第61話 奇跡は再現され、女王は手を伸ばす
美麗は、モニターに映る冴月の姿を見つめながら、ふっと微笑んだ。
「……だけど」
血の海に沈むその身体。薄い金の糸のようなサラサラの髪は、血に濡れながらも淡く光を宿し、色あせずにいた。しかし、その顔は蒼白で、意識があるようには感じられない。
「彼女、もう瀕死よ? 血を流しすぎて、意識もない。異界の騎士に、魔術師に、影の者……どれだけ強くても、命を繋ぐ術はあるのかしら?」
その声は、どこか試すようで、どこか焦りを隠すようでもあった。
「さあ、どうするの? ひとまず英雄たちと呼ばせて頂戴。あなたたちの力で、彼女を救えるのかしら?」
美麗の指が、そっと唇に触れ、その瞳は、再び脚本家のそれに戻っていた。
「見せてちょうだい。あなたたちの奇跡を」
そう思っていたはずなのに……感情を露わにすることが滅多にない美麗が、思わず声を漏らすほどの衝撃が、モニター越しに彼女の心を揺さぶった。
「……エリクサー、ですって?」
魔導モニターの前で、美麗は呆然と何度めかの呟きをこぼした。
その瞳に映るのは、虹色の光を放つ液体と、それを口移しで冴月に与える紫乃の姿。
「まさか……そんなもの、現実に存在するはずが……」
白蛇紋システムを通してエコーが、淡々と告げる。
「対象の薬品、魔力構成解析中……推定:神級霊薬に近い性能。効果:全身再生、魂の定着、魔力完全回復。希少度:記録上、存在一本のみ確認。推定価値:計測不能」
「…………っ!」
美麗の指が、震えた。
その瞬間、冴月の身体が光に包まれ、裂けた鎧が再生し、血に濡れた肌が白く戻っていく。
「完全再生……? 魂の呼び戻しまで……?」
彼女の瞳が、冴月の復活を見届ける。まるで神話の中の英雄のように、静かに、少しよろめきながらも気高く立ち上がる。
「……これは、もう奇跡じゃない。技術よ。再現性のある、確かな技術……」
美麗の声は、かすれていた。その胸の奥で、焦燥と興奮が渦を巻く。
「こんなもの……九条に渡すわけにはいかない。あの女狐がこれを手にしたら、均衡が崩れる。世界が、間違いなく、ひっくり返るわ」
彼女の指が、無意識に机を叩く。
「異界の英雄たち……あなたたちは、あまりにも危険すぎる」
その声は、もはや観客のものではなかった。舞台の外からただ見下ろす者ではなく、舞台の上に引きずり出された者の、焦りと畏れに満ちていた。
「……でも、面白いわ。なら、私も……次の一手を打たなきゃね」
美麗の瞳が、再び鋭く細められる。その奥に宿るのは、狂気と執念、そして絶対に主役の座を譲らないという、支配者の心持ちだった。
「…………まさか」
魔導モニターの前で、美麗は、再び言葉を失っていた。
白蛇紋システムにすら解析を許さない剣筋の銀鉄の騎士、失われたはずの神聖魔法を、無詠唱で紡ぎ出す魔術師、そしてエリクサーや特級ポーションといった奇蹟の調合を、自ら精製できると思われる薬剤師、その素顔が、ついに明かされた瞬間。
まるで世界が、息を呑んで静止したかのようだった。
その場にいた五星姫たちはもちろん、画面越しに見守る者たちも、言葉を失い、ただその光景に見入っていた。
「…………白蛇紋、解析を」
美麗の声は、低く、小さく、そして……どうしようもなく震えていた。
それは怒りでも、恐怖でもない。圧倒的な未知に触れた者だけが抱く、畏怖と陶酔の入り混じった震えだった。
「対象三名の魔力波長、遺伝構造、精神波動を解析中……」
エコーの声も、いつもの無機質さを失っていた。
わずかに上ずったその声には、明らかに高揚とした雰囲気で彼女にとっても、これは想定外の奇跡だと思えた。
「結果:該当個体は、現行世界の男性種とは一致せず。推定:ダンジョン発生以前の男性像を基盤とした、理想化された具現存在。構成要素:記憶、感情、願望、遺伝情報の複合投影体。起源:不明。補足:白蛇紋システムの本来の目的である白印男性の再構築との一致率、98.77%」
