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ラストウィザード  作者: 森戸玲有
第3章
18/40

 気がつくと、細い三日月が空の片隅に浮かんでいた。シザ山の獣道。

 エリーはひたすら歩いていた。

 この調子だと、明日にはサンセクトに到着することだろう。

 とんぼ返りはさすがに疲れるが、気分はすこぶる良かった。

 スタンリーは本当に好人物だったのだ。エリーの話を親身になって聞いてくれて、的確な処理をすると誓ってくれた。

 サンセクトはきっと大丈夫だろう。

 ミルディア領主がなんとかしてくれる。

 やっと肩の荷がおりた。あとは、本来の国王からの密命、ティルとアイリーンを、エリーは捜し出せば良いだけだ。

 海から吹き上げてくる湿った風は、山の上にも平等に吹いていた。エリーはその場で手持ちの水が入った革袋を唇に当て、体内に流し込む。すると、馬のいななきが夜の山中に響き渡った。


 ……馬車か。


 女将が言っていたミルディアへの迂回路だろう。

 エリーは高台のその場所から、馬車の通る舗装された道を見下ろした。

 猛烈な速さで飛ばしている荷馬車が一台見える。

 こんな夜更けに急ぎとは、何事だろう。不審を感じると、自然に体が動いていた。

 エリーは夜目がきく。

 軽やかに崖を下って行くと、荷馬車が通りかかるだろう道に颯爽と辿り着いた。やがて通過するだろう荷馬車を、木陰に隠れて、見守る。興味本位だったエリーだが、荷馬車をひいている男を見て、気持ちが一変した。


 ……アイツ、もしかして? 


「止まれ!」


 エリーは両手を広げて荷馬車の前に立ち塞がった。


「な、何しやがる!?」


 馬は驚いて、無理な姿勢のまま後退する。御者の男が手綱を握り締めながら、怒鳴った。


「危ないだろうが! 死にたいのか!」

「こんな夜中にどこに行くつもりだ? 金貸し野郎」

「あん?」


 男は、片目をつりあげてエリーを睨んだ。夜にも光る真っ赤な上着と、目立つ顎鬚。間違いない。ティルを追っていた金貸しの中年男の方だ。


「へっ。こないだの騎士さんか。あんたこそこんな所で何をしている?」


 エリーは何も答えなかった。

 そんなことより、男の背後、天幕の中にある荷物のほうが気になっていた。


「……積荷は何だ? こんな時間に、これから何処にいく?」

「そんなこと、お前に関係ないだろ?」

「そうだな……と」


 ひょいと跳躍したエリーは、男の背中を押して地面に転がした。


「な……、何をする!?」


 起き上がった男はエリーを糾弾するが、もう遅い。エリーは荷台に移動していた。外よりも暗い荷台の中には、重そうな箱が幾つも積み重なっていた。その積荷の一つをひっくり返して、手触りで確かめる。


「何だ、これは? 土……?」


 その感触はさらさらとした砂のようだった。もっときちんと確認しようと、エリーは御者台にかかっていた燭台を持ち出した。その時だった。


「まいったな。……はめられた」


 嫌味なほど、艶を含んだ声が耳に入った。


「まさか?」


 即座にエリーは身を翻す。

 暗がりでもはっきりと見分けることの出来る、鮮やかな金髪があった。


「ティル!?」


 神の御使いだと言われたら、納得してしまいそうなほど完璧な容姿の女性が、足元で男を踏みつけていた。

……どうしてここに?


