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Kind Light  作者: れの
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神成 第一章

人名の読み

仁堂央樹じんどうかずき

砂高尚さたかこう

読原未希よみはらみき

 僕がまだ、ちいさい頃。物心ついたときから、母は言っていた──


「お母さんはさ、昔すんごいのに会ったんだよ。もうすんごい奴だった!とにかくすんごくてね、吃驚しちゃったんだよ?風が、家の中なのにびょうびょう吹いてさ、あっと言う間にいなくなっちゃったんだ。だから、私の息子である央樹君もさ、絶対巡り会うはずなのさ……その、すんごいのにね!」


 朝、7時も少し過ぎた頃──

 8時頃には車通りも多くなるそれなりに大きな道路、そこの端っこを、僕は歩いていた。まだ車の一台も通らず、堂々とど真ん中を歩いたっていいくらいなのだが、それでもやっぱり端っこを歩いてしまうのは、僕が紛れもない日本人だからだろうか?

 ともあれ僕は、バッグをぶらぶらさせながら、高校に登校している真っ最中なのだ。

 浅木沢市立第二高等学校。

 文武両道を掲げながらも、しっかりと帰宅部を用意している時点でもう、それは「文」に傾いている証拠だと思う。かくいう僕だって、その帰宅部に所属している一流の帰宅部員なんだけど。その帰宅部に入るということは当然、早く帰れるって事である。

 なら、早く帰って何をしているのかといえば、普通に机に向かっている。勿論これは勉強しているということだ。

 取り立てて勉強が好きなわけではない。でも、やることがなくて暇だからやっている。暇なら何か部活に入ればいいじゃないかという人も多々いたが、如何せん、興味のある部活がなかったのだ。運動が嫌いということでもないから、別に運動部に入ってもよかったにはよかったのだけど……

 やっぱり、どうしても入りたいってわけでもないのに所属してしまうのは、それはそれでどうかと思う。

 ようするに僕は、つまらない人間なのだ。

 小学校からの幼なじみの女の子に、

「あーもう、央樹君ったら駄目駄目だよー!もっとさ、もっとつまる人間にならないとね!」

 なんて言われちゃう。

 つまる人間て……?

 つまる人間って、何だ?言葉につっかえる人とか、そういうイメージしかないんだけどな……。

 そんなことを考えていたら、結局つまる人間にはなれずに、高校一年生になってしまった。もう六月も半ば。クラスの連中とも少しは打ち解けて、そろそろ僕がつまらない人間だと露見している頃だろう。やだなぁ。

 まだ比較的綺麗なスニーカーが、アスファルトを蹴る。

「よう、央樹。おはよう」

 その時、後ろから肩を叩かれた。ぽん、と。

「おう、おはよう」

 爽やかに挨拶をしたその人物に、僕も遅れて挨拶を返す。

 砂高尚、同じ高校、同じクラスの僕の親友であり、幼稚園からの付き合いになる。

 朝から爽やかで、羨ましいくらいのイケメンっぷりだった。カリスマ性、とでも言うのだろうか。僕とは違って、尚はクラスの中心にいる。これもまた、こいつの一つの才能なのだろう。そして、僕には無い才能でもある。

 尚は男子バレー部に所属している。一年生でありながら既にレギュラー入りを果たし、体育館に鋭いアタックの音を響かせる毎日を送っているらしい。ついでに頭も良く、成績はいつだって僕より少し上。

 勉強をするときだけ眼鏡を掛けているから、それだけでもう落ち着いたイケメンなのに、一度眼鏡を外せば元気で明るい体育会系になってしまうのだから、これはもう反則だ。

「やっぱり、そろそろ大会に向けて練習しないとな。明後日から朝練の時間が早まるからさ、一緒には行けないや」

「僕は全然構わない。頑張れよ」

 明後日からはチャリ通になりそうだ。

「それにしても央樹は、随分早い時間に登校するよな。俺は朝練があるからだけど、央樹はそれもないだろ?早く行く理由かないように思うんだけどさ」

「ああ、まあ何となくだよ、何となく。何をするってわけでもないんだけどさ」

 余裕があるに越したことはないだろう。

「理由もなしに早く登校する人なんて、お前と読原、後は植村くらいだぞ?」

「読原は分かるとして、植村はひとまず生徒ですらないだろ」

 そいつは我がクラスの愛すべき担任だ!

