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ラストウィザード  作者: 森戸玲有
第4章
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 ………………冷たい。

 エリーがまず感じたのは、額に当てられた濡れた布の感触だった。

 次に体が重いことに気付いて、身動きがとれないことを自覚していく。

 辛うじて自分の意思で、薄く目蓋を開けるものの、まだ視力は蘇ってないようで、ぼやけて、何だかよく見えなかった。


 ……一体自分に何が起こったのか? 


分かるのは、エリーの目と鼻の先に人がいるということだけだった。


「……あっ、目覚めた?」


 低く澄んだ男の声だった。先ほどの男だろうが、エリーには、まったく聞き覚えのない声だった。


――一体誰なんだ? 


「俺は一体……」

「まだ体を動かさない方が良い」


 体を起こしかけたエリーを、男が支える。至近距離で見れば、男は上位貴族のような格好をしているようだ。

 そんな男が何故エリーを? 

……益々不可解だった。


「あんたが助けてくれたんだな?」

「あんたって、なるほど、分からないのか」

「何か言ったか?」

「いや、まあそういうことだね。ちなみにあんたの腕も治療しておいた。ただ毒だけはすべて除去することが出来なかったから、二、三日は高熱が出る。安静にしておくことだ」

「すまないな」 


 神妙にエリーが頭を下げると、男は皮袋一杯に入った水を差し出し、エリーに飲ませた。


「別にいいよ。私も脱出するついでだったし」 

「……脱出? 一体ここは何処なんだ?」

「馬車の中だよ」

「俺は馬車の座席で眠っていたのか?」

「どうやら、高熱でよく目が見えていないみたいだね。私が見えてないわけか」

「やっぱり、お前ティルなのか!」


 声を荒げると、頭痛が更に激しくなった。

 慌ててエリーを、冷たい座席に縫いとめるのは、男の手だ。しかしぼんやりと、目映い金髪だけは確認することができる。


 ――ティルに違いない。

 エリーはやっと確信した。


「……テ、ティル。ちょっと待て。その声は一体どういうことなんだ?」

「私は魔術師だよ。一応男だってことはあんただって知っているじゃないか」

「しかしだな……」

「今、サンセクトに向かう途中なんだよ。駆けっ放しは疲れたんで、ここで一休みしているんだ。しばらくしたら、また馬車を飛ばすつもりだから、いまのうちにきちんと眠ったほうが良い。悪路を行く馬車の中では、眠れないかもしれないからね」


