②
目が覚めたのは、慌しい群集の足音のせいだった。
エリーは勢いよく体を起こしてから、まだ本調子に戻っていないことを知った。
「だるい……」
頭が回らない。ここは何処だ?
見覚えのある質素な白い屋内と、微かな潮の香り……。
どうやら、エリーはサンセクトの宿に帰ってきたようだ。
「ああ、そうだったな。俺は……」
ティルは何処に行ったのだろう。
……それよりも、この異様な殺気は一体?
エリーはよろけながら、窓際に近づいた。
窓の外は、エリーの想像通り、物々しい雰囲気が満ちていた。
鎌や鍬を持ったサンセクトの町民たちが行進をしている。行商人の姿はない。 数日前にエリーを包囲したように、険しい面持ちで何処かを目指している。
「一体、何事だ?」
エリーは、慌てて枕元にあった剣を取って部屋から出ようとしたが、自分の格好に気がついて仰天した。
……花柄の寝巻き姿だったのだ。
「なぜ?」
「あら、もう目を覚ましたんですか?」
「お、女将?」
振り返ると、女将が湯気の立つスープを乗せた盆を持って、扉の前に立っていた。エリーは直ぐにこの寝巻きが女将のものであることに気がついた。
「あの、女将。この格好は?」
「私の寝巻きですよ。合いませんでしたか?」
「いや、そうじゃなくて……。俺はすぐにでかけたいんだ」
エリーは、寝巻きの釦をはずしながら、早口で言った。
「俺の部屋にある荷物の中に代えの服があるんだ。それを持って来てくれないか」
しかし、女将は動かない。その場で突っ立ったままだ。
「女将?」
訝しげにエリーが顔を上げると、女将は、
「エリーさん」
深い溜息をついて、寝台のわきにある小さな机にスープを置いた。
その名前でエリーを呼ぶということは、女将はすべて知っているのだろう。
次の言葉は待たずとも分かる。エリーは先手を打った。
「まあ、無理もないよな。女将が着替えさせてくれたんだろう? 俺が女だってバレてしまったわけだ。そりゃあ、驚くよな」
「驚きましたよ」
「騙しているつもりはなかったんだ。一応これでも騎士であることは確かだし……」
ばつが悪くなって、横を向いていると、女将はつかつかとエリーに近づき、鼻の上を指差した。
「ティルさんから厳重に言われました。貴方のこと、せめて数日は、安静にしておくように見ておいて欲しいと」
「くそっ。ティルのやつ」
「恨み言を言っている場合じゃないでしょう。今休まなければ治るものも治りません」
「大丈夫だ。もう治ったし……」
「そういう問題じゃないでしょう」
女将の迫力にずるずると寝台に引き戻されそうになったエリーだったが、寸前のところで踏み止まった。
「そうだ。非常事態なんだ、女将。一体町で何が起きているんだ? 俺は一体どのくらい気を失ってたんだ?」
「まったく、もう」
女将は首をがっくり垂れて、エリーに熱いスープを押し付けた。
「どうも」
エリーは急いでいたが、仕方ない。寝台に腰を掛けてスープを啜りながら、女将の反応を待つ。
とうもろこしの甘みが伝わると、エリーはようやく腹が減っていたことに気がついた。
女将はエリーが落ち着いたのだと思ったのだろう。ようやく手前の椅子に腰をかけて、こう言った。
「エリーさんがここに来たのは、一昨日の夜ですよ」
「一昨日? そんなに眠っていたのか。俺は!」
「俺じゃないでしょう。私でしょう」
呆れ顔で女将が嗜めるが、エリーはそんなことは聞いてなかった。
「ティルは何処に行ったんだ!?」
「さあ」
「女将!」
エリーは中腰になって女将の肩を揺さぶった。女将は目を回したらしい。ようやく口を開いてくれた。
「本当に知りませんよ。ティルさんは待っていたイサと共に直ぐにどこかに行ってしまったんです」
「イ、イサがここにいたのか?」
「イサは私の息子ですよ」
――はっ?
