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アイ・アム・ココア

作者: マコト

ボクは生後1年2カ月になるミニチュア・ダックス。名前は「ココア」です。この名前を付けてくれたのは、ボクのご主人様のユメちゃんです。ペットショップで初めてボクを見たとき、ユメちゃんの頭に「ココア」という名前が閃いたそうです。

ユメちゃんは、とっても可愛い18歳の女の子で、とっても美味しいと評判のケーキ屋さんで働いています。ユメちゃんは以前、

「私は毎日この服を着て、お客さんの所へイチゴタルトやモンブランを運んでるんだよ」

と言って、白いフリルの付いたワンピースを着て、ボクに見せてくれたのですが、髪の毛を金色に染めているユメちゃんは、まるでおとぎ話に出て来るお姫様みたいにキラキラ輝いていました。

 ユメちゃんは毎日、仕事から帰ってくると「ただいま、ココア」とボクを抱き上げて、ムギュムギュしながら頬ずりしてくれます。ボクはそれが嬉しくて嬉しくて、いつもユメちゃんのほっぺをペロペロなめてしまいます。ボクはユメちゃんのことが大好きです。

 でも、そんなユメちゃんの様子が、ここのところ少し変なのです。朝、ミルクをたっぷりかけたコーンフレークを食べながら、何度もため息をついたり、夜、家に帰ってきてから鏡に映った自分の姿をぼんやりと見つめていたり・・・。

 ボクはユメちゃんのことがとても心配で何度も「ユメちゃん、どうしたの?」と聞いたのです。でも、ユメちゃんにボクの言葉は伝わりません。ボクはただ、細長い体をユメちゃんの足元にすりよせながら、元気のないユメちゃんを見上げるばかりでした。

 ユメちゃんの悩みの原因が判ったのは、とある水曜日のことでした。ユメちゃんが働いている店は水曜日が休みなのです。

いつもよりちょっと遅めの朝ごはんを済ませてから、ユメちゃんはボクを散歩に連れて行ってくれました。透き通った冬の陽射しを体いっぱいに浴びながら、ユメちゃんとボクは街を歩いて行きました。

 と、あるマンションの前に来た時でした。ユメちゃんが急に立ち止ったのです。ユメちゃんの少し前をご機嫌モードでトコトコ歩いていたボクはリードに引っ張られて、あやうく転びそうになりました。ボクが「?」と思って振り返ると、ユメちゃんは、冬の空に吸い込まれそうにそびえるマンションをジッと見上げていました。それは少し古ぼけた感じのマンションでした。

 その時です。マンションの玄関から青年が一人出てきました。温かそうなフリースに、ボクと同じチョコレート色のマフラーを首に巻いた青年は、真っ直ぐこちらに向かって歩いてきました。それを見たユメちゃんは驚いた様子で目をパチクリさせていました。

 やがて青年もユメちゃんに気付きました。青年は「よお」と右手を挙げてユメちゃんに近づいてきます。とても笑顔の素敵な青年です。少し恥ずかしそうに微笑むユメちゃんの胸がドキドキ鳴っているのがリードを通してボクにも伝わってきました。

「犬の散歩?」

青年の問いかけにユメちゃんは大きく「ハイ」と頷いたのですが、ユメちゃんの目元はとても可愛く潤んでました。青年はユメちゃんにニッコリほほ笑むと、しゃがみ込んで「おはよう、ココア」とボクの頭を撫でてくれたのです。ボクの名前を知ってる?しばらく青年の顔を見上げていたボクは、「あ、この青年が達也君なんだ」と気付きました。

 達也君はユメちゃんと同じ店でケーキを作っているパティシエです。

「ケーキ作ってる時の達也君て最高にカッコいいんだよ。こうやってね」

達也君がケーキを作る時の仕草を真似て、ユメちゃんは僕に達也君の魅力を何度も何度も熱く語っていたのです。

「どこかへ出かけるんですか?」

ユメちゃんが4つ年上の達也君を真っ直ぐ見つめて訊ねます。

「うん、特にどこってわけじゃないけど天気もいいし、その辺を歩こうと思ってね。そうだ、良かったら一緒にどう?」

ユメちゃんが大きく頷いたのは言うまでもありません。

 二人はケーキ作りの話、最近観た映画の話、子供の頃の話なんかをしながらゆっくりと街を歩きました。二人とも笑顔がとても素敵で輝いていました。

 やがて二人は、ユメちゃんと僕とがいつも来ている公園に着きました。日曜日だと滑り台やシーソーで遊ぶ子供たちの姿があるのですが、水曜日の今日は誰もいません。ユメちゃんと達也君は大きなポプラの木にあるベンチに腰掛けました。二人の足元には黄色い葉っぱが絨毯みたいに広がっています。ボクは二人に向き合う形で落ち葉の絨毯の上に座りました。