 早寝・早起き・朝ご飯を人生のモットーにする植村先生の元気の良さには、およそ彼の半分くらいしか生きていない僕らなんかじゃ、到底かなわない。

 そして読原は、僕と尚の、小学校からの親友だ。僕が何もすることがないくせに登校出来るのも、読原の存在が大きいと言わざるを得ないだろう。如何せん、あいつと話していると楽しいのだ。気心の知れた友人との会話は、やっぱり落ち着くものがある。僕と尚、そして読原の3人が同じクラスになれたのも、ちょっとした奇跡に近いものがあると思う。

 遠くに、我が校の校門が見えてきた。

 新しい校舎ではないし、改修工事もされていないから、鉄で出来た校門は、表面が所々剥がれていて赤色の錆が覗いている。

 丁度学校の敷地内に足を踏み入れたところで、尚はいつも通り、ぴたりと立ち止まった。そして、形のいい顔を僕に向けて、悪戯っぽく笑う。

 こうして僕の親友は、いつも同じ台詞を吐くのだ。

「央樹、えーと、君のお母さんが言う、すんごいの、に会ったかい?」

 台詞は大幅に省略されていたが、すんごいの、だけでもう、何のことかが分かる。僕の母が、僕がまだちいさい頃からずうっと言ってきた、あの長い台詞のことである。一言一句違えずに、母はまるで暗唱でもするように、同じ事を何度でも繰り返すのだ。母はこの町ではそれなりの有名人なので、勿論、決まったように言う台詞も多くの人が知っている。いまだに近所のおばさんには、会う度に、

「あら央樹君、叶ちゃんの言う人には、もう会ったの?」

 なんて言われてしまうレベルだ。尚もそれと同じく、日課のように、ここで立ち止まっていつも同じことを聞く。

「会うわけ無いだろ?第一、すんごいの、だけじゃあどんな人か分からないじゃないか」

「はは、言えてるな」

 尚は屈託なく笑った。

 僕が言うのもなんだけど、仁堂家は少なからず変わっている。姉の叶世、母の叶、そして父の四人家族だが、一家の大黒柱である父は、海の方にある県庁所在地の市へ単身赴任中で、実質三人暮らしだ。

 

 姉、仁堂叶世。

 23歳で、大学卒業後、運良くこの寂れゆく町に留まってくれている大手ファミレスにパートで働いている。なんというか幼くて、天真爛漫で、シスコン的な意味ではなく可愛い姉だ。しかしそれだけで済むはずもなく、ちょっとかなりな性格……というか性質があるのだが……流石に弟である僕は、もう慣れた。


 母、仁堂叶。

 40を過ぎたにも関わらず若さとパワフルさを忘れない、レジェンドに近いスーパーマザーである。浅木沢にある食品加工会社の事務をしている。

 若い頃、それこそ学生時代には色々とやらかしたらしく、この町で彼女の名を知らぬものはいない。ちなみに僕は、そんな母の武勇伝には全力で耳を塞いで生きてきたので、打ち立てられてきた数々の伝説に一番疎いのは、実の息子である僕なのかも知れない。

 それも当たり前。僕がちいさい頃なんかは、ああ、あの子が例の叶ちゃんの息子さん、なんて言われることがしょっちゅうだったのたから。いまだに言われる時もあるが、残念ながらこんなにつまらない人間になってしまった。

 そんな母が決まって言ってきた台詞が、

「お母さんはさ、昔すんごいのに(以下略)」

 である。

 ……よく分かんないや。

 すんごいのなんて言われても、どんな人かは分からない。どんな人か分からないその人に会うなんて、土台無理な話だ。しかし母は、僕がそのすんごいのに出会うことを確信しているらしい。僕が、どうして断言できるのかと問いかけたときも、「だって私の息子だからね!」で一蹴されてしまった。

 母の中では、その一言で万事解決らしい。

 しかしすんごいのに出会うこともなく、僕はごく普通に約16年の人生を過ごした。


「じゃあな、央樹。また後で」

 そういうなり、尚は軽やかに走り出して一足先に校舎に消えた。

 僕もそれに倣い、急ぐことなく人の気配のない校舎に踏み込む。下駄箱をざっと眺めても、読原の分しか靴は見当たらなかった。今まで一度もこいつより早く登校出来た試しがないんだけど、一体何時から来ているのだろう?