あまりにも女将がすんなりと告白したので、エリーは言葉が出てこなかった。
「もう何年も会ってなかったんですけど、半年前にふらりと帰ってきたんです」
「帰ってきた?」
「ええ。あの子はミルディアに住んでいたんですよ。私の夫は五年前に亡くなって、当時は内戦の真っ只中だったものだから、私一人であの子を育てることが出来なくてね。やむなく兄に預けたんです」
「そ、そうだったのか……」
今頃になって、イサの発言がエリーにはやっと理解できた。
彼は本当にこの町に久しぶりに里帰りしたのだ。
大柄な女将とひょろりとした体躯のイサはちょっと見た程度では親子には見えない。
しかし、親子だと告白されれば、笑ったときの目元が似ているような気がした。
……何で、もっと早く気がつかなかったのだろうか。
「金貸しの下っ端になって、私のお金を取り戻して来るって息巻いて行ったんですけどね。結局お金を取り返して来たのはティルさんでした」
「ティルは、イサの正体に気がついたんだな」
「うちの宿の名前は「シリル」っていう、女神の名前でしょう。女神の夫といわれているのがクロッセル。イサ=クローセルって名前を聞いて、ピンと来たって、ティルさん、楽しそうに言ってましたよ」
「知ってたんたなら話せよな。アイツ……」
しかし、今そんなことを言っても仕方がない。
この事件が解決したら魔術史の勉強をしようと心に誓って、エリーは女将に向き直った。
「重要なのはその先だよ、女将。二人が何を話してたか聞いてなかったのか?」
「――知りませんよ」
「あくまで知らないを貫くつもりだな、女将。まあいいさ。町の人が向かっている場所に行けば、目的はおのずと分かる」
エリーは綺麗に平らげた食器を机に置いて、剣を片手に立ち上がった。
服は自分で何とかするしかない。部屋に荷物が見当たらない以上、女将かティルと共謀してどこかに隠したのだろう。だったら、仕方ない。
「武器は手元にあるんだ。この寝巻きで行ってやるさ」
開き直ったエリーは、ふとよろめいた体を剣で支えて、部屋を出た。その肩をエリーと同じくらい大きな手が掴んだ。
「こんなことなら、剣も取り上げておけば良かったわ」
「女将?」
振り返ると、憮然とした表情の女将がいた。。
「……どうせ、止めたって無駄だということは分かりました。それなら、きっちりと話しを聞いていって下さいよ」
「イサとティルの居場所を教えてくれるんだな。女将」
「いいえ。私は本当に何も知りません」
「はあ?」
「私が知っているのは……」
女将は窓の下を一瞥してから、いつもより小さな声で喋った。
「一昨日、アイリーンがサンセクトに現れたってことくらいです」
「何だと?」
「なんでも、アイリーンは、町長がサンセクトで不法に徴収した税金の一部を着服していることを訴えたそうですよ」
「そんな……」
仲間割れか?
いや、違う。きっと統轄大臣は最初からそのつもりだったのだろう。
「しかも、この苦しい町の現状を知りもせず、ミルディアの祭りにのこのこと招待されて行った。町の人間は怒り心頭です。町長は屋敷で捕らえられたようですよ」
「――だから、あんな武器を持って……」
エリーは町のただならぬ状況にいてもたってもいられなくなった。
「アイリーン信奉者も、心根では町長が悪いと思っていましたらね。今回、アイリーンという後ろ盾を失った町長は厳しく責められるでしょう」
「何てことだ」
ここで町長に何かあったら、悪事の証拠がくなってしまう。
統轄大臣を裁くことが一層難しくなるだろう。
本格的に急がなければならない。
焦燥感にかられているエリーにそっと渡されたのは、替えの服だった。
「寝台の下に荷物を隠していたんです」
イサと良く似た女将の笑顔に、嫌な予感がしたエリーは忙しなく着替えながら、言い放った。
「先に言っておくけど、女将、あんたは連れて行かないからな」




