⑤
町長は意外に馬鹿ではなかったらしい。
合流した町長に、客室に通されたティルは、即座に自分の判断が甘かったことに気が付いた。
町長は黒幕の手先だ。
どうやらティルは敵の内情を探るつもりで、敵の手中に飛び込んでしまったらしい。
その客室には、ティルが予想もしてなかった事態が待っていた。
計画というものは、一つ狂い出すと大幅に狂うものだと学んでいるが、今回ばかりは、狂った計画をどう修正して良いのか、ティルにさえ、見当がつかなくなっていた。
「化粧は綺麗に落としてくれたかしら?」
露台に佇む女が、薄っすら銀色に染まる酒を傾けて、ティルを待っている。
魅惑的な声に、気持ちを切り替えて、にっこり微笑んだティルは、道化にでもなった気分で、貴族風に手を振り上げて大げさな挨拶をした。
女装でない今、ひらひらしたドレスの裾を摘まんで挨拶できないのが、少しさびしかった。
「勿論。美しい女性の前では紳士を演じるのが貴族世界の礼儀なのでしょう」
「それは、貴族をおだてているの? それとも貶しているの?」
「褒め称えているんですよ」
「有難う。貴方も似合っているわよ。その格好、まるで高位の貴族だわ」
「光栄です」
ティルは冷や汗をかいていた。
女もなかなか口が達者らしい。ティルが貴族嫌いなのを、さっそく見抜いたらしい。
ティルは女が用意した貴族の装いをしていた。黒い襯衣の袖口には金色の刺繍が施されている。牛革で作った靴は軽くて動きやすかったが、無意味な白い外套が邪魔だった。
「初めて見た時から、貴方のことが気になっていたのよ。ティル」
「それで、町長を使って、ここに私を連れて来たのですか? わざわざ居城のイリカを出て? まさかそこまで激しく愛されているとは、思っていませんでしたよ」
「冗談がまだ若いわね。ここは茶化す場面ではないわ」
貴族の女はそう言うと、ティルの方向に体を向けた。紫の礼装は、派手ではなかったが、女の華やかな気品を演出するには、十分な代物だった。
一つに束ねながらも、敢えて一房おろしている髪が夜風に揺れている。目尻の皺が気になったが、ティルが掴んでいる情報よりも、女ははるかに若く見えた。
「神統協会に、貴方の名前がなかったわ。通常マスター資格を有する者はその名が残るはずなのにね。特に男のマスター資格といったら……」
「アイリーンの名前もないんでしょう? 私の師匠はアイリーンなんですよ」
「彼女の名前はあったわよ。途中で除籍になっているけれど。一体、貴方たちは何者なのかしら?」
「ただの在野の神官ですよ。アイリーンも私も、マスター資格を得たのは戦時中だったので、記録が漏れたのでしょう」
「そうかしら?」
「それよりも」
ティルは手摺りに片手を置いて、女を逃がさぬよう悠然と告げた。
「たった数日で神統協会の記録を調べさせるなんて、神統協会の副理事でなければ出来ない所業ですね。いや、貴方の肩書きはそれだけではなかったか。ジル=アセンフィート様」
ふふ、ジル=アセンフィートは鳶色の瞳を細めて、楽しそうにティルを見つめた。
――手強い……。
もしかして、先走ってしまったのだろうか?
ティルは自分の急いだ言動を後悔していた。焦ったほうが負けなのだ。
「敢えて聞きましょうか。若き神官さん。貴方は私に何が聞きたいの?」
「聞きたいことなんて、何もありませんよ。貴方が火薬なんかを密輸して、何処の国と手を結ぼうが、私には関係のないことです」
「先の戦争で大活躍した人の言葉とは思えないわね」
「あれはやむを得ずですよ。別に好き好んで戦ったわけじゃない。それにこれ以上目立って、神統協会に殺されたくないですからね」
「残念なことに、今まで殺されなかったのは、貴方の名前が神統協会の名簿になくて、伝説になっていたからなのよ。今、この瞬間から命を狙われるかもしれないわね」
「それは、困ったな」
「たいして困っているように見えないわね。……貴方の目的は何なの?」
ゆらりと揺れる茶髪を片手で押さえて、ジルは後ろ向きに手摺りに寄りかかった。
正面から目が合う。瞳の中に自分の姿を見つけると、ティルはもう言うしかなかった。
「貴方の持っているアイリーンのクロスを返して頂きたいんですよ。……私は」
「師匠のものだから?」
「貴方も魔術を使う人間ならば、分かるでしょう? アイリーンは死んだ。私が看取ったんです。通常、術者が死んだ場合クロスは土に還るはずなのに、クロスが残っている。アイリーンが無念だということは良く分かっています。でもそれを利用される筋合いはない」
「そうね。それもそうでしょう……。分かったわ」
「えっ」
拍子抜けするほど、呆気なくジルは言い放った。
「じゃあ、クロスを返すから、貴方、これから私を助けてくれないかしら?」
「はあ? 何を言って……」
まったく理解出来ない言葉に、瞬時に頭に血が上ったものの、次の瞬間ティルは気がついた。ジルの視線の先が自分から離れていることに……。
「私を勧誘して、国王も味方につけたいのですか? 貴方は国王に反旗を翻すつもりじゃないんですか?」
「私はこの国が愛おしいだけ。この国を良くするため、私にはもっと味方が要るのよ」
「貴方の愛国心には感服しますけどね」
ティルは一つに結わった金色の髪に、決まり悪く触れた。
「残念なことに、私はウィラードと仲間というわけではないのですよ。仲間扱いされるなんて、気分が悪い」
「―――同感だ」
月光が男の靴を際立たせた。一歩一歩踏み出すごとに、すらりと伸びた長身が明らかになる。間抜けな銀色の仮面にティルは笑って良いのか、怒って良いのか分からなくなっていた。複雑な表情をしていると、嫌な感じでつっこまれた。
「エリーと踊ったからって、むくれるなよ、ティル」
「その幼稚な発想をやめてくれない?」
「そして、その幼稚な仮面を外して頂けないかしら? 警戒しなくても、この部屋の人払いは完璧ですわ。ウィラード国王陛下」
的確な指摘に、男は気に入ってたのに、という呟きながら、残念そうに仮面を取った。
ウィラード国王陛下……。
そんな偉大な肩書きを持っているくせに、露わになった顔は、昔のままだった。一つに束ねた黒い髪、整った目鼻立ち。貴族らしさを微塵も感じない、武人のように逞しい体躯。権力を得ても少しも変わらないのは良いことなのか、悪いことなのか、ティルを悩ませるのに十分な、登場の仕方だった。




