②
窓辺に立つ長身の男は、城から去っていく少女の後ろ姿を満足げに見守っていた。
「貴方はいつから、フェルディン執務官も兼務することになったんでしょうね。ウィラード国王陛下」
にやっと長身の男は微笑んだ。
肩まで伸びた銀髪に眼鏡。膝まで長い青の外套をしっかりと着込んだ男が背後にいる。
フェルディンだった。
「仕方ないだろう。彼女が先に間違えたんだ」
「それでも訂正もせずに、国王の指輪まで外しているんですからね。さぞや楽しかったことでしょうよ」
「そんなに怒るなよ。フェディ」
ウィラードは慌てて、衣嚢の中に仕舞いこんでいた銀の指輪を中指につけた。たまに貴族風の格好をしているフェルディンのほうが国王だと勘違いされるくらいなのだから、この男が指輪をつけてなかったら、どこかの騎士に勘違いされてもおかしくない。
「私は怒ってなどいませんよ。どんなに探しても見つからなかった彼女に関する調査資料が貴方の手の中にあったとしても、――どうせ……、いつものことですしね」
そう、この男はエリーに会う直前に、フェルディンに「エリオットに関する調査資料」を取りに行かせ、その隙に自分一人でエリーと話をつけてしまったのだ。
「お前が戻ってくるまで待っているから、急いで探して来いとおっしゃいましたよね。私も、まさか絶対に見つからないものだとは知らずに探してしまいましたよ」
「でも、お前は戻ってきたじゃないか。聞いてたんだろう?」
何もかもお見通しと言った笑顔で、国王……レヴィ=ウィラードは、一回り小さいフェルディンを見下ろした。フェルディンの腕の中には、「調査資料」がきちんとある。
彼女に関する資料は、フェルディン自身のものと、ウィラード用と二部作成していた。
フェルディンが自分の資料をウィラードに与えず、まんまと策に乗ったふりをしたのは、ウィラードが何をするのか、こっそりと見届けるためだった。
「狭い隠し部屋の中で、いつ出て行こうかと機会を窺っていたら、ついに出て行けなくなってしまいましてね」
「あの隠し部屋は、普段鍵がかかってなかったか?」
「さあ、そうでしたっけ?」
平然と知らないふりをする。そんなことは二人の間では昔から日常茶飯事だった。
「貴方の悪戯のせいで、我が国にはクレイ=フェルディンという人物が二人いるという、最高に面白い噂話が流れたとしても、私は気にしてません。別に。――その程度のことでしたらね、まあ、どうにかなりますよ」
ウィラードは、窓から差し込む夕陽に背を向けて長い廊下を歩き始めた。
フェルディンはその脇にぴったりついて歩き始める。
「私が言いたいのは、彼女の処遇についてです」
「ああ、エリーか。可愛らしい娘だろう」
「そういう問題じゃないでしょう。何をやっているんですか?」
「ただ、俺がお前の名前で、密命を出しただけじゃないか」
「彼女は女性ですよ! 聞けば、試合前に黒騎士団の団長が貴方に直訴したらしいではないですか? 腕が立つので騎士団に迎えたものの、まさか女だとは知らなかった、どうにか穏便に辞めさせて欲しいと……」
「ああ、覚えているさ。団長殿は年を取りすぎて、女を見る目がなくなってしまったようだな。あんなに綺麗な顔をしているのに、気がつかないなんてどうかしている」
「入団したのは彼女が十四の時だったらしいですし、まさか、女性があんな荒くれ共の巣窟に自ら入ろうなんて、団長だって考えもしないでしょう」
「だから彼女は必死の覚悟で入団したんだろうよ。そんな彼女をお前は辞めさせるのか?」
ウィラードは話しながら早歩きになっている。ウィラードの大股についていくには、フェルディンは小走りになるしかなかった。
「密命を下すことが彼女のためだとは思えません。彼女に騎士を辞めさせることこそ彼女のためでもあり、騎士団の威信のためでもあるでしょう。私は昨日から再三そう申し上げていましたよね? それを、だまし討ちのような真似をして、彼女を危地に送るなんて」
「まだ危地ではない。サンセクトの港町に行ってもらうだけだろう?」
「これから危なくなるんじゃないですか!?」
フェルディンは頭が痛くなってきて、額を押さえた。
「貴方が主導して彼女に近衛騎士の試験を受けさせたことだって、私には意味不明なのですよ。それを今度はこの件に彼女を絡ませるなんて、何をどう陛下はお考えなのですか?」
「そりゃあ、近衛騎士の試験を受けさせたのは、彼女の実力を見るためにどうしても必要だったからな」
「負けたじゃないですか」
「お前は、あれが彼女の本気だと思っているのか?」
フェルディンはぴたりと足を止めた。
「……やはり、本気ではなかったんですね?」
ふふっと、肉厚のある唇を緩ませて、ウィラードは振り返る。
「彼女は強いよ」
「し、しかし、剣の才があったところで、今回の件に騎士は必要ないでしょう?」
「騎士は必要じゃないけど、彼女は必要だよ。――多分、アイツにとってね」
「陛下……、今は個人的なことよりも、国事が大事な時です」
無意識に声が荒くなる。フェルディンにとって、現状は楽観できない状態だった。
――三年。
まだウィラードが即位してから、三年しか経過していない。
前国王に反乱を起こし、玉座を奪うまで七年かかった。合計で十年。
これからだ……。
フェルディンはこの男を支えて、磐石な国を創り上げていくことを理想としている。
――なのに。
自然と顔つきが険しくなっていくフェルディンとは違い、実にウィラードは楽しそうだった。今にも笑い出しそうなのを喉元で堪えているらしい。
「心配するな、フェディ。俺は最高の人選だと思っている」
フェルディンには、やはりこの男が何を考えているのかさっぱり分からない。
けれども、フェルディンはこの男を信頼していた。ウィラードが一度口にしたことは、いつも現実になってきた。長いつきあいの中で、フェルディンはこの男の奇跡を何度も見てきたのだ。
ずれ落ちてきた眼鏡を鼻の上に乗せて、フェルディンは軽く息を吐く。
「――分かりました。陛下がそうまでおっしゃるのなら、私はついて行くだけです」
「いつもすまないな」
ウィラードは子供のような笑顔を顔一杯に広げると、軽い足取りでフェルディンの前から姿を消した。
「さて、吉と出るか凶とでるか……」
一人残されたフェルディンは、ウィラードの前代未聞の奇策を思い浮かべて苦笑した。