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ラストウィザード  作者: 森戸玲有
プロローグ
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プロローグ

この頃は真面目に小説を書こうとしていた気がします。

(いや、今が決してふざけているという意味ではないのですが……)


乙女の花園より古い話です。

女装魔法使いの原点はここにあるのかもしれません。


「そろそろ、風を捕まえようと思うんだ」


 そう言って、ウィラードは、組んだ手を空に突き上げて、うーんと大きく伸びをした。

 飾り気のない深緑色の上衣は、動きやすく、楽な姿勢がとりやすい。

 うららかな昼下がりだった。

 空は蒼く、澄み切っている。

 しかし、のどかなその態度は、季節には相応しいが、貴族の振る舞いとしては、規格外だった。


「……風ですか?」


 ウィラードの傍らに座る銀髪の男、フェルディン=クレイは、片手で生温い風を起こす仕草をしながら、小さな溜息を吐く。


「ここにあるのは、むさ苦しさだけではないでしょうか?」


 的を射た指摘だろう。

 春の風は吹いているが、下席までは届かない。

 腰掛けた時に、冷たかった石の席も、今はぬるくなって気持ち悪い。

 更に高まる周囲の熱気に、フェルディンの体感温度は上昇していた。

 だが、気心の知れた家臣の苦悶を涼しい顔で見ながら、ウィラードは悠々としていた。


「ここに正装のまま来るとはね。北方のフィルセ領主……だったか? 領主との接見を終えて着替えてから来ても、決勝戦には間に合ったと思うぞ」

「その接見を人に押し付けて、こんな汗臭い騎士たちの中に紛れて、試合を観戦していたんですね。貴方は……」


 フェルディンは汗で落ちてきた眼鏡を直しながら、周囲をうかがう。

 階段式に築かれた観戦席は、屈強な男達で溢れ返っていた。

 彼らは皆、「騎士」だ。

 目の前に聳える王城セイレンの国王に仕えている。

 グローリア国では、黒、赤、青、緑、白の五つの騎士団を抱えていて、その中で選りすぐりの者が競い合う勝ち抜き戦が年に数回行なわれる。

 過去の国王が趣味で拵えた小さな闘技場を遊ばせておくのは勿体ないと、現国王が始めた余興の一つだったが、国王直属の護衛団、近衛騎士選抜も兼ねているので、どの団員も必死に自分の騎士団を応援していた。

 所属している騎士団から近衛騎士が誕生すれば、騎士団の格は上がり、周囲に自慢も出来る。それに、日頃溜まっている鬱憤を晴らすのには丁度良い機会だった。


 規則は一つ。

「殺さない」こと。

 それ以外、規則らしいものはない。


 奇跡的に過去二回行われた勝ち抜き戦では、死者は出ていない。

 しかし、今回はどうなるものか予想もつかなかった。


「今から、準決勝ですか?」

「まあな」

「貴方だって決勝戦だけご覧になれば、十分ではないですか?」

「最初から見ないと意味がないじゃないか?」


 この大会に参加資格のある者は、各騎士団から五人ずつで、計二十五人。前回、良い成績を残した騎士は二回戦からの参加が認められている。

 つまり、この男は、早朝からここで観戦していたらしい。

 男を捜して、ようやくここにたどり着いたフェルディンは頭を抱えるしかなかった。


「言っただろ、フェディ? 風を捕まえると……。風には風をぶつけるしかないじゃないか」


 意味不明な正論だった。

 そして、フェルディンが謎を解く前に、馬の嘶きが喧騒を破った。


「黒騎士団。エリオット=クラウディア!」


 わあっと、花が咲いたような異常な盛り上がりが起こる。

 裸馬にまたがっているエリオットという青年は、この闘技場の中にあって、まったく違う空気を放っていた。

 優男のフェルディンとは違うし、鋼のような身体の騎士たちとも違っている。

 とても、闘技場に詰め掛けている屈強な男達と、同業者とは思えない、しなやかな体つきをしている青年。

 首筋までのさらさらの黒髪に、凛々しい双眸。きりりと結んだ小さな唇。肩から胸に装着した防具は動きやすそうな軽いもので、吹けば飛んでしまいそうな痩躯だったが、落ち着いた物腰に、緊張感や恐怖心は微塵も感じられなかった。

