第17話 運命の歯車は回り出す
冴月は、静かに目を細めた。凛としたまなざしの奥に、強い期待と胸の高鳴りが込み上げてくる。
そして、クラウの兜が外された瞬間、冴月の心臓が、ひときわ強く脈打った。
現れたのは、戦場の風に晒されてきた男の貌だった。乱れた金髪は汗に濡れ、額に張りつきながらも猛々しさを宿している。深い碧の瞳が、まっすぐに冴月を見つめた。
その視線に、彼女の胸が不意にざわめいた。
(……おじいさま……?)
ダンジョンが現れてから三十余年。
その長い歳月の中で、白峰家の広大な庭の片隅には、いつもひとつの背中があった。
真剣を静かに振るい、ただひたすらに精神を研ぎ澄ます……まるで時の流れすら斬り払うかのような、揺るぎない祖父の姿。
歳を重ねてもなお、背筋は伸び、剣を振るう腕は揺るがない強さで、その立ち姿はまさに騎士の鏡と呼ぶにふさわしかった。
幼い彼女は、その姿を何度も、何度も見つめていた。あの背中こそが、自分の世界の強さ、そのものだと信じて。
そんな、勇ましくて芯のある祖父は、かつて、あわやスタンピードになろうとしていた高難度ダンジョンの戦いに赴き、見事な活躍でそれを鎮め、英雄と称えられた。しかし、そのまま戻ってくることは、二度となかった。
出発の朝、冴月は祖父に頭をぽんと撫でられた。その手は大きく、分厚く、戦いに鍛えられたものだったけれど、触れた感触は、どこまでも優しかった。
「冴月……これからはお前たち女性が戦わなければならない、つらい時代になるが……」
祖父は一度、静かに空を見上げた。夜明け前の空はまだ薄暗く、遠くで鳥の声がかすかに聴こえていた。その横顔には、どこか寂しげな、けれど確かな決意が宿っていた。
「白峰家の誇りと自負を常に持て。お前は家名を背負って立つ、誰にも恥じることのない騎士となれ」
その言葉は、冴月の胸に深く刻まれ、今もなお、彼女の信念を支えていた。
祖父の世代がみな去ってからというもの、冴月の目の前に現れる男たちは、どこか儚く、美しく、線の細い者ばかりだった。
強さと優しさをあわせ持ち、己を超える存在、そんな『漢』は、もうこの世界にはいないのだと、いつしか諦めていた。
けれど今、目の前に立つその男は……まるで、若かりし頃の、祖父のように見える。
胸の奥に、ずっと封じていた願いが、静かにうずき始める。自分より強い男と、剣を交えてみたい。ただの勝ち負けではない。その背中に、どこまで迫れるのかを、確かめてみたい。
冴月の心に、かすかな熱が灯った。それは、王子様と呼ばれ、誰よりも強くあろうとした彼女が、ずっと忘れたふりをしてきた、ひとつの大切なときめく想いだった。
フェルマも、もぞもぞと手を伸ばし、深くかぶっていたフードをおずおずと外す。
斗花は、腕を組んだまま静かに彼へと視線を向けていた。
(さて、どんな姐さんが出てくるか……)
しかし、その下から現れたのは予想もしていなかった、まだあどけなさを残しつつも、凛とした気品を漂わせる青年の顔。柔らかく波打つ明るいブラウンの髪、まっすぐな意志を宿した瞳。未完成ながらも芯の強さを感じさせるその姿に、斗花は思わず目を細めた。
(……おお? なんだ、こいつ……)
(創作に出てくる、あれだ。旅の途中で出会う、実はすげぇ強くなる系の男……)
(いや、でもまだ男の子って感じだな。かわいい系だし……)
そのときだった。フェルマのすぐ横に立つ、もうひとりの男、クラウの横顔に目がいった。
その瞬間、斗花の心臓が、ドッキューンッ!!と大きな音を響かせた。
(……ッッッッッッッッッッッ……ほえっ?)
