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ラストウィザード  作者: 森戸玲有
第3章
16/40

 花の香りが満ちていた。

 サンセクトの郊外に築かれた白亜の建物。どこの貴族の建物かと思わせる、金箔をふんだんに使った私室にティルはいた。

 まさか家の中が植物園だとは知らなかった。

 今、ティルの背景に流れているのは水音だ。部屋の奥には観葉植物が育てられていて、その隙間を水が川のように流れている。

 だいたい、部屋の中に噴水があるなんて、一介の町長ごときが許される贅沢ではない。


「まったく」


 部屋の中央を独占している長椅子に腰をかけていたら、倒れている赤い寝巻き姿の町長を踏みそうになって、苦笑した。


「このくらいなら簡単なんだけどね」


 独り言が虚しく広い空間に響き渡る。

 町長を催眠術で眠らせた。 

 自分の部屋にティルを招いた町長は、体目当てでティルに近づいてきたからだ。

 簡単だった。魔術と催眠術は違う。

 催眠術は単なる技術だ。それなりの知識と実践があれば、人間を操ることが出来る。奇跡は起こせないが、やる気さえあれば誰でも出来る技だ。ティルだってすぐに習得することが出来た。魔術に比べれば楽勝だった。


『神が人を選ぶんだよ』


 それがアイリーンの口癖だった。


 魔術とは、自然の力を用いて行う儀式であり、神との契約なのだという。

 神は世界そのものであり、すべての事象である。そこに個はない。

 我欲で使ってはいけないというのは、つまりそういうことで、神聖な儀式に自分の欲望が打ち勝ってしまっては、術は完成しないのだ。

 だからこそ、古の魔女は「影であれ」と自身を戒めた。欲望に支配されて魔術を使えば、術者はいずれ力を失うのだ。


 私欲ではない……と、ティルは思っている。


 絶対的な目的のために、大きな魔術をもう一度使いたいと願っているだけだ。


 ――――なのに。


 予想と期待が裏切られない展開。それなりの収穫もあったし、ティルは満足だった。

 いや、満足なはずだった。


 ……自分一人だけで立ち向かうつもりでいたのなら。


 あの時、エリーが自ら町の男に殴られようとしていた時……、恐ろしいほど、ティルは何も出来なかった。

 ――無力だった。

 自分の危機ならば、何とか予見して回避することが出来る。

 だが、他人の危機に対して、ティルはまったくの役立たずだ。


「こんなことで、うまくあれを取り戻せるんだろうか……」


 軽く溜息を吐いて、ティルは老人のように腰を叩きながら、立ち上がった。

 もう朝だ。

 本当はここで休憩したいところだったが、そうは言っていられない事情が出来てしまった。ティルは気配を消して部屋の中を歩く。   

 趣味の悪い金色の扉を、わざと勢いよく開け放った。


「やあ」


 含み笑いを忘れずに、おもいっきり悠然と呼びかける。

 扉の先には、唐突な腰を抜かして蹲る若い男。見覚えのある顔が突っ立っていた。

 男は上目遣いで、ティルを見上げていた。

 特徴的な栗色の癖毛が目にまぶしかった。


「ああ、金貸しの……?」


 いつものような派手な格好ではないので、一瞬ティルも誰だか分からなかった。


「ずっとそこにいたんだよね」

「町長が……、見張りが欲しいと言って……」

「どこまで腐っているんだろうね。アイツは」


 ティルは爽やかな笑顔でそう言うと、男を蹴るつもりで、足を振り上げた。

 ならば、町長の言いなりで見張りに立っているこの男もほんど同罪だ。

 しかし……。


「助けるつもりだったんだ!」


 男は周囲に気付かれない程度に、声を荒げた。


「俺は嘘を言っていない。ちょっとでも不審な物音がしたら、町長とあんたの間に立つつもりでいた。だから、見張りだって自ら志願したんだ!」

「それで……?」

「でも、一向に音はしないし、昨日からあんたは町長に気がある感じで迫ってたし、嫌じゃなかったんじゃないかって、そう思ったりして、飛び出す機会を失ってしまったんだ」

「あ、そう」


 随分屈折した好意にも感じる。

 助けたかったのなら、町長がこの部屋に来た時点で、ぶちのめせば良いだけの話だ。結局のところ、この青年はティルと町長の色事を覗きたいと思っていただけなのだろう。


「あんた、町長をどうしたんだ? まさか?」

