③
……まったく何て奴だ。
エリーは渦巻く感情の波をどう鎮めたら良いのか困っていた。
「ティルのやつ……」
怒っているわけではない。むしろエリーは感心している。
微々たる額の借金が、いつの間にか法外な利子を付けられ膨れ上がったのだと、女将は言った。女将が借りていた30ペニはとっくに返し終わったのに、利子だけで100ペニを越えてしまったのだという。同じ目に遭っている人が女将の他にも二人いたらしく、その合計が300ペニ。
――何て理不尽な世の中なのだろう。
そんな話を、女将がさりげなくティルに語ったところ、翌日ティルはあっさり300ペニを取り返してきたのだという。
『もう、嬉しくてね。何が欲しいって聞いたら、風呂に入りたいって言うものだから……』
……それで、昨夜の風呂に繋がるわけだ。
エリーはようやく合点がいったのと同時に、情けなくなった。こんなことで、陛下の期待に応えられるのだろうか。
サンセクトの町を出たエリーは、一晩でシザを山越えして、翌日の昼過ぎにミルディアの都市部に到着した。
常人では想像もつかない速さでミルディアにたどり着いたエリーだったが、疲れたのは、険しい山道を歩いたからではなく、ミルディアの街が混雑していたせいだった。
領主の住まいで、仕事場でもあるミルディア城の塔のてっぺんは見えているのに、人ごみで一向に進まない。やっとの思いで、辻馬車をつかまえたものの、大通りも通行人で溢れかえっていた。
「祭りがあるんですよ」
のぞき窓から前を見ているエリーに、御者が声をかけてきた。
「明後日からですけどね。ミルディアの城下では年に一度行われる大規模なものなんですよ。しかも戦時中は止められてて、十年ぶりの再開だっていうから、みんな準備に余念がないんで。騎士様も当然祭り見物かと思ってましたけど?」
「……領主様に会いに来たんだ」
「へえ。そうですか。ではミルディア城までですね。……領主様、お会いになるかなあ?」
御者は前方を睨みながら淡々と言う。エリーもそう思っていたが、今更後には退けなかった。
馬車はゆっくりと進んだ。歩いた方が速かったのかと後悔しかけたエリーだったが、祭り気分一色の都市部を抜けたところで、ようやく馬車は本来の速さを取り戻した。
到着したのは夜。
エリーが危惧していた深夜にはならなかったが、吹く風は冷たく寒かった。領主の務めは、とっくに終わってしまった時間だろう。
「……まあいいか」
予約もしていないエリーが多忙な領主に会うためには、このくらい無謀な試みをしたほうが良いのかもしれない。
御者に金を渡すと、城までの急な坂を駆け足で上って行った。仰視すれば、蔦に覆われた瀟洒な古城がエリーを見下ろしている。ここに、ミルディアの領主がいるのだ。
部屋の外に零れた明かりの上に立ったエリーは、呼吸を整えて、躊躇いがちに、正面の大きな扉を一、二回叩いたが、しんと静まり返り、音沙汰がまるでない。
もう一度叩こうとした時に、扉が後ろに開いた。
長い黒髪を一つにまとめた中年の女中が立っていた。黒縁の眼鏡の隙間からエリーを覗き込んでいる。
女中はまばたきもせずに、エリーを凝視している。
……一体、何だろう?
エリーが声をかけようとした時だった。
女中は、一言呟いた。
「ジュリア様……?」
「はっ?」
エリーが怪訝な表情を浮かべると、ようやく女中は現実に引き戻されたのか、眼鏡を鼻の上に押し上げて、咳払いをした。
「どのような、ご用件でしょうか?」
エリーにとっては、思いがけないほど丁寧な物腰だった。
「このような時間に、無礼な訪問をお許しください。私は近衛騎士団に所属しています。エリオット=クラウディアという者です。至急の用件がありまして、領主様にお会いしたいのですが……?」
「騎士団の方?」
証拠として、エリーは国王直筆の近衛騎士団の任命証を見せた。しかし、女中は大して確認することなく、エリーを中に通した。
「今、領主様にお伺いを立ててきます。少々お待ちください」
女中はそう言い終えるか否かの段階で、慌しくエリーの前から去って行った。普通、用向きくらいは尋ねるものだろうが、良いのだろうか?