 まさか泊まり込みか!……んなわけないか。

 どっちが早く来れるか勝負しよう、なんてうっかり僕が言ってしまえば、読原の事だ。泊まり込みくらいやりそうだけどなあ。

 そんな他愛もないことをぐだぐだと考えながら、階段を上り廊下をゆく。どの教室も空っぽで、恐らく昨日の放課後にかかれたのであろう黒板の落書きが、これから登校してくる大多数の生徒たちを静かに迎えているだけである。

 僕は、整然と並ぶ教室の扉のうちの一つを、勢いよく開けた。

「あっ、おはよー、央樹君」

「おはよう、読原」

 僕は、真っ先に挨拶をした彼女に返事を返し、その隣の席に着く。

 しゃっ、しゃっ、と何故かタロットカードをリズムよくきっている彼女こそ、僕と尚の親友、読原未希である。長い黒髪は腰まで届いている。前髪を長めのぱっつんに切りそろえ、顔の左右の髪をそれぞれ緩く結ばれているという、ちょっと不思議な髪型が特徴的だ。

 読原は、僕らが小学三年生の時に転校してきたそれから二年間の平凡な日常は、本当に楽しかった。夢のようだった。

 そして、五年生の時──。

「はい、未希ちゃんの占いコーナー!二枚引いて」

「えっと、じゃあ……これと、これ」

 読原の手によって扇形に広げられた大量のカードの中から、二枚を選ぶ。タロットといえば、広めの机に、決まったように並べて選ぶものではないのかなーと、むしろこれはトランプに近いんじゃないかなーと思うのだけど、言うと面倒だから言わないや。いいんだよ、これで。本人が満足しているんだから。

 それにしたって、どうして読原はこんなにタロット(?)にハマってしまったのだろう。高校に入ってからいきなりだ。

 しかもこれ、物凄い的中率である。タロットのやり方を完全無視した自己流なのに、予言レベルで当たるのだ。だからこうして、毎朝占ってもらっているのだが……。

「ふーむふむふむ、ほうほう、良かったね、央樹君!今日は最強運じゃーん」

 そう言って読原が見せてくれた二枚のカードには、綺麗な絵が描かれている。

 一枚は、的の中心に刺さる飾り矢が、もう一枚には神話の挿し絵のように、片手を掲げる女神が描かれている。掲げた手に握っているのは……稲妻、だろうか?

 いや待て、そもそもタロットにこんなカードは入っていなかったような……。

「おっ、早速新カードを当てたねー?やぁ、タロットの絵が気に入らなくてさ、おばあちゃんに描き直してもらっちゃった。ついでに、あたし流に絵の内容も変えちゃったんだけどね、なんかいいでしょ」

 それって……もうタロットの欠片も残って無いじゃん!

 完全に読原のオリジナル占いじゃん!いいの!?そんなんでいいの!?

 とは、言えない……。

「そ、それで……それはどういう意味なの?」

「え?えーと、んーと……そうだなぁ……商店街に女神様みたいな美人さんがいて、その人の持ってるくじを引けば大当たりになるんじゃない?多分」

 なにその適当極まりない感じ。

「商店街に美人さんがくじ持って立ってる可能性なんて、無いと思うけど……」

「もーうっ!五月蝿い、五月蝿いっ!央樹君ったら、もうホント駄目駄目だよー!もっとさ、もっとつまる人間になんなきゃ駄目なんだったら!ちっさいこと突っついてたって良いことないんだよ?」

「ちいさい事かな、これ……結構でかいことだと思うんだけど。それこそ、僕の一日がかかってるんだけど」

「だからちっさいことだって言ってるじゃん!」

 ……さいですか。

「どのみちあたしの占いは百発百中!当たるんだから、もう黙って受け取っときゃいいんだよー!だって、外したこと無いでしょ?ホントはお金取りたいくらい!」

「取るの?」

「取るよ。23万」

 高ぇ!

