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第26話 平常心は、逃げ出した



 そして、うたたによって張りつめていた空気をそっと断ち切るように、別の影が、静かに前へ進み出る。


 うたたの一点集中の狂気めいた熱から、深夜のようなひんやりとした気配へと、場の温度が滑らかに移り変わる。


胡蝶(こちょう) 夜々。影として任務を全うします」


 澄んだ声が、夜気のように静かに落ちた。


 彼女の装束は、闇に溶ける深い黒と濃い緑で統一されている。布は軽く、音を立てず、動きをほとんど阻害しない造り。


 戦うための衣であることは明白、それなのに。


 冴月は騎士の正装、紫乃は戦闘用ドレス、斗花は軍服をアレンジした重厚な戦闘服、三人とも肌が直接みえるのは顔と素手の時に手先ぐらい、うたたは戦闘服を地雷系女子ファッションにアレンジしているが、それでも肌が見えるのは足元ぐらいであるのに、夜々はひとりだけ違っていた。


 一歩踏み出すたび、しなやかな身体の線がはっきりと浮かび上がる。


 決して露骨ではない。しかし、隠しているはずのものが、そこにあると意識させる、計算された静かな艶があった。


 呼吸に合わせて揺れる布の陰影。腰に巻かれた細帯が自然と強調するくびれのライン。太腿の装備帯は実用そのもののはずなのに、その位置取りが脚の長さを際立たせている。


 そして、何より目を引いたのは、夜々の髪だった。特級ポーションのエステ効果によって、戦いによって血と煤にまみれていた髪は、本来の白銀のさらさらとした艶やかさを取り戻していた。


 光を受けて淡く揺れるその髪は、どこか現実離れした透明感を帯びている。


 三人は、それがずっと気になっていた。直接その姿をとらえないようにしていても、どうしても目の隅に入ってくる髪の色は、彼らの国では女王陛下にも匹敵する尊き御方、巫女様の象徴と噂されている。


 彼らの生みの親ともいえる、招魂の儀を執り行える唯一無二の存在。誰もその姿を見たことがない、王国の秘中の秘。


 そして、ふと三人の脳裏に、あの歌がよぎった。


 リュカがよく口ずさんでいた、あの古謡(こよう)


『銀の髪、風に舞い額に灯るは、聖のしるし。そのもの魂を呼び命を繋ぐ、その御方の尊き名は、風の奥に……』


 誰に教わったのかもわからないまま、リュカはよく、迷宮のキャンプの焚き火のそばでこの歌を口ずさんでいた。どこか懐かしげに、けれど祈りを捧げるように、遠くにいる誰かに想いをとどけるかのように。


 そのときは、ただの古い歌だと思っていた。けれどいま目の前に立つ女性の髪が、あまりにもその歌の情景に重なって見えた。


 もちろん、夜々の額に印はない。しかし、あの髪の色と質感だけで、彼女の存在が、ただの影ではないことを、本能が告げていた。


(……いや、待って)


 フェルマはそっと眉をひそめた。どうしても、引っかかることがあった。


(そもそも……王族に連なるような御方が、影などという立場に就くものだろうか?)


 彼の国では、黒の髪は聖なる者、そして銀の髪は選ばれし者の証と噂されている。それは王家の中でも迷宮に深くかかわる血に連なる者か、あるいは巫女様のような神聖な存在に限られていた。


 そんな御方が、影として任務に就くなど、彼らの常識的に考えれば、絶対にありえない。


(……もしかして、翻訳魔法の誤作動かも?)


 フェルマは、そっと呟くように思考を巡らせる。


(影じゃなくて、影御前とか……? いや、でもそれはそれで意味が通らない……)


 彼の脳内で、言語構造と文化的背景の照合が始まる。けれど、どれだけ理屈を積み上げても、目の前の女性のただならぬ気配だけは、説明がつかなかった。


(……やっぱり、普通の尊き御方なんかじゃない……まさに姫と呼ぶにふさわしい……御方)


 その確信だけが、静かに胸の奥に残った。


「……ッ」 


 クラウもフェルマと同じく、追憶にひたりそうになりながら、決して直接みないようにしていた……その装束。ただ戦に赴く衣装のはずなのに、まったく視線が落ち着く場所が見つからない。


 騎士として鍛え上げた精神が「絶対に見るな」と命じる。それなのに戦士の観察眼が、どうしても戦闘には不要な情報まで拾ってしまう。


 結果、視線がさまよう。天井、壁、床。


 もう一度天井。


(敵影を探せ……敵影を……! 頼むから視界に入るな……!)