 彼の登場を待っていた対戦相手の方が緊張していた。

 無理もない。

 エリオットは綺麗すぎる。

 剣を交えるのも躊躇するはずだ。

 こんな騎士を、今まで一度も見たことがないフェルディンは、ウィラードに詰め寄った。


「彼は……、男性ですよね?」

「見てのとおりだ」


 ウィラードは、にべもなく言い放つ。

 まるで、埒が明かない。

 一瞬、フェルディンは試合を無効にしたほうが良いのではないかとさえ考えた。

 しかし、審判は開始の合図を下し、両者は既に走りはじめていた。

 狭い、円形の闘技場の中。

 巧みに馬を操り、二人は擦れ違う。

 砂塵が、観客の視界を妨げ、刃のかちあう音だけが響き渡る。


「力技に出たか……」


 ウィラードが澄まし顔で、呟いた。


「――無謀ですよ」


 フェルディンは苦笑する。ウィラードの言葉通りだとしたら、エリオットは愚かだ。

 力勝負で、体格がまったく違う大男に敵うはずがない。

 誰が考えても当然分かることなのに、エリオットは、果敢に接近戦を挑んでいた。

 案の定、剣の切っ先は、容赦なくエリオットに迫っている。

 あと少し大男が近づき、彼に逃げ場がなくなれば、エリオットの負けは確実だろう。

 歓声は悲鳴に変わり、次々と席から立ち上がる観衆で、大地が震えた。


「終わりましたね」


 フェルディンはそう断言したが、ウィラードは反応しなかった。

 依然、真摯な視線をエリオットに向けている。


「……どうかな?」


 笑いを含んだその一言で、フェルディンは、まだ決着がついていないことを知らされた。

 大男と、エリオットは馬上のままで互いに剣を繰り出している。しばらく打ち合った後、大男は剣を引き、エリオットに声をかけた。歓声で何を言っているのか観客席では分からないが、エリオットも紳士的に耳を傾けている。

 それが、合図となった。

 おそらく、ここまで優位に立っていた大男が、勝ちあがってきた者同士、男同士の気安さもあって、つまらない言葉でからかったのだろう。

 エリオットの顔はみるみる怒気に染まっていく。

 拳が震えたかと思ったら……、


 ――姿が消えた。


 エリオットは風となった。


 身につけているエリオットの甲冑は残像となり、輝きだけを落としていく。


 銀色の疾風。

 乗り手のいない馬が、大男目掛けて突撃した。

 大男は、馬から振り落とされ、狼狽していた。

 エリオットの動きは速くなり、とらえきれなくなる。

 再びエリオットが姿を現した時には、既に対戦相手の大男を組み敷いていた。

神懸り的な速さだった。

 今までの劣勢が嘘のようだった。


 ――本気を出していなかったのか。


 誰もがそう思った。

 エリオットは逆光の中で、穏やかに微笑する。


「……速い」


 唖然とするフェルディンの視線など気付いていないだろうエリオットは、当然の如く転がった大男の首筋まで剣を下ろそうとして……、ふと、動作を止めた。

 まるで、勝ったらまずいとでもいうように、黒い瞳を大きく見開き、呆然としている。

 その隙を、大男は見逃さなかった。

 握り締めていた剣を振り上げる。

 軽やかな金属音が宙を裂き、エリオットの剣は弧を描いて、蒼天に飛んだ。

 嵐のようなどよめきが、混沌とした闘技場を包み、勝負の行方を促した。

 興奮した男達を留めるために築かれた板囲いが、軋む音を立てる。

騎士達は一斉に身を乗り出していた。皆、目の色を変え、固唾を呑んで見守る。

 土埃が舞う。

 大男は、厚みのある剣を軽々と振り回しながら、華奢なエリオットを闘技場の隅に追いやっていった。

 エリオットの剣は、大男の背後に落ちている。

 剣がなければ、エリオットに勝機はない。


 ……絶体絶命。


 だが、エリオットはその状況を楽しんでいるようだった。

 男を見上げる目は、余裕に満ちていた。

 何を考えているのか?

 大男は戸惑ったようだった。

 ――瞬間。

 エリオットは再び消失した。

 途端に、大男は左によろけて、大きく体勢を崩した。エリオットが男の右足を足払いしたのだ。

 エリオットは砂塵に沈む剣のもとへと走る。それを大男は必死に追いかけた。

しかし、どうしたことか、エリオットはゆっくりと人並みの速さで駆けていた。

今までの素早さが微塵も感じられない。

 大男を翻弄している痩身の青年を、いつの間にか応援しはじめていた男達は、ままならない展開に、怒声を張り上げた。

 そして。

 大男が青年の間合いに飛び込んで剣を振り下ろす。エリオットが地面の剣を取る。それは、計ったかのように、ほぼ同時だった。

 ぴたりと両者はその姿勢で止まった。


 ――勝負は、静かに決した。


 振り返ろうとしていたエリオットの首筋には、陽光にぎらりと照り返す大男の剣先があった。


「……そこまでだ」


 審判が厳粛に終わりを告げる。それは絶対的な天の声でもあり、エリオットの敗北の決定でもあった。


「……さて。城に、戻るか」


 ぽつりと告げられた一言に、フェルディンはようやく現実に戻った。

 エリオットは速やかに長剣を腰に収め、出口を見据えて、颯爽と歩き出している。

 もはや、振り返ることはない。

 その後ろ姿は毅然としていた。

 観客の間からは、エリオットの健闘を称えて、拍手が沸き起こり、惜しみない賞賛の声が響き渡った。


「見ただろう? フェディ……」


 ウィラードは立ち上がって、顎を擦った。

 彼が懐かしそうに双眸を細めている理由を、まだフェルディンは理解できない。


「面白くなってきたじゃないか」


 ……何が?

 しかし、ウィラードが何か企んでいるだろうことは、フェルディンにも容易に想像がついた。


 微風に揺れる長い銀髪を押さえながら、フェルディンは早足でウィラードの後を追った。



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