 ってか、君は小学生ですか。

しかし読原は、23万の借金でも抱えているのか、ヤケに必死になって自らの机をばんばん叩いた。痛くなければいいけど。

「そーゆーわけであるからして、払いなさい。まあ……そうだなぁ、親友割引適応で、あたしのお願いを一つ叶えてくれたら、チャラにしてあげなくもない……けど?別に現金でも構いませんけど?」

「そんな経済力はないからね、お願いを聞くよ」

 どうやら、頼み事があっただけらしい。素直に頼んでくれればいいのになあ。変なところでひねくれるからな、読原は。

「それで?僕は何をすれば、23万がチャラになってくれるの?」

「んー……それなんだけどね……」

 どうしたことか、さっきまでの勢いはすっかりなりを潜めて、読原は突然言いにくそうにしだした。悩みながら口を開き、結局困ったような、照れ笑いのような顔で言う。


「そのぅ、お母さんの御守り、無くしちゃって、さ……」


 ──え?

「あは、あはは……やー、読原さんとしたことが、もううっかり、うっかりしちゃっててさあ。落としちゃったみたいなんだよねー。笑っちゃうよねー…」

 いや、待ってくれ……

「もう、バカみたいだよねー、超爆笑!ほんとさぁ、」

「待ってくれよ!御守りって──」

 御守りって。

「そう!赤いやつね。ぱんぱんの」

 世に御守りと呼ばれるものは溢れていて。ありふれていて。

 でも、読原の言う御守りは、ただ一つだ。

 たった一つの、読原の母親の形見である。

 読原未希。小学三年生の時に転校してきた、僕らの親友。大切な友達。

 彼女の父と母は、両親は、僕らが五年生の時に、失踪した。

 浅木沢は特にこれといった事件も起こらない、ごく平凡な町である。そのニュースは瞬く間に広まった。

 なのに、何一つ情報が入らない。

 朝、小学五年生の読原が真っ赤なランドセルを背負って家を飛び出してから、誰一人として彼女の両親を見たものはいない。読原が行って来ますの挨拶をしたその時が、両親の最後の姿となった。仕事場にも現れることはなく、不審に思った職員が連絡を取ろうとしたことで、事態が発覚したらしいが。

 結局、両親が見つかることはなかった。死体としても、生きた姿としても。

 だから僕らは、読原の両親が死んだことにした。勝手に殺してしまった。故に、真っ赤な御守りを形見と呼ぶのだ。自分自身に言い聞かせるように。

 いなくなった読原の両親は、実は、読原未希の本当の父と母では、ない。読原は養子だ。5歳の時に、貰われたらしい。

 二代目の両親の失踪は、読原にとって二回目の、見捨てられるという事だった。

 だからいなくなってしまった両親が、読原を見捨ててどこかでのうのうと生きていると思うよりは、死んでいてくれていた方が、まだマシだったからだ。

 しかし失踪する前は、幸せであったらしい。束の間の幸せ。

 そんな幸せであったときに母親から貰ったのが、赤い御守りだ。布で出来た、ちいさな御守り。

 中は空っぽだった。

 僕は、読原が貰ったばかりの空っぽの御守りを見せびらかしていたときのことを、よく覚えている。学校に持ってきて、僕にも見せてくれたのだ。


「未希ちゃん、その赤い御守り、どうしたの?」

「これ?いいでしょ!お母さんから貰ったんだ。中は空っぽなんだけどね、その代わり、お願い事を何でも紙に書いて、中に入れて良いんだって──」


 あの日の読原の輝いた顔が眩しくて、今でも忘れられない。自分が養子であることも全て知り、受け入れた上で、こんなにも幸せそうに笑えるものかと、僕も尚も心から尊敬していた。あの日から、御守りの中はぱんぱんだった。