 この場所にすでに敵となるものはいない、そう解っているのに平常心ではいられなかった。むしろ、平常心が逃げ出していた。


 フェルマはさらに分かりやすい。


「…………」


 無言のまま、すっと顔を伏せる。しかし薬師の性なのか、視界の端に入った情報を脳が勝手に分析してしまう。


(動きやすさと体温調整を両立した合理的設計……でも……でも……精神的動揺の副作用が限界突破……)


 理性は冷静に評価しているのに、心拍数は明らかに大きく跳ね上がっていた。耳まで赤くなっているのを、本人だけが気づいていない。


 そして夜々は、そんな二人の混乱など露ほども気づかず、ただ静かに、任務に就く影としてそこに立っているだけ。


 その無自覚さが、逆に二人の動揺をさらに加速させていた。


 その、はずだった。


 すっ……


 音もなく、ひとつの影が横切る。


 うたただった。


 彼女は何気ない動作で、ストレイの正面にすっと立つと遮る、というほど露骨ではない。しかし結果として、ストレイの視界から夜々が完全に消えた。


 金色の瞳は半分眠たげなまま。けれど声だけが、やけに低く、冷たく、小さい。


「……ダーリンには、毒」


 ぼそり。


 本人にしか届かない距離のはずなのに、なぜか全員に意味が伝わった。


 クラウは反射的に直立する。


「な、縄張りだ……! 完全に縄張りだ……!」


 フェルマはこくこくと小さく頷いた。


「うん……これは……触れたら死ぬやつ……」


 夜々はわずかに首を傾げるが、すぐに理解する。


「……了」


 影のような微笑みをひとつ落とし、何も言わず一歩引いた。


 忍びは空気を読む生き物だ。


 そして、うたたはストレイの前に立ったまま、まばたきすら惜しむように、ただ一点を見つめ続ける。


 その背中からは、静かで細い、しかし絶対に折れない線のような執着が漂っていた。


(……ダーリンは、あたしのだよ)


