第19話 世界がざわめく日
それは、ほんの数分の映像だった。しかし、その短い時間が、世界の常識を根底から揺さぶり、粉々にくだいた。
最初に異変に気づいたのは、五星姫だけでなく、冒険者という存在そのものを愛し、日々配信を追い続けてきた目の肥えた視聴者たちだった。
彼女らが集うのは、一般向けの賑やかなコメント欄ではない。『深層コメント欄 (ディープログ)』ガチ勢だけが静かに視聴し、分析し、語り合う裏の避難場所。
そこに、異界の三人が現れた時から異変が落ちた。
『……今の、誰? えっ? 女じゃないよね……』
『待って、加工じゃない、これ?』
『いや……骨格が……そもそも女のそれじゃ……』
深層コメント欄の空気が、ざわつきから異様な静けさへと変わっていく。そこに軽口や冗談は一切消え、ガチ勢たちの震える指が打ち込む文字だけが、ゆっくりと画面を流れていった。
そして、同接二千万超えを記録した四千万の瞳が目撃した冴月の死闘。紫乃の神事の余韻のあとのクラウの兜が外れた、その刹那。
世界中の眼差しが、息を呑んだまま固まり、切り抜きが作られるまでに要した時間、わずか十七秒。
【速報】ダンジョン配信に白印様と違う、昔にいた男性と思われる人物たちが映り込む。
そのタイトルのショート動画は、投稿から五分で再生数十万を突破した。数字が跳ね上がる速度は、もはやバズではなく異常事態そのものだった。
SNSのタイムラインは、次第に同じ話題で黒く塗りつぶされていく。まるで世界が一斉に息を呑み、画面の向こうへ手を伸ばしているかのようだった。
『これ加工じゃないよね???』
『医療系の人、骨格判定して』
『肩幅の比率、どう見てもダンジョン発生以前の男性型』
『え、嘘でしょ……本当に?』
『歴史の教科書に出てくる男性と一致してるんだけど』
そこから、コメントは一気に加速した。
『歩幅のリズム、女じゃ出せない重心移動なんだけど』
『白印様の系統じゃない。この人たち……まったくの別物』
『映像解析した。影の落ち方が自然すぎる。加工じゃ無理』
『ていうか、存在していいの? この人たち』
『都市伝説の原初の男って……これのこと?』
『歴史改変レベルの事件なんだけど』
『笑えない。普通に怖い』
『いや、でも……美しすぎない?』
『わかる。なんか……見てはいけないもの見た感じ……でも目が離せない』
『これ、世界変わるやつだよね?』
都市伝説、歴史上の存在、絶滅したはずの旧人類。
それらが、ただの言葉ではなく、現実の映像として、世界の前に突きつけられた瞬間だった。
タイムラインは、もはや話題ではなく震源地と化していた。誰もが理解できず、しかし目を逸らせず、ただひたすらに画面を更新し続ける。
世界が揺れ始める音が、確かにそこにあった。それが、いまリアルタイムで、確かに動いていた。
その事実だけで、世界の空気がわずかに震え、やがて、映像解析を趣味とする者たちが、まるで引き寄せられるように動き始める。
骨格比率、筋肉のつき方、喉仏の有無、歩幅、重心位置。
専門家でもない一般人が、しかし膨大な知識と執念をもって解析を始め、数値が並び、図解が作られ、瞬く間に拡散されていく。
そして、ひとつの結論が、静かに、しかし決定的な重みをもって広がった。
『これ……昔の男性の……それも、もの凄く鍛えられた身体的特徴と完全に一致しています』
その一文が投稿された瞬間、トレンドは跳ねたのではなく、爆ぜた。
夜の街の大型ビジョンに、ニュース速報のテロップが走る。
【未確認情報:ダンジョン配信に昔ながらの男性らしき人物】
カフェでスマホを見ていた女性が、カップを持つ手を止める。電車の中では、乗客たちが一斉に画面へ視線を向け、帰宅途中のオフィスワーカーが、足を止めたまま動けなくなる。
「え……なにそれ……」
その小さな呟きが、静まり返った車内に落ち、まるで水面に投げ込まれた石のように、じわりと波紋を広げていった。
世界が、確かに揺れ始めていた。
テレビ局は、もはや混乱という言葉では足りなかった。指示が飛び交い、スタッフの足音が床を震わせ、ニュースフロア全体が、非常事態の空気に包まれていた。
「専門家! 専門家の先生は、まだですか!?」
「歴史学の先生と繋いで!」
「ジェンダー研究の資料引っ張って! 全部!」
