第12話 奇跡の後に明かされる格
冴月の胸が上下し、指先が紫乃の袖を掴んだその瞬間、紫乃の身体にも、変化が訪れていた。
口に含んだエリクサーの力が、彼女自身の傷をも癒していたのだ。裂けていた袖の奥、血に染まっていた肌が、まるで何事もなかったかのように滑らかに戻っていく。そして、デスサイズで殴られた頬のはれも、すうっと引いていった。
青紫にはれ上がっていた肌は、まるで朝露が陽に溶けるように、ゆっくりと、しかし確実に、彼女本来の白磁のような肌へと戻っていく。
その輪郭に、気高さと美しさが再び宿る。
九条家の令嬢にして五星姫の名にふさわしい、凛とした美貌が、そこに復活した。
それは、まさに奇跡だった。
冴月は、ゆっくりと身体を起こしながら、紫乃を見つめた。
「……紫乃。どうやって……私は……助かったんだ?」
その声はまだ少しかすれていたが、瞳には、確かな意志が戻っていた。
紫乃は、ふっと微笑んで、視線を横に向けた。
その先には、まだ呆けたまま、現実に追いつけていない三人の姿。
クラウは、兜の奥で目を見開いたまま石のように固まり、ストレイは、マントの中で眼鏡を押し上げることすら忘れて虚空を見つめ、フードを深く被ったフェルマは、地面に突っ伏したまま「見ちゃった……」と小声で繰り返していた。
紫乃は、そっと言った。
「……あの方たちが、それは貴重な……あれは、たぶん……エリクサーを、提供してくれましたわ」
その言葉に、冴月の瞳が大きく見開かれる。
「エリクサー?……それは、幻の霊薬じゃないか!? それを私に使ったのか!」
そして、紫乃の視線の先へと目を向ける。そこには、まだ現実に戻ってこれていない三人の姿があった。
冴月の声が、思いのほか上ずった。それは驚きと戸惑い、そして深い感謝の入り混じったものだったが、その声は、まだ現実に戻りきれていなかった三人の耳には、まるで叱責のように響いた。
「ひっ……!」
フェルマが、地面から跳ね起きた。フードの中で顔面蒼白、耳まで真っ赤、そして目は盛大に泳ぎきったまま。
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!! 勝手に飲ませてしまってっ、怒っておられるんですよね!? やっぱりボクなんかのあんな不出来な薬を……っ!!」
クラウとストレイも、はっと我に返る。
「ま、待てフェルマ、落ち着け……っ」
「いや、これは……ま、まずい……」
彼らにとって、冴月は女王陛下にも匹敵する高貴なる存在。おそらく、この迷宮が存在する国の王族だと、その輝くような佇まいからも確信していた。
その御方が、声を荒げた。それは、女神の歯車として最大級の畏れを抱く瞬間だった。
三人は、ほぼ同時に、ばっ!と音を立てて、冴月と紫乃の前にひれ伏した。
「このたびは、まことに申し訳ございませんでしたあああああ」
三人が地面に額を擦りつける勢いで頭を垂れる。冴月と紫乃は、呆然とその光景を見つめていた。
「……なんでこの人たち、こんなに低姿勢なんだ?」
冴月がぽつりと呟く。その声には、純粋な疑問と、かなりの困惑の色が混じっていた。
「……紫乃のところの雇われ冒険者なのか?」
紫乃は、ふっと目を細めてから、静かに答えた。
「……冴月は見てなかったから、わからないかもですが」
視線を三人に向けたまま、言葉を継ぐ。
「この方たちは、十九階から上がって来られましたの」
冴月の眉がぴくりと動く。
紫乃は、何かを思案するように一瞬だけ目を伏せ、やがて、冴月の方へと向き直って、ため息まじりに言った。
「それに九条家では、私が最上のA級……残念ながら、家の者ではありませんわ」
その声音には、どこか皮肉めいた響きが混じっていた。九条家の力の限界、それを見ようとしない者たちへの苛立ち。
そんな空気にお構いなしに、足音が近づいてきた。
「おーい、冴月……無事かよ……」
現れたのは、斗花、うたた、夜々の三人。皆、傷だらけのボロボロで、服も血と埃にまみれていた。
しかし、その目には確かな光が宿っていた。
「……冴月が復活したのを見て、信じられなかったぜ」
斗花が、冴月と紫乃の姿を見て、ふっと笑う。
「……オレたちにもその奇跡の薬を、もらってスッキリしてえぜェ?」
その冗談に、冴月がぴしゃりと声を上げた。
「斗花! あれがどれほど貴重なものか、わかってるのか!?」
「……冗談だよ、冗談。怒んなって」
斗花が肩をすくめる。
そのやりとりを聞いていたフェルマが、ようやく顔を上げた。至高の御方が怒っているわけではない、そう理解できたのだ。
「……あれは、一本しか作ってなかったですが……」
フェルマは、腰につけていた小さなポーチをそっと外した。収納できるのは先ほどの奇跡の霊薬エリクサーが一本入るかどうかの、布製の小さな袋。
それを見た五星姫たちは、思わず首をかしげた。
とても、あのエリクサーのような瓶が入っているとは思えない。
しかし、フェルマは、そのポーチの口を軽くひねると、まるで手品のように、すらりと一本の瓶を取り出した。
続けて、二本目。三本目。
どれも、先ほどのエリクサーほどではないが、それでも上級ポーションを凌ぐ神秘的な輝きを湛えた液体が封じられていた。
「……っ!」
紫乃が、思わず息を呑む。
「そ、その薬も大概ですが……まさか、それは……伝説のアイテムポーチですの……?」
その声には、ただただ純粋な驚きがにじんでいた。 目の前で繰り広げられる奇跡の品々に、思考が数舜とまったほどだった。
冴月や斗花たちも、思わずフェルマの手元を覗き込む。
フェルマは、皆の視線に気づいて、少しだけ肩をすくめた。
「は、はい、そうです……このポーチ、アイテムボックス仕様でして……」
どこか畏れ多そうに、やっと声の震えもおさまって続ける。
「常時、五十種以上の薬品と素材を保管してます……あ、温度管理もしてます」
それを耳にして、紫乃の眉がぴくりと動いた。
「……素材? まさか貴方、ポーションの調合もできますの?」
その問いに、フェルマは一瞬だけ目を丸くし、すぐに小さく頷いた。そして、どこか照れくさそうに、けれど誇らしげに言葉を紡ぐ。
「僕のクラスは、王国迷宮庁・第七探索支援班の調薬錬金術師をしています」
「……それは、何? どこの国の所属ですの?」
紫乃の問いに、フェルマは胸に手を当て、まっすぐに答えた。
「我らが尊き女王陛下が治める、ミレディアセイン女王国です」
その名が告げられた瞬間、クラウとストレイの表情が一変した。
「……ミレディアセイン……!」
クラウはすっと背筋を伸ばし、剣の柄から手を離す。ストレイも姿勢を正し、静かに頭を垂れた。
二人は、まるで女王の前に立つかのように、臣下の礼をとるのだった。