 声に出していないのに、その気配だけで全員が悟った。


 五星姫の誰もが、そっと視線を逸らす。


 この場で一番危険なのは、やはり彼女だ、と。


 こうして艶やかな影。全力で目を逸らす騎士。挙動不審な薬師。無自覚に守られる魔術師。そして仁王立ちのダーリン担。


 奇妙な均衡が、その場に成立していた。


 誰も動かない、誰も踏み込まない、誰もストレイを見ない。ただ一人を除いて。


 その中心で、うたたは微動だにせず、まばたきすら惜しむように担当を見つめ続けている。


 静かで、細くて、鋭い。けれど甘く溶けるような執着の色を帯びた視線。


 ……触れたら最後。そんな気配が、言葉より雄弁に場を支配していた。



 百花繚乱・コメント欄


『夜々様きたああああああ!!』

『この空気の切り替え、プロの影すぎる……』

『うたたちゃんの一点突破からの、夜々様の静寂包囲……この流れ、完璧』

『夜々様の装束、実用一点突破なのに色気がもれすぎているのはなんで!?』

『クラウ様、天井見すぎて首痛めないで……』

『フェルマ様、耳まで真っ赤でかわいい……』

『夜々様、無自覚で殺傷力高すぎるのよ……』

『あの腰の帯、なんであんなに自然にライン出るの!?』

『ストレイ様の視界から夜々様を消すうたたちゃん、動きが自然すぎて怖い』

『ダーリンには毒(小声)って、なんで全員に聞こえてんの!?』

『フェルマ様の触れたら死ぬやつの頷き、共感しかない』

『夜々様の、了が静かに強すぎて震えた』

『忍びの空気読み、完璧すぎて逆に切ない……』

『うたたちゃん、視界ジャックからの縄張り宣言、流れが美しすぎる』

『ダーリン担、仁王立ちで全員を黙らせるのほんと草』

『あの視線、甘いのに鋭い……執着の質が違う……』

『五星姫全員が視線逸らすの、完全に了解って感じで好き』

『この場の均衡、絶妙すぎて誰も動けないの分かる』

『夜々様の艶、うたたちゃんの執着、ストレイ様の天然……情報量が多い!!』

『これが五星姫の影……そして地雷系一点突破型の本気……』

『ダーリン、今日も命がけで立ってるだけ……』

『この空気、切れ味と甘さが同居してて最高』

『夜々様の一歩引く所作、あれが影の矜持……』

『うたたちゃんの毒発言、心に刺さる毒だった……』

『ストレイ様、ほんとに何もわかってないのが逆に尊い』

『夜々様の静けさ、うたたちゃんの執着、どっちも違うベクトルで美しい』

『五星姫の中で、最も静かで、最も危険な二人が並んだ瞬間』

『百花繚乱、全員が今、息を止めてる……指は自動でうごいているけど笑』

『ダーリン担、今日も最前線で命張ってるの尊敬しかない』

『この均衡、誰かが一歩動いたら世界が終わるやつ』

『夜々様の了で全てを察した感、さすが影のプロ』

『ストレイ様、視界から夜々様消えてるの気づいてないの草』

『この空気、切り取って保存したい……』

『五星姫の影と、ダーリン担の静かな戦争……最高でした』



 群星リンクの中枢に座す九重すみれは、ただ一人、まったく別の場所を見ていた。


 彼女の視線は、夜々でも、うたたでも、ストレイでもない。ただ一人、紫乃お姉様だけを追っていた。


 百花繚乱のコメント欄が、夜々の登場とうたたの縄張り宣言で騒然とする中、すみれの指先は震え、胸の奥で熱が静かに渦を巻いていた。



 九重すみれ(管理者・心の声)


『……お姉様』

『どんな空気でも、どんな場面でも、中心に立つのはお姉様』

『夜々さんの影の気配も、うたたの執着も、すべてはお姉様の舞台装置』

『お姉様がそこにいるだけで、世界が意味を持つのです』

『ああ……今日も完璧……』

『その立ち姿、その沈黙、その気配……すべてが美しい』

『お姉様……どうか、どうかご無事で……』

『この世界に、あなたの代わりなどいないのですから』


 彼女の目には、紫乃しか映っていなかった。夜々の髪が銀に輝こうと、うたたが仁王立ちしようと、すみれの心は一切揺れない……はずだった。


 ……ただ、ほんの少しだけ。ほんの、ほんの少しだけ。


 うたたの姿が、視界の端に引っかかった。


(……うたた)


 同じ年、同じ魔法学校、同じように、トップ冒険者を目指して、同じ教室で学んだ日々。


 しかし、すみれには攻撃魔法の才能がなかった。その代わり、情報処理と学科成績では常にトップだったけど。


 すみれがそれまでの人生のなかで唯一、勝てなかった相手。


 そう、攻撃魔法が使えなければ、五星姫にはなれない。その現実を、すみれは誰よりも早く理解していた。


(気にしてないけど……気にしてないけど……)


 彼女はそっと唇を噛んだ。自分は、紫乃お姉様のそばにいる。それが画面越しだったとしても。だけどうたたは、お姉様のすぐそばに……横に並び立っている。


(……気にしてないけど)


 それでも、心の奥に小さな棘のように残る感情を、すみれはそっと忘れたふりをした。



 九条財閥本社、総帥執務室。


 静流は、画面を見つめながら、手元のカップに口をつけた。


 その紅茶を運んできたのは、若い秘書だった。カップを置く際に彼女の手はわずかに震えていた。


 総帥の背を見ただけで、空気が張り詰める。それほどまでに、九条静流という存在は静かにして圧だった。


 だというのに、その紅茶は、研ぎ澄まされた静流の心に、ほんのひとしずくの落ち着きと、癒しを与えていた。


 けっして言葉に出すことはない。


 だけど、静流は一口飲むたび、ほんのわずかに、まつげを伏せる。


 それが、彼女なりの感謝だった。


『夜々、よくやってるわね』

『あの子の動きは、いつ見ても美しい。影としての在り方を、あれほど自然に体現できる子は他にいないわ』


 画面の中、夜々が一歩引く。その所作に、静流はわずかに目を細めた。


『うたたも……本当にブレないわね』

『あの執着、もはや才能の域だわ』


 クラウとフェルマの様子に、ふっと笑みが漏れる。


『銀の髪に、あの反応……ふふ、なるほど』

『あの漢達、どうやらあの系統にかなり弱いみたいね』

『女性慣れ? まったく、ね』


 そして、画面の中心に立つストレイを見て、静流は、ほんの少しだけ首を傾げた。


『彼は……ま、いいわ。今はまだ』


 カップを置き、再び画面に視線を戻す。その目は、どこまでも静かで、どこまでも深かった。



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