ネオン
雨の中にいる自分はいつもより孤独だと思う。
電柱に隠れている三毛猫や、相合傘で歩くカップルや、会社帰りのサラリーマン。駅前では大きな緑色のネオンの標識に、夜の街が照らされる。駅前のマックは自給が高いらしい。しかし、駅前という忙しさから見ればその自給は割に合ってなかった。
薄い緑のファー付きコートのフードを被って、雨を凌いでいた僕は人が通らないような路地を進んだ。裏道にでると、表よりも空気が綺麗に思えたが気のせいだった。暗い裏道を水溜りを踏まないようにゆっくりと進む。
イヤホンから流れ出す音と雨音の交差。
染み込んだタバコの匂い。
午後11時7分の暗闇。
裏道の全てに包まれ、僕は表へ出る曲がり角の前で止まった。目の前には急ぎ足で僕の目の前を通り過ぎる人たちがいた。いや、それしかいなかった。誰もこちらに気を止めず、僕の存在など見ていないようだ。
雨が少し激しくなってきた。先ほどよりもコートが重く感じた。ポケットに手を入れていたが意味がなかった。手は悴んでなにも感じなくなっていた。
夜だというのに明るいのがこの街の嫌いなところだった。裏道から表へと出ることができなかった。五月蝿くて、明るいのは嫌いだった。
「なにしてるのかなぁ?」後ろから声が聞こえた。僕は驚いて振り返った。誰もいなかった。
声が幻聴だって事はすぐに気付いた。あの声に似ていたことも分かった。僕はフードを深く被る。僕が泣いていることなんて誰も気付かないだろう。
ポケットの中にある手をぎゅっと握った。少しも暖かくならなかった。だから、僕は何度も握り返した。
誰かに暖めてもらえたら、と思うがそれはできないので僕は一人で暖まる方法を探してみる。
実際、一人でやったほうが効率がよいものもある。
暖まることだって、ヒーターがあればできる。マフラーや手袋をしてぬくぬくと布団の中や炬燵の中に入り込めばよいもの。
「もうちょっと甘えろよ」そんな幻聴がまた聞こえたので、僕は「うるせぇよ」と幻聴へ反発した。
息を吐くと白かった。あのタバコの煙に似ていた。水蒸気はタバコの煙のようには長生きはしないけれど。
僕は裏道を引きかえした。同じ道を歩いた。いつまで経っても暗かった。
雨が小降りになってくる。まだ日付は変わらない。布の繊維から染み込んでくる冷気が身体を冷やす。防寒の意味などないような気をさせる。
脚はすでに麻痺していた。感じるのは心臓の鼓動ぐらいだった。他の場所は生きているのだろうか。
そろそろ家に帰ろうと思い、裏道を出ることにした。光から逃れることができたこの路地は、一体いつまで太陽の光を見ないで過ごすことになるのだろうか。僕は、光を浴びることに慣れていた。むしろ、光を浴びないと死んでしまうようだった。
太陽光やネオンのライト、道端の花、あの人の笑顔。
光をいってもたくさんあったから。あの人の笑顔はいつも明るかった。声も明るかった。僕とは違うから眩しすぎた。
けれど、その光がすぐ隣にあったことを僕は誇りに思う。今はなくても、それは僕の宝物だ。
街頭がないおかげで、水溜りを思いっきり踏んでしまった。靴の中はすでに濡れているから、あまり被害はないがぐちゅぐちゅと気持ちの悪いものになった。雨はまだ止まないようだ。
時々、あの人はどうしていきなりいなくなったんだ、と自問するときがある。そんなことは自問したって、自答すらできない。したくもなかった。
あの人の低くて優しい声が忘れられない。
自分はいつまでも泣いていてはいけないと思う。
いつか断ち切らないといけないときがあるのだ。
きっと両親は寝ているだろう。静かに玄関の扉を開けて、中へ入った。外とあまり変わらない寒さの室内。濡れた靴下を脱いで、裸足でフローリングをあるいたが寒くてしかたがない。
リビングの電気がついていた。覗いてみると父がコーヒーを飲んでいた。
「父さん、なにしてるの」父は少し驚いて、あぁ、と漏らした。父は僕の名前を呼んで、顎で自分の前の席をさした。座れということなんだろう。
「もう、そんなに落ち込むことはない。しょうがないんだ」父はそういって、その言葉をコーヒーで再び身体の中へ戻した。
「父さん、俺、しょうがないでまとめて欲しくないんだよ」そういって席をたった。もう眠たかったから。暖かい風呂には行って、すぐに寝たかった。父の言葉なんてもう聞き飽きたのだ。父は正しい。本当は「しょうがない」「運が悪かった」。それで逃げ惑うしかない。真実を見たら、倒れてしまうから見てはいけない。それを父と母は知っている。僕は知っているのに、見ようとする。
考え事をしていたせいか、長湯してしまい逆上せた。楽な部屋着に着替えて、ベランダへ出た。小雨が降っていて、火照った身体に当たるのが気持ちよかった。僕は冷たい、空気をめ一杯吸った。そして、ゆっくりと吐いて、曇天を見上げる。雲のせいで星すら見えない。黒い水蒸気に向かって僕は白い吐息をはいた。
「兄ちゃん、こんな弟でごめんね」