 そう言いながら、ティルはエリーのこめかみの汗を、持っていた布で丁寧に拭った。

 こんなことをしてもらっている時ではない。曖昧だった記憶が鮮明になるにつれて、自責の念がこみあげてくる。

 気を失ってティルに助けられるなんて、騎士として失格だ。


「ティル。すまないが、至急フェルディン執務官に連絡して欲しいことがあるんだ。サンセクトをあんなふうにしている黒幕が分かったんだよ。神統協会の……」

「ジル=アセンフィート統轄大臣」


 ティルは、早口で断言した。


「……な、何でお前が知っているんだ?」

「あんたが気にすることじゃない。こちらの方が少しばかり情報量が多かっただけだ」

「……とにかく、陛下に伝えて指示を仰がなければいけない。お前が……」

「あんたをこのまま打ち捨てて、私にフェルディンの所へ行けと言うの?」

「由々しき事態なんだ」

「嫌だね」


 即答だった。


「陛下はすべて知っているんだよ。あんたはアイツに利用されているんだ。今回の騒動を霍乱するための一人としてね」

「分からないな……」


 エリーは虚ろな視線を宙に這わせる。しかし、ティルにそう言われてみれば、確かにそんな気もしないではない。最初からこの密命は怪しい点が多かった。


 ……何だか、エリーは疲れてしまった。


「お前の言うことが正しいのなら、それで良い」

「もっと怒ったほうが良いんじゃない? あんたこそ相応の報酬を貰っても良い立場だ」

「馬鹿な。愚かなのは俺のほうだ。陛下の意図を掴むことも出来なかった。もっと俺が優秀だったら、うまく事が運んでいたのかもしれないのに。――何が近衛騎士だ」


 エリーの心は、込み上げた悔しさで一杯になっていた。


「もっと、強い騎士にならなければいけないんだ。俺は……」


 額を手で覆って、濡れた布巾を強く握り締める。うわごとのように呟いたつもりだったのに、しっかりティルは聞いていたようだった。


「一体どうして? なぜそんなことを言うのさ。もう十分じゃないか。今回の件だって、あんたは女だてらによくやっただろう。何であんたは女として生きようとしないんだ?」


 しかし、エリーはティルの言う通りに、自分を肯定的に考えられるほど元気がなかった。

 だからといって、黙っているのは落ち着かない。

 熱のせいだろうか、体も心も弱りきっているようだった。


「俺だって、生まれた時は女だった。当然女として生きていたよ。結婚しようと思った時もあったし……」

「け、け、結婚。あんたが? 本気で!?」


 思いのほかティルは慌てているらしい。


「本気も何も、そういうものだろう。女は十代前半が適齢期だって聞いていたし、そういう流れだったから、仕方ないと思っていた」


 エリーは平然と答えた。


「あんたの意志は何処にあるわけ?」

「面白いこというな、お前は……。でも、そういうものだろう。俺にとっての世間は、理不尽なものが正当にまかりとおる世界のことだよ」


 エリーの首筋の汗を拭っていたティルは、不意にその手を止めた。


「眠ったほうが良い。熱が上がっているんだ」

「フェルディン執務官の所に行ってくれるのか?」

「行かないけど。やっぱり若い男女が……、その……」


 エリーにはよく聞こえない。


「じゃあ、何処に行くんだ?」


 その黒い瞳は、熱を帯びたせいで薄っすらと濡れていたらしい。エリーは無意識だったが、口調も心なしか心細くなっていたようだった。

 中腰姿勢でその場にいたティルは、刹那に硬直して、それから座席の下にどかっと座って、溜息をついた。


「弱ったな……」


 エリーにはティルが困惑する理由も分からない。

 ティルは暗闇の中、顔を上げて、見えていないエリーの目に視線を合わせてから、尋ねた。


「そもそも、あんたはどうして騎士に? そんな暴挙、よく家族が許したね?」


 この期に及んで、おかしなことを訊く。

 エリーは、想像していた人物像よりも、ティルがはるかに無垢なことを知った。


「それは簡単なことだろう。俺が働かなければ、一家は飢え死にするからだ」

「だって、そんな……」

「それが現実だよ。そんなものだ。俺には父がいない。父は戦争で死んだ。だから、今いるのは十二人の子供と、病弱な母親だけだ」


 エリーは子守唄でも歌うように、軽やかに言った。


「俺は二番目の子供だ。上には兄がいる。でもこの兄がまた人が良すぎて失敗ばかりしていてな。肩書きは貴族だったとはいえ、生活は農夫よりも貧しいものだった。……なのに、これでもかっていうくらい、どんどん借財が増えていくんだ。兄は俺を幼馴染の中流貴族のもとへ嫁に出すことで、援助してもらおうと考えた。無論俺も賛成した。貰い手がいるうちに嫁がなければ意味がないからな」

「……だから、その考えが私には理解出来ない。あんたはそいつで良いと思ったのか?」

「好きでも嫌いでもない」

「そんなの、間違っている」


 憤然と言い放つティルがエリーは面白かった。

 過去の事情を話して、ここまで熱くなってくれる男をエリーは他に知らない。


「まあ、でも結局その結婚は破談となったんだ。婚約者が俺に気を利かせたのが裏目に出てな。何せ俺は貴族の子女が好むような刺繍やら、楽器を演奏したりだとか……、そんなものとは無縁の生活をしていたから。俺が披露できる特技といったら剣術しかなかった。それで剣技に自信のあった婚約者と、模擬戦のつもりで打ち合って……」