焦りと緊張が混ざった声が、スタジオの天井に反響する。いそぎ編成された特番の準備が、すごい勢いで進められていく。
巨大モニターには、サーバーダウンするまでの映像が繰り返し映し出されていた。
スロー再生、拡大、解析、まるで真実を引きずり出そうとするかのように。
「こちらの人物ですが、肩幅と骨盤の比率が……」
「筋肉量の付き方が、現代女性とは明らかに異なります」
「もし本物だとすれば……人類史上最大級の発見ですよ」
専門家の声は冷静を装っていたが、震えが隠しきれていなかったし、キャスターは喉を鳴らし、言葉を絞り出す。
「……つまり、絶滅したはずの白印様とは明らかに違う、昔ながらの男性が、生存している可能性がある、と」
その一文が電波に乗った瞬間、全国の視聴率が、跳ね上がるというより爆発した。
ダンジョン関連企業の株価は、時間外取引で急騰。医療研究機関のサーバーは、アクセス過多で次々と落ちていく。
政府の相談窓口には、ものすごい勢いで問い合わせが押し寄せた。
「保護はどうなるんですか!?」
「危険はないの!? 本当に安全なの!?」
「接触って……合法なんですか!? どうなるの!?」
電話の向こうで叫ぶ声が重なり、担当者たちはただ震える手でメモを取るしかなかった。
そう、誰も、答えを持っていなかったが、世界が揺れ始める音が、確かにそこにあった。
そして、世界でも指折りの大国、その首都。
重厚な扉の奥、歴史ある会議室。
円卓を囲むのは、軍、冒険者ギルド、外交、情報機関を束ねるスーツ姿の女性たち。その表情には、迷いも動揺も一切なかった。
壁一面のスクリーンには、例の戦闘映像が映し出され、クラウの兜が外れ、その姿が現れた瞬間、室内の空気は異様な熱気につつまれた。
そして沈黙。それは、その現象に対する全員の総意だった。
やがて、最年長の女性が口を開く。
「……国家安全保障上の、最優先案件と認定します」
その言葉は、宣言ではなく判決のように重かった。
「対象の身元特定を急ぎなさい。接触経路の確保、そして、保護の名目での拘束も視野に」
別の女性が、資料をめくりながら低く言う。
「銀鉄の偉丈夫とこの世界にはない魔術の使い手、そして薬師のポーション技術……すべてアース・リバース日本に独占させるわけにはいきません」
「外交ルートを使って圧力をかける。国際的管理下に置くべき資源として扱う方向で調整を」
そこで、情報機関の長がふっと息を吐いた。
「……ただし、日本にはやっかいな九条財閥がいるわ」
円卓の空気が、わずかに重く沈む。
「九条総帥、あの女狐には注意しなさい。あれは毒。こちらの意図を読み、先に手を打ってくる」
「彼女が動けば、日本政府より先に男とポーション技術を囲い込むでしょう」
「ダンジョンには、女狐の娘もいた。だからこそ急ぐのよ。九条に先を越されれば、世界の主導権が変わる」
そこで、情報機関の長が静かに資料を置いた。
「標的がいるのは、地下十八階。地上に出てくるのは、どんなに早くても二日後」
円卓の視線が一斉に鋭さを増す。
「それまでに、我が国の最上位の精鋭を日本へ送り込みなさい。外交名目でも、調査名目でも構わない。彼らの確保が最優先よ」
その目は、獲物を見定めた猛禽のように鋭く、そして冷酷だった。
その夜、世界の検索履歴は、たった一語で埋め尽くされた。
[漢]
かつて歴史の中にしか存在しなかった言葉。それは儚く、か弱い白印様を表すには、あまりにかけ離れ、忘れ去られつつあるはずの言葉が、再び現在形として打ち込まれ、世界中の端末が同じ文字を光らせていた。
それは好奇心ではなかった。恐怖でも、興奮でもない。もっと深く、もっと重い、確保しなければならない資源としての視線だった。
誰もが眠れない夜だった。SNSは沈黙と混乱の波を繰り返し、各国の政府機関は深夜にも関わらず灯りを消さず、研究機関は緊急会議を招集し、軍と外交のラインがひっそりと動き始める。
紫乃が懸念していた通りだった。
(……世界は、必ず漢を取りに来る)
その予感は、もはや危惧ではなく現実へと変わりつつあった。
そして、いまだダンジョンにいる彼らと五星姫の知らぬところで、世界規模の争奪戦が、静かに、しかし確実に幕を上げた。
それは銃声も爆発音も伴わない。なのに、歴史の歯車が軋む音だけが、深夜の世界に重く響いていた。