「馬鹿!」


 言うが早く、ティルは慌てて荷台に飛び込んで、エリーの持っていた燭台を奪った。


「危なかったなあ。まったく」


 ほっと一息をついて、ガラス瓶の中で燃える蝋燭を吹き消す。辺りは幽暗に閉ざされた。


「まさかあんたに自殺願望があったなんて知らなかったよ」

「はあ?」

「こんな……、ガラスで蝋燭を囲っただけの簡素な明かりがそいつに触れたら、どうなっていたことか……」


 そんなことを一人でぶつぶつティルは呟いた。最悪な状況下での再会だということは間違いない。


「お前、町長の愛人になったんじゃなかったのか?」

「そんなことはどうだっていいよ」


 ティルは不機嫌というよりは、焦っているようだった。


「早くここから出るんだ」

「しかし、これは?」


 エリーが黒い粉に手を伸ばすと、その手を強く掴まれた。


「これは火薬だよ。火を近づければ引火して爆発する。一度アリスタ人から見せてもらった。間違いない」


 エリーは発作的に退いた。

「火薬」の名だけはエリーも知っている。アリスタで作られている最新兵器だということだが、その噂は様々で、爆発時間を設定することも出来る、恐るべき兵器だという説もあれば、雨に弱く、爆発もたいしたことはない陳腐な兵器だという説も出回っていた。


「初めて見た。これが……、こんな一見、ただの土が火薬っていうのか?」

「だからー、分かったでしょう? つまりあんたがそれを見入っている間に、さっきの男がここに火を投げ入れる。そしたら、あんたの命はなかったということで……」

「あっ!」

「……あっ?」


 エリーは咄嗟にティルの口を塞いだ。天幕の隙間から、外の様子をこっそりと覗く。

 先ほどまでティルに足蹴にされていた男がいない。ただ逃走したのなら良いが、エリーは違う可能性に気付いてしまった。


「嫌な空気だな……」


 エリーがティルを抱えて、ぽつりと呟くと、ティルはエリーの手を力ずくで振り払った。


「もう少しで、呼吸困難で死ぬところだったじゃないか!」

「静かにしろ!」

「一体何? 一応、あいつの持っていた火打石は没収したし、今持っている明かり以外は、火種になりそうなものっていうのは、ないと思うけど」

「ティル。……俺は夜目がきく」

「へえ。……で?」

「髭面の金貸しが殺された」


 エリーは、道の中央で、ぴくりとも動かない男の姿態を瞳に映しながら、淡々と言った。ティルは青白い顔に薄っすらと笑みをのせて、頷いた。


「大人しく気絶していれば良かったのに」

「もう一人、道の端で、今まさに剣を向けられて腰を抜かしている男がいるな。金貸しの若い方か……。人質の価値があるのか、ないのか微妙なところなんだが?」

「まずいなあ。そいつはイサだ。助けないと」

「……お前が連れて来たのか」


 あっさりと肯定するティルに、エリーは納得いかないものの、心を落ち着けるために深呼吸をした。気が昂ぶっていたら、確実に死ぬことが予想できたからだ。


「囲まれている。しかも謎の相手は、俺たちが馬車の中にいることも気付いてるようだ」

「火を放たれたら、爆発、炎上、……終わりだね」


 ティルはしみじみそう言うが、表情には悲愴感の欠片もなかった。


「相手は十人……、いや二十人か、どうやら訓練を受けている連中のようだ。気配を殺すのに慣れている」


 エリーは剣の柄を握り締めて、時機が来るのを待っていた。


「ティル、お前、ナイフを持っているだろう」

「気付いていたの? わざわざ隠し持っていたのに」

「武器の気配には敏感なんだ」

「面白い特技だね。他のことにはてんで鈍感なのに」


 ティルはおどけたが、エリーにその余裕はなかった。


「お前の戦力はたいして期待していない。魔女っていうのは、呪文を詠唱しないと戦えないって聞いているしな。俺が時間を稼ぐ。だから、そのうちにお前は……」

「――冗談っ」


 言い終わる前に、ふらりとティルが立ち上がった。


「おい、ティ……」


 実際、呼びかける間もなかった。ティルは御者台を蹴って、敵だらけの外界に躍り出た。


「ばっ!」


 ――――馬鹿やろう!


 エリーは一気に剣を抜き放って、闇に一際目立つ白い背中を追った。

 ティルは、太ももからナイフを取り出して、投げつける。見当違いな方向に思えたそれは、見事な弧を描いて、金貸しのイサを狙っていた剣を跳ね飛ばした。


「――ティルか。恩に着る」


 間の抜けた声をイサが発する。

 ティルは無言で頷いて、もう一本のナイフを取り出し、手前の覆面男を切りつけた。

 何処で習ったのだろうか? 

