪我人なんだよ!」
後ろで悲鳴を上げるティルに、振り向かずにエリーは言った。
「ティル、イサと一緒に領主と町のみんなを連れて逃げるんだ」
「おい、騎士さん!」
イサにもきちんと聞こえていたらしく、不満いっぱいの声が響く。エリーは苛々した。
「時間がないんだ!」
それは、エリーの体のことだった。いつまで持つか分からない。
激しい目眩に、平衡感覚がなくなりつつある。こんな体調で、大臣の相手がいつまで出来るかエリーにも未知数だった。
「仕方ないなあ……」
「頼む」
「エリオットくん、私は最後まで……」
スタンリーが何か言いかけていたが、イサが引き摺って部屋から出て行くのが分かった。
エリーは大臣を威嚇しながら、後ろで動けなくなっている町の人間に言い放った。
「みんな逃げろ! ここにいると死ぬぞ!」
「う、嘘だろ!」
「死ぬ」という言葉が効いたらしい。みな押し合い、圧し合いで一斉に部屋を出て行った。
しかし、予想した通り、最後にティルが残った。エリーには気配で分かる。
「ティル、お前も行け。アイリーンのクロスは俺が取り戻してやる。元々ミルディアで取りそこなったのは俺だ」
エリーは、じりじりと間合いを詰めながら言った。
「お前があの姿を相手にするのは酷だろう。……だから、俺がやる」
エリーは冷静に大臣の腕を注視していた。
長きに渡って、神統協会に君臨している女性だ。
当然、高等魔術も使うだろう。
アイリーンのクロスをしている以上、彼女の使う術は、ティルと同じ、神女のものとは違うはずだ。
大臣に魔術を使わせてはいけない。
エリーに出来ることは、大臣が術を使う寸前で攻撃をして防ぐことだ。
「行けっ!」
「――分かったよ、エリー」
エリーは、ティルが部屋から走り去っていくのを察知すると、大臣が放った炎を避けるために、高く飛び上がった。真っ赤な炎はエリーが今までいた石の床で燃えていた。
「石の上で炎上する火?」
――分からない。
予想はしていたものの、大臣の攻撃はエリーの今までの経験でどうにかできるものではないのかもしれない。
エリーはその後も襲い来る攻撃をぎりぎり避け、とにかく、大臣の間合いに入ろうと必死に走った。
「頑張るわね、男装の騎士さん。さすが近衛騎士。こんなに魔術を使って、傷一つ負わなかった人を私は初めて見るわ。だから、ご褒美に猶予してみたの」
「どういう意味だ?」
エリーは激しい運動のためなのか、抜けきってない毒のためなのか、分からないままに流れ落ちる汗を腕で拭った。
「貴方、本当に魔術を知らないのね。高位術者が本気になれば、この程度の屋敷を吹き飛ばすことなど簡単なのよ」
「まさか……」
「幸いこの部屋は屋敷の一番奥で、窓の下は崖だから、素人が逃げることは大変ね。今頃やっと入口に近い場所に到着した感じかしら? ……そろそろ良い頃ね」
「ま、待て! ティルがいる。いざとなったら、あんたの術なんか……」
「それは無理ね」
大臣は言下に否定した。
「彼は術を制御できない」
「何だって?」
エリーはティルの術をシザ山中で目撃したのだ。信じられるはずがない。
「ミルディアで彼の術を見物させてもらって確信したわ。制御が出来ないということは、術師としては致命的ね」
大臣は手中に目に見えない何かを集めているようだった。
『汝、ヴァールの名において 我闇の光に……』
呪文詠唱…………!?
「させるか!!」
エリーはありったけの力を振り絞って、駆け抜けた。酷薄な笑みを仮面のように貼りつけた大臣が空間を切り裂くような、雷撃を片手で放つ。
――避けろ!
直前までエリーは自分の体にそう念じていた。大臣もそう思っただろう。しかし、エリーは避けなかった。銀色にきらめく剣を横なぎにして、
…………切った。
「雷を叩き切った?」
驚愕の面持ちで、大臣が呟く。
エリーは動きを止めなかった。
唖然としている大臣の間隙に入り込み、肩から斜めに斬り裂いた。
――斬った。
肩を上下させながらエリーは確信した。
勝ったのだと。
生々しい感触が手の中に残っている。
肉を断った感じではなかったが、見えない何かを切った実感はあった。
「クロスを……」
一気に力が抜けたエリーは、足元にアイリーンのクロスが落ちてないか目を凝らした。だが、おぼつかない。視界がゆらゆらと揺れていた。
……危ない。
自分でも分かった。これで、もしも大臣が滅びてなかったら?
嫌な予感がしてエリーは、体をぶるっと震わせたが、次の瞬間それが予感ではなく、現実になっていたことを知った。
刹那、エリーは自分の鮮血が宙に舞うのを見た。