(な、な、な、ななんだって……え、ちょ、ちょっと待て……)
(あれ、オレの創作ノートに描いてた理想の男じゃねぇか!?)
(あの肩幅、あの眼光、あの鎧を着ててもわかる無駄のない筋肉……!)
(いやいやいや、現実にいるわけねぇだろ、あんなの……!)
斗花の頬が、じわりと熱を帯びる。だが、そんな自分に気づいた瞬間、彼女はぶんぶんと頭を振った。
(ち、ちがう! オレは別に、顔とか筋肉とかで男を選ぶような女じゃ……)
(……いや、でもあれは、あれは反則だろ……!)
そのとき初めて、斗花は知った。本当の漢ってのは、創作の中だけの幻じゃなかったんだと。
フェルマが、そっとフードを外した瞬間、紫乃の思考が、ふっと止まった。
(……あら?)
現れたのは、想像していた天才少女でもおどおどした自信なさげな少女でもなかった。
あどけなさを残しながらも、どこか凛とした気品の青年の顔。柔らかく波打つ明るいブラウンの髪、そして、その瞳。
(……まっすぐ……)
その瞳に宿る意志の光が、紫乃の胸の奥を静かに射抜いた。頬の線にはまだ幼さが残る。けれど、引き締まった顎と首筋、しっかりとした骨格。未完成でありながら、確かに男としての輪郭を持つその姿に、紫乃は思わず息を呑んだ。
(……これは、想定外ですわ)
彼の動きのひとつひとつに、無意識のうちに目が奪われる。それは、知識でも理屈でも説明できない、かつて感じたことのない何かだった。
紫乃は、静かに息を整えながらも、内心の熱を抑えきれずにいた。
(ここ何十年と見たこともない、過去にいたという男の方……ですか)
(……それよりも、あのエリクサー……あの回復速度……)
(あれは、既存の薬理体系では説明がつきませんわ)
(つまり、あの方は、まったく新しい知識体系を有している)
冴月を救ったあのエリクサー。そして、あのアイテムポーチ。さらに、特級ポーションを標準品と言い切る、そんな常識外れの所業も、あの方にとってはごく当たり前の日常にすぎないと。
(あれだけの比類なき品質を、あの年齢で、あの挙動で……)
(いえ、年齢など関係ありませんわ。重要なのは知識と技術)
(あの方は、必ずや九条家にお迎えしなければ……)
紫乃は、すでに頭の中で数パターンのスカウト戦略を組み立てていた。知識、技術、才能、どれをとっても、必ずや九条家に迎え入れねばならない。
ポーション開発の可能性に心を奪われていた紫乃の意識が、ふっと別の方向へ引き戻される。
(この世界に……白印様以外の男は、いないわよね?)
その言葉に、紫乃の思考が一瞬で凍りついた。
(この世にいない男……まさか、あの方々は)
(この世界には存在しないはずの、かつてはいた男の方だと!?)
紫乃の瞳が、戦慄にわずかに震えた。
(しかも今、この映像は配信されている……ということは)
(世界中の女性が、今この瞬間、彼らを見ている……!?)
(三人の正体が、全世界に配信されてしまっていると……)
その事実に紫乃の背筋に、冷たいものが走った。
この世界にいるはずのない存在が、今、万人の目に晒されている。
それは、秩序を揺るがすほどの衝撃として、彼らをめぐる争奪戦の幕開けを意味していた。
冷静なはずの紫乃の額に、うっすらと汗がにじんだ。なのに、そんな懸念すら、次の瞬間には別の感情に塗り替えられる。
フェルマの隣に立つ、クラウの姿を見たとき、紫乃の胸が、ふっと熱を帯びた。
(……これが、本物の……男)
その言葉が、心の奥からふいにこぼれた瞬間。紫乃の頬が、自分でも熱くなるのが解るほどに、赤く染まった。
(……っ、な、なにを考えておりますの、わたくしは!)
(冷静に、冷静に……! これはあくまで、戦力評価と人材確保のための……)
そう自分に言い聞かせながらも、彼女は眼差しを、クラウの横顔からそらすことができなかった。