「あの・・・本当に行っちゃうんですか?」

ユメちゃんが切ない声で達也君に訊ねます。

「うん、再来週の月曜日に出発なんだ」

「私・・・淋しい・・・」

ユメちゃんの声は可哀想なほど震えています。

「俺も同じだよ。せっかく友達になれたのにゴメンな・・・。でも、俺はフランスでケーキ作りの腕を磨いて、沢山の人たちに美味いケーキをいっぱい食べてもらいたいんだ。もちろん、ユメちゃんにも」

ユメちゃんは目の前にあるブランコを見つめたまま頷きました。

 達也君と別れて家に帰る途中、ユメちゃんは唇を噛みしめ必死に達也君のことを思いつめている様子でした。ボクにはその気持ちが痛いほどわかりました。

「ココア、私は一体どうすればいいの?」ユメちゃんの目には涙があふれています。

 家に帰るとユメちゃんはいつものようにボクの足をタオルで丁寧に拭いてくれました。ボクは少しでもユメちゃんを慰めたくて、ユメちゃんの膝に頬を擦りよせていました。

 その時です。辛そうだったユメちゃんの顔にパッと光が射したのです。笑顔に戻ったユメちゃんは、

「ココア、私、買い物に行って来るね」

と勢いよく家を飛び出していったのです。

 しばらくして戻って来たユメちゃんのエコバックには大きな赤い布と一冊の本がありました。

「いいこと思いついたんだ。さあ、頑張るぞぉ」

ユメちゃんの目には活き活きした輝きがありました。

 その日から赤い布切れとユメちゃんとの闘いが始まりました。ユメちゃんは本に書いてある通り、白い紙に線を引いて切り抜き、今度はその紙を赤い布にあてがって紙の形に合わせて布を切り始めたのです。ボクにはユメちゃんが何をしているのか、さっぱり判りませんでした。でも、真剣な表情でハサミを使うユメちゃんというのはとっても素敵でした。

 それからというもの、ユメちゃんは毎日仕事から帰ると、針と糸を使って切り抜いた布を縫い始めたのです。コタツに足を入れて縫物をするユメちゃんの目は、何だかとても幸せそうで、ボクまで体が暖かくなるようでした。ユメちゃんがそれを完成させたのは、火曜日の夜でした。それを綺麗に折りたたんで袋に入れると、ユメちゃんは電話で達也君と会う約束をしました。

 水曜日の朝、達也君はこの前と同じ格好で約束の時間通りに公園へやってきました。

「これ、私の手作りなんです。受け取って下さい」

ユメちゃんはそれが入った紙袋を達也君に差し出しました。微笑んで受け取った達也君が、中身を取り出します。

 中から出てきたのは真っ赤なエプロンでした。エプロンの真ん中には「Dream」という文字が白く浮かんでいます。達也君は「わ、凄ぉい」と言うと、さっそくそれを身につけました。サイズもぴったりでとても似合っています。

「ホントはフランス語にしたかったんだけど、判らなくて・・・」

ユメちゃんが恥ずかしげに俯きます。達也君はそんなユメちゃんを暫くの間愛おしそうに見つめていましたが、ユメちゃんの小さな体を包み込むようにムギュッと抱きしめました。そして、

「ありがとう。俺、頑張るからな。絶対に一流のパティシエになって帰ってくるからな。誰よりもユメちゃんの為に。それまで待っててな」

とユメちゃんの耳元で囁いたのです。

「うん・・・私、待ってる・・・待ってるから・・・」

ユメちゃんは肩を震わせて泣いていました。それはとびきり美しくて優しい光景でした。

 抱きしめ合っていた二人の体が離れた時、ユメちゃんの顔には笑顔の花が咲いていました。それはボクが今まで見たことのないような最高に綺麗な笑顔でした。ボクは思わず、「よかったね、ユメちゃん」と鼻を鳴らしてみせました。すると、達也君が僕の前にしゃがみこみ、ボクの顔を真っ直ぐ見詰めて、こう言ってくれたのです。

「俺のいない間、ユメちゃんのことを頼んだぞ」

って。ボクはもう空を飛びたいほど嬉しい気持ちになって、短いシッポを思い切り振りながら「ワンッ」と答えたのでした。

                                            (終)


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