「物騒だな。そうそう馬鹿な真似はしないよ」


 ティルがちょっと視線を後ろに向けただけで、男はいびきをかいて眠っている町長に気がついたようだった。


「催眠術だよ。丸一日は眠りこけるだろうね」

「そ、そうか……」

「ね? 分かったでしょう? だから、しばらくの間、私のしたことを黙っていてはくれないかな? まあ町長の腰巾着の金貸しごときに強制はしないけどね」

「俺は金貸しじゃない」

「あっ、そう」


 とりあえず頷くものの、ティルにとってはどうでも良いことだった。


「――あんた、町長について調べようとしているんだな」

「え?」


 男の処遇を、どうしようかと考えあぐねていたティルだったが、その一言で男への態度を改めた。


「何か知ってるの?」

「俺も同様のことをしている。こんな下卑た仕事をやっているのも、そのためだ」

「物好きなものだね。ただのチンピラじゃなかったんだ」

「あんたも町長には大きな後ろ盾がいるんじゃないかって、そう思っているんだろう?」

「驚いた。少しは、頭が回るじゃない。……その口ぶりからして、黒幕に心当たりがあるみたいだね」

「知りたいか?」

「いや。無料で情報を売ろうとする奴ほど、信用できない人間はいないからね」

「じゃあ、あんたは知っているのかよ?」

「一応は……ね」


 気のない素振りをしながらも、ティルは男に興味を持った。


「その後ろ盾っていうのに関しては、私も見当がついているんだ。町長に色目を使ったら直ぐに自白したしね。もっとも、まだ確証がないから如何とも言いがたいけど」

「じゃあ、俺が結論づけた奴と、あんたの聞きだした人物は同じなんだろうな」

「さあ、それはどうだろうね」

「答え合わせをしてみるか? 三日後に」

「三日後……?」

「もしかして、逢引きの誘い?」

「勘弁してくれ……」


 からかってやると、ティルよりも少し年下であろう男は、長い前髪をかきわけながら投げやりに言った。


「実は、黒幕の証拠を掴む丁度良い機会がある。あんたは町長から何か聞いてないか?」


 さすがにティルもまったく心当たりがなかった。


「俺も昨夜、ダンが酔って話していたのを小耳に挟んだ程度なんだけど、いや、ダンっていうのは、あのおっさんの方の金貸しの名前だ。あいつが総締めなんだよ。下っ端は大勢いるけど、人間不信な男だから、余り人数を連れて歩かないんだ。……ったく、俺が自分を信用させるために、どんなに大変だったか」

「――――で?」

「ある人物にあてて町長が積荷を送るらしい。中身はアリスタ国からの禁制品だ」

「なかなか話が大きくなってきたじゃない」

「そうだ。だから俺も一人じゃ心もとない。ここに潜入しているのは、俺だけだし、とにかく危険だからな。町長相手にそんな芸当ができるあんたが一緒なら、少しは心強いかと思って。まあ、女にこんなことを言うのも、情けない話だけど……」


 ――男なんだけどね。


 ティルは見事に騙されている男を目の前にして、ほくそ笑んだ。


「私の名前はティル。貴方は?」

「俺はイサ=クローセル」

「クローセル……?」


 ――なるほど。

 ティルは苦笑した。男が信用に足る人物だと気付いたのだ。


「そう、じゃあイサ。他の人たちが目覚める前に、やって欲しいことがあるんだけど……」


 怪訝なイサを、ティルは強引に部屋の中へと引きずり込んだ。


「私がここに三日も滞在するのなら、言い訳できるような関係を維持しておきたいんだよね。だから、この死体のような町長を寝台に転がしておいてよ」

「俺が!?」

「そうだよ。よろしくね」

「ちょっと待て。あんたはどこに行く?」


 すかさずティルを呼び止めるイサは、ティルが自分に仕事を押し付けて、部屋から出て行くのに気がついたようだった。


「神を信じるための下準備」


 作り笑いをしながら、ティルは腕のクロスに口付けた。

 石造りの床を、靴音を立てないように歩く。この屋敷の構造はもう頭に入っている。

 今からしようとしていることは、現時点では、必要ないことなのかもしれない。

 それでも、どんな状況下でも、切り札は必要だ。


 ――そうだろう。アイリーン。


 人事を尽くさなければ、神の姿は見えるはずがない。


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