 どんな願いがその中に入っているかは見たことか無いけれど、一つだけ、願いを書いているところを見てしまったことがある。

 それは、小学五年生の時、赤い御守りが、母親の形見へと変わった時。

「おとうさんとおかあさんが、戻ってきますように」

 そんな大切な願いが込められた、世界にたった一つだけの御守り。

 それが今、読原の元にはない。

 あってはいけないことだった。有り得てはいけないことだった。しかし、それが現実となっていることが……信じられない。


「行くよ。絶対見つけてくる。どこで落とした?」

 それに僕は、一度読原に助けられているのだ。だから、今度は僕が助けなくてはならない。

「よしきた!それがね、昨日のことなんだけど……ほら、今話題になってる榊ビルの幽霊騒ぎは分かるよね?それを確かめるために、クラスの女子と行ったんだけど」

「ええと、幽霊騒ぎ……って?」

「はーぁ、もう、これだからうちの央樹君は。ホントにさ、いっつも世の中から一歩遅れたところが立ち位置になってるよねー…」

 酷い言い草だ。

「女の子の幽霊が出るって有名なんだってば。そんで行ったんだけど、ビルが見えてきたところでみんな、帰りたいって言い出してさ。意気地無いよねー。そんでもってあたしはみんなを引っ張ってずんずん行ったんだけど、不思議な事に、ビルの前に立ったら足ががくがくしだしてさ……」

 ん?読原に限ってそんな事があるのか?

「変だなって思って、ビルを見上げたの。そしたら一番上の階にね、誰かいたのっ!もう怖くって怖くって、死に物狂いで逃げて、気づいたら、」

「無かった、と」

 読原が、首がもげるほど激しく頷く。

「通った道は全部探したけど無くってさ。ビルの前に落として来ちゃったんだと思う。行ってきてくれない?流石にあたしも、またあそこに行くのは嫌だもん。気味悪くて」

「勿論。放課後になったら、すぐ行ってくる」



 尚にだけは全てを話して、放課後の到来を告げるベルと同時に、僕は外へ飛び出した。真っ先に学校から脱出すると、目的地へととにかく駆ける。こんな時にチャリがあればと思わなくもなかったが、読原の為に全力で走っていることが、当然嫌になるはずもない。

 榊ビルは、榊自動車修理工業、という個人経営のビルであったはずだ。

 中学一年生の時に、倒産したきりだが。

 今日もよく晴れていた。風が心地よい日で、あまり幽霊探しには向かない天気だ。

 ビルは学校からさして遠くないところにあるが、家とは逆方向だった。車通りがそこそこある大きめの道を逸れて、住宅地の奥へと歩いていく。塀に囲まれた道を何度か曲がり、やっとそこに辿り着いた。

「あれ……こんなに……」

 酷かったかな。

 潰れて何年も経っているし、廃ビルになれば、寂れるのは早いか。

 立ち入り禁止を告げる黄色と黒のロープを跨いで、個人経営のビルにしてはやけに広い敷地へと足を踏み入れる。ビルの構造は海の近くや川の近くにある建物とよく似ていて、一階部分が駐車場になっていた。水害の時に浸水するのを防ぐためのものだが、このビルのあるところは川から離れているし、大方、一時期はこの広い駐車スペースに収まりきらない車の出入りがあったからだろう。

 アスファルトで固められたスペースはがたがたにひび割れ、そのひびから力強い背丈の高い雑草が生えて、そよ風にゆらゆらと揺れていた。

「御守りは……」

 入り口で落としたと言っていたはずだが、まったく見当たらない。赤色だから目立つはずなのに……。

 草をかき分けて、塗装もすっかり剥げてコンクリートが剥き出しになったビルに近付く。窓ガラスはおろか、窓枠すら残っていない、完全にコンクリートだけの四階建ての建物になっている。一階に出入り口があるのだが、困ったことに、木の板で何重にも打ち付けられていた。木がまだ新しいが、誰がやったのだろう。

 あらかた周辺へ探し終え、一階部分に歩み寄る──が、そこはもっと酷い有様だった。

 錆の塊と化した自転車、タイヤ、金属パイプ、ソファー、タンス類、木材、ブロック、家電製品、布団、机、テーブル、ドラム缶……。

 ありとあらゆるゴミが、粗大ゴミを中心に足の踏み場もなく捨てられていた。

「これは……酷いな、流石に」

 こんな時はもう、独り言しか出ない。

 読原が言っていたところに御守りはないし、探すとすればこのゴミの山の中だけだ。

 なんとか安定した足場を探しつつ、僕はゴミの山の上を歩き出した。もう何年前からここで風雨にさらされているのかすら分からないような古いものから、ごく最近捨てられたのであろうものまで、様々なものを踏みしめて。