「つまり、それであんたは相手を負かしてしまったってわけか……」

「しかも運悪くそれを婚約者の父君に見られてしまった」

「あー、まあ、そりゃあ。貴族というのは、何よりも体面が大切な生き物だからねえ」


 ティルは笑いをこらえているようだった。

 まあ、エリーも悪い気はしない。今にすれば笑い話だろう。


「でもなティル、その時、偶然婚約者の父君の所に来ていた客人が黒騎士団の団長だった。俺はもうこれしかないと思って、男装して団長のもとに行ったんだ。団長は最初、子供だった俺を相手にすらしてくれなかったけど、俺が団長の喉元に剣を突きつけたら、やっと入団を許可してくれたんだ」

「ほとんど脅しじゃないの?」

「分かってる。だから、俺はこんなことじゃ駄目なんだ」


 乱れてきた呼吸の下で、エリーがそう呟くと、ティルはエリーの額を撫でて頬を撫でた。

 指先がひんやりとして、気持ち良い。


「俺は男よりも男らしくなって、騎士らしい騎士にならなければいけいない。俺の歩める道はどうせこれしかないんだ。ならば、それを力で証明しなきゃいけない。そうだろ?」

「気持ちは分かるよ」


 思いのほか真面目なティルの言葉だった。


「私も昔は剣士を目指していたからね。誰よりも強い剣士になって、ある(ひと)を守りたかった。自分にはその才能があるし、負けるはずがないと子供の頃は思っていたんだ。その自信がその(ひと)が与えてくれた傘の下でしか通用しないことも知らずにね……」


 ――それは、アイリーンのことなのだろうか?

 エリーは何となくそう感じていたが、夢心地にティルの話を聞いていた。


「自信に溺れていた私はある日、敵に捕まった。屈辱的なことだったよ。彼女をおびき寄せる囮として使われたんだ。私はねエリー、その時自分が死んでいれば……と何度思ったか知れないよ。自分の決定的な失敗のせいで、彼女が犠牲になったんだからね」

「―――彼女は死んだんだな?」


 エリーは率直に尋ねた。

 ティルもそれを求めているのだと感じた。

 エリーと同じ感情をティルも抱いていることが分かったのだ。


「そう、彼女は死んだ。私は何もかも彼女から奪ったんだ。魔女としての能力も、可能性も、女性としての夢も、恋人も……、全部。私は彼女の遺言を果たすために魔術師になった。だから、最強だった彼女の意志を継ぐような魔術師でいなければいけない」

「しかし、ティル。……それは、お前一人のせいじゃない。時代のせいだろう? お前はその遺言のために、陛下のもとで戦ったんだ。きちんと役目を果たしたはずだ」


 ティルの表情を窺う体力もないエリーは、ティルの上質な服の裾を掴んで訴えた。その手をティルがしっかりと握り返した。


「そう思うなら、エリー、あんたも一緒だ。今回の件はあんたのせいじゃない。自分だけを責めたって良いことなんてない。自分を責めるのは、自分が弱いからだ」

「――ティル」

「私にまかせて、あんたはゆっくり休むんだ。いいね」


 本当にティルだろうか。エリーは何も言い返せない自分に驚いていた。声色も体格も違う。それでいて真面目な言葉を吐くティルがエリーには信じられなかった。

 いつもいい加減でのらりくらりしているティルとは大違いだ。

 ……しかし、気持ちは落ち着く。

 エリーのことを、有りのまま受け入れてくれる唯一の相手のように感じた。

 再び眠りに落ちていくのが分かったが、エリーはもう無理に体を動かそうとはしなかった。


 ティルが近くにいてくれるだけで、安心して眠りに身を委ねることができた。


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