「…………っ!」
美麗の瞳が、これまで以上に大きく見開かれる。その瞬間、彼女の中で、すべての点が線となって繋がった。
「そう……そういうことだったのね……」
白蛇紋システム。
それは、白印と呼ばれる儚くか弱い男性たちが、かつての強さと尊厳を取り戻すために、鏡宮家の先々代当主、美麗の祖母が、狂気と執念をもって設計した、禁断の再構築装置だった。
その原型は、美麗の母によってさらに洗練され、より精密で美しく、そして残酷なシステムへと昇華された。
そして、いま……美麗の代に至り、その装置はついに完成を迎えようとしている。
「そう……彼女たちは、願ったのね。かつての男たちを。そして失われた強さ、逞しさ、優しさ、加えて美しさを」
美麗は、震える指でモニターをなぞる。そこに映る三人の姿は、まさに理想を具現化したそのものだった。
「……想定外だったわ。まさか、女性の願望が、ここまで明確に形を持つなんて」
エコーも昂る気持ちを隠せずに告げる。
「白蛇紋システム、感情具現化機能の暴走を確認。対象三名は、複数の女性の理想像を基に構築された存在である可能性有。ただし、異世界からの来訪者である可能性も、約一割存在。現時点ではいずれの仮説も推測の域を出ておらず、確定は困難です」
エコーの報告に、美麗は無言のままモニターを見つめ続けていた。その瞳には、驚愕と陶酔、そしてほんのわずかな焦燥が入り混じっている。
「ふふ……ふふふ……!」
美麗の唇が、ゆっくりと吊り上がる。その笑みは、狂気と歓喜の入り混じった、彼女だけの確信の証だった。
「ならば、なおさら……この三人、絶対に九条の女狐、そして世界中の誰よりも先に手に入れる」
その声は、低く、鋭く、そして揺るぎなかった。
「カリギュラ……よくぞ、散ってくれたわ。あなたが壊れたおかげで、私は本当の価値に気づけた」
美麗の視線が、モニターの片隅に映る、赤黒く濁った魔石……散って残ったカリギュラのコアへと向けられる。
「その犠牲……ふふ、違うわね。私の影として生まれ落ちた存在価値を無駄にはしないわ。この舞台、あなたのためにも、もっともっと面白くしてあげる」
三人の理想の男たちの素顔が全世界に配信された瞬間、視聴者たちの熱狂が、臨界点を超えた。
コメント欄は嵐のように流れ、歓声と混乱と絶叫が入り混じる。それに伴って配信していたサーバーは悲鳴を上げ、警告音が響き渡っていた。
「白蛇紋システム、外部感情波の急激な流入を検知。エネルギー蓄積率、臨界点を突破」
画面が白くフラッシュし、次の瞬間、全ての映像が途切れた。
サーバーダウン。
その報せは、瞬く間に世界中を駆け巡り、視聴者たちの阿鼻叫喚がネットを埋め尽くした。
『嘘でしょ!? 今このタイミングでフリーズ!?』
『薬師様の唇が……唇が……ああああああああ!!』
『男気の波動でサーバーが爆散した説、濃厚』
『これはもう男力による通信障害……公式、後で謝罪会見必須』
白蛇紋システムは、その熱狂と混乱、視聴者たちの感情の奔流を、まるで蜜のように吸い上げていく。
その魔導核は、今やかつてないほどのエネルギーを帯び、脈動していた。
「理想の男性三名の出現、そして白銀坂 雪……この瞬間に貴方がユクドラシルへ到達するなんて。ふふ……偶然? いいえ、違うわ。これこそが、必然。さあ、幕を上げましょう。この世界を、もっと美しく彩るために」
美麗のその瞳に宿る光は、もはや観察者のそれではなかった。
彼女は、五星姫の活躍を配信していたサーバーがダウンしたことにより、何も映さなくなったモニターを、ただ何も語らずに見つめたまま、これからの策謀に思いを馳せるのだった。