 幾度か転びかけながら、僕は辺りを見回した。

 ゴミ、ゴミ、ゴミ。どこもかしこもゴミだらけで──

「……なんだ、消火器か」

 赤いものが目に入ったと思ったら、古びた消火器だった。丁度正面の入り口の真後ろの壁に立て掛けてある。なぜかその壁の周りだけはゴミが集中していて、壁面を覆っている位なのが気になった。どうせ何もありそうもなく、見つけることも出来ず、偶然見つけた唯一の赤色に強く惹かれたせいか、消火器に近寄る。

「何としてでも見つけなくっちゃいけないんだよな……じゃないと、帰れない……」

 おもむろに、消火器に触れてそう呟いたときだった。

 乗っていたゴミの塊が崩れ、バランスも崩した僕は消火器に体重をかけ──

 がこん、と。

 大きな音が頭上から降ってきた。

 見上げると、天井には鎖が張り巡らされており、そのうち数本がじゃらじゃらと音を立てながら動いている。

「仕掛け……?」

 鎖は壁面を覆っているゴミの塊に繋がっていたらしく、その塊ごと上に持ち上がっていく。その後ろに現れたのは、扉だった。元春白かったであろうプレートには掠れかけた文字で「裏口」と書かれている。

 ……あからさまに怪しすぎる。なんだこの安っぽさは。有り得ないぞ。むしろ呆れるっていうか、こうして現れた扉に、怪しさ満載の扉に誰が入るかって話。

 というわけで、僕はドアノブをがちゃりと回した。

 我ながら凄い矛盾だ。

 しかしまあ、言い訳をさせてもらえるのなら、くまなく敷地内を探しても御守りは見つからなかったわけで、有り得ないとは思いつつ、あと探していないのはビルの中だけなのだ。

 中は真っ暗だった。手探りで確かめてみると、どうやら階段がずっと続いているらしい。

 行くしかないか。

 つま先で階段の一段一段の高さを確認しつつ、視界0の長い階段をひたすら登る。途中の階には通じておらず、どうやら四階と一階を繋ぐ直通の非常階段のようなものらしい。それにしても、あとどれだけ登ればいいのかが分からないというのは、予想以上に辛いものがある。

 暗闇に目が慣れると、少しずつ上の方が明るくなってきていることに気づいた。光はどんどん強くなる。僕の登るスピードも、上がる。

「……うわっ」

 地上に出た土竜は、こんな気分なのか。

 ようやく四階に出ると、昼の明るさと吹き抜ける風が僕の感覚を支配した。灰色の空間には何もなく、風を遮るものもなく、縦横無尽に廊下らしきところと、並んでいる部屋を行き来している。

 僕が立っているところから真っ直ぐに廊下が突き抜け、右手に5つくらいの部屋が奥まで並んでいるらしい。

 歩き出した僕の足音が、空間に虚しくこだまする。

 一つ目の部屋と二つ目の部屋は、殆ど同じ大きさだった。中を覗いてみても、当然のように何もない。一階の有様が嘘のように、綺麗にすっからかんだ。

 三つ目の部屋は、やけに広かった。だだっ広い空間に、ぽかんと空いた、元は窓だったところから外が見える。


「──え、」


 他の部屋と同じように、何もなかったなら。

 もし、誰もいなかったなら、僕の人生は違うものになっていたのかも知れない。

 しかし、部屋のすみに、人がうつ伏せに倒れていた。ぴくりとも動かず、死体そのもののように。

 思考が、一瞬停止する。風すら凪いだように感じた、一瞬のあと。

 心臓が早鐘のように打って、ショートを起こしそうなくらいに回転を始める。

 ──どうしよう。

 どうすればいい。

 女の子、だろうか。死んでいるのだろうか、いや、生きているのか。そうでなくっちゃ困る。じゃあ、助けなくちゃ。

 でもどうやって?