待合室の塵一つない石の床に目を落としていると、すぐに女中が帰ってきた。
「領主様がお会いになりたいと、おっしゃっています」
何だ、その異様な早さは?
騎士団だと名乗っただけで、今すぐ会ってくれるとは、エリーが幸運なのか、 領主が気まぐれなのか判断できなかった。
「応接室でお待ちです。どうぞ」
叱られた子供のように畏まった姿勢で、エリーは女中の清楚な黒い礼装の背中を追った。赤絨毯の上を進み、螺旋階段を上る。
広い城の二階。突き当たりの部屋の前で、女中は止まると、軽く扉を叩いた。
「お連れしました」
「――ああ。分かった」
優しい声に導かれるように、扉は開いた。
男がいる。
部屋の中央に立っていた男は、女中が言った通り、「待っていた」姿勢そのものだった。
落ち着いた微笑の中に、優雅さがあった。潔いほどの白髪頭は、きっちりと整えられていて、むしろ知的な感じがした。格好も質素で、白い襯衣に青い上着をゆったりと羽織っている。まるで学者のような格好だった。頬はこけていたが、鋭い眼差しは輝いていた。
――やり手そうだな。この人……。
町長とは格が違う。
「お目にかかれて光栄です。ミルディア領主。突然うかがったのに、応じて下さって……」
「堅苦しい挨拶はいりませんよ。近衛騎士団の……」
「エリオット=クラウディアです」
「私がミルディア領主のフォード=スタンリーです」
「はじめまして。スタンリー領主」
軽く握手をして、ふかふかの椅子にエリーが腰を下ろすと、スタンリーは入れたての茶を勧めながら茶化すように言った。
「すいません。一瞬女性だと思ってしまいました」
「――いえ。よ、よく言われます」
エリーはひきつった愛想笑いを浮かべた。
「女中の人も勘違いしたようですしね……。どなたか知り合いの方かと?」
「知り合いというか……」
スタンリーの黒い瞳は、エリーを通してどこか遠くを見ているようだった。
「娘の名ですよ。こう言っては失礼だと思いますが、貴方は死んだ娘に少し似ていましてね」
「……そうだったんですか」
だから、感傷的になった女中は、エリーの用件を聞くこともなく、領主のもとに案内したのか……。
「反乱軍……いや、国王軍というべきでしょうか。それに女だてらに参加しましてね。遺体は出てきていませんが、おそらく死んだのでしょう」
スタンリーの言い方は、淡白だったが、その裏側に溢れている娘への愛情は、エリーにも理解できた。
エリーもその内戦で、父親を亡くしている。生きていれば、父親もこんな
ふうにエリーのことを語ったことだろう。
「愚かな娘です。家出同然にここを飛び出して行ってしまった。きっと私が甘やかして育ててきたせいでしょうね。女らしいことよりも、男っぽい、剣術を好むような娘に成長してしまった」
スタンリーはぼんやりと、カップの中の茶を飲むでもなく揺らした。少し間を置いてから、エリーの存在を思い出したかのように詫びた。
「申し訳ありません。このような私的な話をしてしまって。貴方の用件を先にお聞ききするべきですよね」
「いえ、構いませんよ」
エリーは心の底で、溜息をつきながら、表面上は笑顔を作っていた。本当は、とてつもなく急いでいる。
サンセクトの窮状を訴えるには、領主に切迫した危機感を与えなければいけない。
しかし、いざスタンリーと会ったら、何だか力が抜けてしまった。
この男ならきっとサンセクトを支援してくれるに違いない。
……そう、エリーは勝手な思い込みをしていたのだった。