 ティルの剣裁きは、騎士団でも通用するくらい鮮やかなものだった。


「神女服の下が下穿き(ズボン)になってて良かったな」


 エリーは言いながら、襲ってくる敵の剣を刃で受け止めた。

 揃いの甲冑を付けた、敵の数は総勢で二十人ほどだ。黒ずくめで、みな顔を隠しているというのは、金で雇われた手練の集団ということだろう。

 しかし、どうして大勢の刺客がエリーを襲撃するのだろうか。

 そもそもエリーが狙いなのか? 

 それすら、エリーには見当もつかない。


「一体、何だってこんな目に……」


 不平を並べながらも、エリーの体は自然に動く。考えてみれば、頭脳仕事はエリーの苦手分野だ。こうして暴れているほうがエリーらしいのかもしれない。

痺れをきらせた男たちが一斉に襲い掛かってくる。

 四人か……。

 エリーは冷静に判断を下すと、柔らかい体を活かして、瞬時にしゃがんだ。切っ先が髪を掠めるのと同時に、滑走してティルのもとへ駆け抜ける。


「ティル! 危ない!」


 ティルの背後から襲いかかろうとしていた男を、エリーは剣でなぎ払った。ついでにティルが相手をしていた男を蹴り飛ばす。さすがにティルもエリーの激しい立ち回りに唖然としていた。


「あーー。近衛騎士というのは、嘘じゃないらしい。その強さは天性のものなのかな?」

「感心している暇はないぞ。人数が多すぎる」


 息を切らせて、ティルと背中合わせになったエリーは、剣についた血糊を失神して倒れている男の服で、勝手に拭いた。その仕草を見ていたティルは嘆息をつく。


「……――の子なのになあ」

「は?」


 エリーは、戦いを再開していたので、よく聞こえなかった。


「とりあえず、この場は去ろうよ。エリー」

「しかし……」


 敵は虫のようにわいて倒してもきりがない。この乱戦の中から逃げ切れるだろうか。


「騎士の面子で逃げられないなんて、言わないでよ。あんたに巻き込まれたのは、こっちの方なんだから」

「どういうことだよ。奴らはやっぱり俺を狙っているのか?」


 ティルはその質問に答えず、敵の隙をついて、背後の頑丈そうな木の枝に飛び乗った。


「おい、一人で逃げる気かよ!?」


 イサが叫ぶ。


「大声を出すな! 死ぬぞ!」


 かえって、狙われてしまったイサを後ろ手に庇いながら、エリーは考えていた。

 確かに、木を伝っていけば、逃げられないこともない。エリーもその気になれば、無理なくできるだろう。しかし、イサがいるので、それは出来ない。

 ……ティルの奴は一体何を考えているのだろうか……。

 ――と、


「エリー! イサ!」


 ティルにしては珍しく厳しい口調に、エリーは天を仰いだ。


「合図したらよけろ!」


 撓る枝の上で、ティルは金色の髪をなびかせている。そして、エリーの呼びかけを制するように、にこりと、形の良い唇に笑みをのせた。

 その瞬間、エリーにティルの意図が当然の如くよめた。

 ティルは滑らかな動作で、人差し指を馬車の方向に向けた。

 刹那の沈黙……。


「魔術……!?」


 …………魔術だ!!


 エリーはイサを抱えて、車道から茂みの奥に飛んだ。

 転瞬


 ―――――すべてが風になった。


 それは、エリーが今まで見たこともない光景だった。火事の比ではなかった。猛烈な威力で、馬車を吹っ飛ばし、その下の土まで抉った。

 衝撃で地面が揺れた。灰色の煙が噴火した火山のように、何処までも果てしなくたなびいていた。

 エリーが安全を確認しながら、ようやく上体を起こすと、そこには緋色の世界に佇むティルがいた。


「怪我はない?」

「当然だ」

「それは良かった」


 ティルは視線をエリーには向けずに、ただ火の中を眺めていた。


「……すごい力だね」

「ああ」


 素直に認めるしかない。ティルの魔術が前提にあったとはいえ、爆発は火薬のせいだ。あんな少量の黒い砂がこのような効果を発揮するとは、正直エリーも思っていなかった。


「すぐ実戦配備とはいかないけど、これからの戦争は火薬(これ)が主流になるだろうね。――魔術は使い手の精神に作用されがちだけど、これには、天候くらいしか弱点はない。これから、改良も進むだろうし、これから先の時代に魔術使いは必要ないんだろうな」