 どうしてここに女の子がいるのだろう。僕はどうすれば。

「お、おい……」

 声が掠れる。震える。

 もう死んでいたなら、どうしよう──!

「大丈夫、か……おい……」

 よろよろと、その子に近付く。僕もいよいよおかしくなったみたいだ。大丈夫なはず、ないのに。

 あまりに気が動転しすぎて、頭が麻痺したみたいだ……。

 ぼうっとして、考えがまとまらない。折角考えたことを掴もうとすると、雲のように霧散してしまう。

 その子の髪の色は、不思議な色だった。

 いわゆる銀髪、だろうか。いや、そんな単純なものではない、青みがかった銀色。薄い色。殆ど青なんて見えないけれど、影になって暗くなったところが、微かに青く見える……そんな髪が、風にさらさらと揺れている。

 僕は、馬鹿か。そんなこと、どうでもいいじゃないか。もっと、この子を助けるために必要なところを見ろよ。

 意識を集中させようと目を凝らすと、やっとその子の姿が見えてきた。

 だぶだぶのパーカーに、膝より少し短いくらいに折ったジーンズ、スニーカー。投げ出された足は、骨と皮で出来てるんじゃないかと思うくらいの、病的な細さ。

 これは、いよいよ大変だ。どうしよう──!

 そうだ、警察。違う、救急車か。119。

 ……このときの僕は、本当に馬鹿だった。相手は女の子だ。そんなとこに電話すれば、疑われるのは自分なのに。しかしまあ、ごく普通の人であれば、そんなことなど考えずに通報してしまうだろう。僕は普通の人だから、まさにその通りだった。

 制服のポケットから震える手でケータイを引っ張り出し、数字の並ぶ画面を立ち上げる。

 1を二回プッシュして、指を最後の数字にスライドさせた、その瞬間。


 僕の手の中にあったケータイが、粉々に粉砕された。


 液晶画面から、ボタンから、中に入っている精密機械が沢山くっついたプレートのようなものまで全て、跡形もなく。

 甲高い悲鳴のような音を立てて割れて、粉々になり、ついには僕の指の間を砂のようにすり抜けて、コンクリートの上に散らばった。

 思考が追いつかない。

 追いつく間もなく、次は我が身。

 全ての方向からナイフで串刺しにされたかのような、想像を絶する痛みが僕の全身を襲った。

「───は、」

 もはや叫ぶことすら出来ない。肺から急速に空気が漏れていく。

 膝が勝手に折れて、その場に激しく崩れ落ちた。

 全ての細胞が、蠢いている。血液という血液が沸騰し、煮えたぎっている。痛覚しかなく、世界が暗転していく。

 苦しい。死ぬ──。

 でも。

 でも、待てよ。

 もしかしたら、この子は。霞んでいく視界にぼんやりと映るこの子は、僕が感じている原因不明の痛みに襲われたのではないか……?

 もしそうだとしたら、ここで倒れている場合か。この子は、僕よりずっと長く、痛みに苦しんでいるはずだから。

 御守りのことも何もかも、忘れて。

 ただ僕は、右手に全身の力を込めた。

 指先が微かに動き、ざらざらとしたコンクリートを擦る。少しずつ、少しずつ、なんの意味もなく彼女に手を伸ばす。

 何も考えていなかった。何も考えられなかった。ただ、手を伸ばしていた。

 この手が少女に触れるのが先か、それとも僕の意識が吹っ飛ぶのが先かという瀬戸際で──

 吹き飛んだのは、僕を殺しかけていた痛みだった。ついでに伸ばした手からも力が抜ける。

 一体、何がどうなっているんだ……?

 体に痛みが全く残っていないことを確認しながら、恐る恐る身を起こし、思い出して、女の子に目をやると。

「何の用だ」

 彼女は首だけをくるりと回して、僕を激しく睨んでいた。あまりの剣幕に言葉が出ない。

 その瞳は、アイスブルーだった。

長いお話だということが、もうこの第一章で丸わかりですね……w


これからが、本番なんです。少女との出会いで始まる物語。


そんなこんなで、神成かみなりの第一章でした。


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