第3話 深層に潜む悪意との遭遇
その『なにか』が、ゆっくりと振り返った。
くすんだ紅と墨色の衣装が、まるで血と墨を吸い込んだ布のように、重たく、湿った音を立てて揺れる。
首のまわりには、血のしみ込んだような布が層をなしていた。
その奥に浮かぶのは、笑っているはずなのに、どこか裂けているような仮面。左右非対称に歪んだ口元、ひび割れた頬、そして目の位置には、空洞すらない塗り潰された闇が広がっていた。
瞳はない。しかし、確かに見られている。視線ではなく、存在そのものをえぐるような感覚が、五人の背骨をはい上がってくる。
そして、その手に握られているのは、黒鉄の大鎌、刃はまるで金属ではない何かのように鈍くにごり、光を吸い込むような闇色で、刃先は赤黒く揺らめいていた。
それは斬るための道具ではない。終わらせるための得物。
足元には、砕けた仮面の破片と、焦げた羽根の残骸。まるでかつてここで戦い、そして終わった者たちの名残のように、沈黙の中で死を告げていた。
「……っ」
紫乃が、たまらず息を呑む。その顔から、血の気が引いていった。
「紫乃……?」
冴月が声をかけるが、彼女は答えない。ただ、震える唇から、かすれた声が漏れた。
「あれは……まさか……カリギュラ……?」
【コメント欄】
『え、紫乃様が……震えてる?』
『カリギュラって……なにそれ……?』
『見た感じもやばさしかないんだけど……』
『……初めて見た、紫乃様が言葉を詰まらせるの……』
『やばいやばいやばい、これマジでやばいやつじゃん』
『誰か説明して!!』
『カリギュラって何者』
カリギュラは、何も言わない。ただ、仮面の奥から、笑い声のような音が、直接、脳に響いてきた。
〈……ふふふ〉
紫乃の声は、震え、普段の冷静さは影を潜め、瞳には明らかに怯えの色があった。
「知ってるのか、紫乃」
冴月の問いに、彼女はわずかに肩を震わせながら、小さく頷いた。
「……三年前のことですわ。北方の大国にて、王国随一の実力者たちで結成されたA級パーティー《銀の鷹》。その精鋭達ですが、迷宮探索中に壊滅いたしましたの」
「壊滅……?」
「五人のうち、生還したのは、たった一人、その方が最期に遺した名こそが……『カリギュラ』でしたわ」
紫乃は、手元の魔導端末を操作し、九条家の保存されているデータベースを呼び出す。だが、表示されたのは、秘匿指定:閲覧制限の文字。
「……九条家の記録でも、秘匿級。推定脅威度は、EX級。『迷宮に潜む悪意そのもの』と記されていますわ」
「EX級……なんだそれ!?」
斗花が目を見開き、声を荒げる。
「オレたち、全員A級だぞ……!?」
紫乃は、わずかに視線を伏せながらも、静かに言葉を継いだ。
「EX級とは、S級をも超える『例外的存在』に付けられる分類ですの。記録上、確認されているのは三体のみ、いずれも、国家単位での対応が必要とされた災厄ですわ」
その声音はあくまで冷静だったが、その指先がわずかに震えていた。
「だからこそ、ここに現れたのかもしれません」
【コメント欄】
『EX級って……S級より上!?』
『そんなランク、初めて聞いたんだけど!?』
『A級パーティーが壊滅してるってマジ……?』
『紫乃様が震えてる……本当にヤバいんだ……』
『迷宮に潜む悪意って、どういう意味……?』
『これ、配信止めた方がよくない!? って止まらないだ……』
『#カリギュラ=国家災厄説』
『EX級って、討伐対象じゃなくて隔離対象じゃ……?』
カリギュラは、ただそこに立っているだけだった。それでも、その存在が放つ何かが、空間そのものを歪ませていた。
「……冴月」
紫乃が、かすれた声で言った。
「これは……本来、私たちだけで戦える存在ではありません」
その言葉を聞いた瞬間。うたたの肩が、びくりと跳ねた。
「……う、そ……」
彼女の指先から、魔力がこぼれ落ちる。いつもなら、軽口を叩きながらでも、魔法陣は一瞬で展開される。しかし今は、魔力が集まらない。いや、集める気になれない。
「なにこれ……なにこれ、なにこれなにこれなにこれ……っ」
うたたの声が、震えながら漏れる。
地雷系ファッションに身を包んだその姿が、今はただの少女のように見えた。
彼女は誰もが認める天才だ。
多彩な魔法の才能に恵まれ、どんな敵もなんとなくで対処できた。また周囲には、冴月や紫乃といった本物の達人がいた。だからこそ、本気で恐怖を感じたことなど、一度もなかった。
それゆえにこそ、彼女の類いまれな魔法センスが、囁いていた。
(この敵には……なにをしても、勝てない)
その囁きが、理屈ではなく、魂に直接突き刺さってくる。
【コメント欄】
『うたたちゃん……?』
『え、うたたが魔法詠唱してない……?』
『いつもなら真っ先に撃ってるのに!?』
『うたたちゃんが……震えてる……』
『これ、マジでヤバいやつだって……』
『天才の本能が拒絶してる』
『逃げて……お願い、逃げて……!』
うたたの魔力が崩れ落ちた瞬間、空気が、まるで水底のように重く沈んだ。
「……おい、うたた……しっかりしろ」
斗花が声をかける。
その声は低く、いつも通りの姐御節のはずだった。なのに、拳が震えていた。
「……なんだよォ、これ……」
彼女は拳闘士だ。どんな敵にも、拳ひとつで立ち向かってきた。痛みを恐れず、恐怖を殴り飛ばし、仲間の盾となってきた。
なのに今、その拳が、握れない。
「……殴れる気がしねぇ」
ぽつりと漏れたその言葉に、斗花が殴れないと弱音を吐いたのを、初めてきいた紫乃が息を呑む。
【コメント欄】
『斗花姐さんの拳が……震えてる!?』
『うたたに続いて斗花まで……』
『姐御が殴れないって……それ、もう終わりじゃん……』
『#拳闘士の本能が拒絶してる』
『これ、マジでEX級の恐怖……』
『誰か、誰か止めて……お願い』
配信開始から数分で同時接続数は八百万を突破。これは歴代三位の記録であり、王子様パーティーこと《戦律の五星姫》が、世界的な注目を集めていることの証明だった。
だが、その数はさらに伸び続けていた。うたたの魔力が崩れ、斗花が拳を握れなくなった瞬間、 視聴者たちは、ただのエンタメとして見ていた画面の向こうに、本物の死の気配を感じ取ったのだ。
そして、同接は一千万を超えた。それはもはや、娯楽ではなかった。
世界が、息を呑んで見守る災厄の実況中継となった。
3話を投稿した小説に、早い段階で評価やブックマークをいただけて、とても嬉しく思っています。
読んでくださった方々に心から感謝しています。
これからも丁寧に物語を紡いでいけたらと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。