 重い一言だった。

 確かにそうなのかもしれない。

 今でさえ、もう魔術は『神の奇跡』と化してしまっている。エリーもティルに会うまでは、魔術というのが具体的にどういうものなのかまったく理解していなかった。

 これからどんどんエリーのような人間が増えていって、将来的に、魔術そのものに怪しい印象を抱く日も近いのかもしれない。


「どうやら、山火事は免れたみたいだね。風がやんだ」


 ティルはいきなり話題を変えると、しゃがんでイサの様子を確かめた。


「失神しているのか。だらしないな」

「……刺客は行ったんだな?」

「そうみたいだね。まさか火薬が出てくるとは彼らも知らなかったんじゃないのかな。きっと今頃大慌てだろうよ」


 ティルは何気無くそう言うが、エリーは腑に落ちなかった。


「火薬を積んで、俺たちを罠にはめたのは町長じゃないのか?」

「嫌だなあ。俺たちって、あの大勢の刺客が狙っていたのは、あんたでしょう? あんたを追って、奴らは来てたんだから。……で、町長にはめられたのは、こちらのイサ」


 エリーが首を傾げると、ティルは腕を組みながら説明した。


「あの馬車に禁制の品があるってことは予め知っていたんだ。それで、禁制品がどいつの手に渡るのか、確かめようとして、私とイサはここにいたんだよね」

「それで……?」

「町長は最初からイサが裏切っていることを知って、殺すつもりでここにおびき寄せたんでしょう。ついでに禁制品の火薬の性能も見ておきたかった。もっとも、今夜も眠りこけている町長は、高みの見物も出来ないだろうけどね。あははは」

「つまり、ティル。要するに、お前もはめられたってことじゃないか?」


 ティルは象牙色の頬を紅潮させて、顔を横に振った。


「違うよ。町長は私がイサと一緒に行くなんて気付きもしなかっただろうし、アイツ毎晩眠らされていることも知らないで、私にベタ惚れだったんだからね」

「しかし、イサが騙されているってことも知らずに、のこのこついて来たんだろう?」

「うわー、何その言い方。あんただって、尾行されるかもしれないって危険性を考えなかったんでしょう? あんな大勢の精鋭部隊、もし私がいなかったら、とっくにあんたは死んでたよ」


 ティルは偉そうに胸を反らせるが、エリーは認めたくなかった。あの程度の刺客だったら、一人で撃退できる自信はあったのだ。


「それより、俺があんな重装備の刺客に狙われる理由が、いまいち分からないんだが?」

「分からないの?」


 ティルが本当に不思議そうな顔をするので、エリーは開き直るしかなかった。


「分からなければ、何だと言うんだ?」


 逸るエリーに、ティルが穏やかな声音で尋ねた。


「一体あんたは今日、何処に何をしに行っていたわけ? 会ったんでしょう。彼に?」

「―――俺は今日……」


 途端に、ざわっとした寒気を感じて、エリーは肩を抱いた。

 ……考えたくなかった。


「町長に、あんな大人数の手練を揃えるほどの地位も経済力もないよ」

「じゃあ、アイリーンは……?」

「聖女様だって、そうじゃないの。あんたを襲うのなら、彼女に心酔しきっている町の人を使うほうが楽だし、もっとやり方があるでしょう。答えはもう出ているんでしょう。エリー、……今回の首謀者はミルディア領主だ」


 ティルの真っ直ぐな声がエリーの震える心の中に飛び込んできた。

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