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第9話 配信が映した神罰の瞬間



 扉が、軋む音を立てて開くと、一瞬で、その場の空気が変わった。


 クラウが足を踏み入れ、警戒のまなざしで周囲を見渡す。


 そして、視線が、ある一点に吸い寄せられた。


 血に濡れ、今にも崩れそうな足取りで、それでも誰かを守るように立ち続ける、一人の黒髪の女性。


 その姿は、あまりにも痛々しく、ところどころ破れた衣の隙間からは、白い肌があらわになっていた。


 その瞳が、ふとこちらを向いた。


 紫の光が宿るその瞳は、どこかアリサ様を思わせた。気高く、知的で、そして、傷ついてなお、誰かを守ろうとする強さがそこにあった。


「……っ」


 兜の奥で、クラウの思考が一瞬で凍りつき、脳が焼き切れた。


 とても理解が追いつかない。


 なぜ、尊き存在が、こんな場所に。

 なぜ、血に濡れ、傷つき、倒れようとしているのか。

 なぜ、その肌が、視界に入ってしまったのか。


 見てはならぬものを見てしまったという罪悪感が、騎士の誓いを貫く心に、深く突き刺さった。


「な、なぜ……っ、あ、ああ……っ」


 言葉にならない。


 顔は兜に隠れているというのに、全身が真っ赤に染まるような錯覚。鎧の内側で、心拍が限界まで跳ね上がる。


 剣を抜くことも、駆け寄ることもできない。ただ、その場に立ち尽くすしかなかった。


 女王陛下の御前でも、ここまで動揺はしない。そんな己への皮肉な冗談ですら、思い浮かばないほどに。いや、実際そんな機会がめぐってきたら、 緊張と動揺で、まともに言葉の一つも発せず、その場で直立したまま気絶するのが関の山だろう。


 それほどまでに、彼にとって女性とは、遠く、清らかで、触れてはならぬ存在だった。

 

 それなのに。


〈……もういいや。こいつ飽きた〉


 カリギュラが、紫乃の顔面を、デスサイズの刃の側面で、容赦なく殴り飛ばした。


「――ッ!!」


 鈍い音とともに、彼女の身体が血の雫を描きながら宙を舞い、地面に激しく叩きつけられた。


 その瞬間、クラウの中で、何かが決壊した。


 理解は、追いつかなかった。だが、その光景は、彼の中の誓いを灼き尽くした。


「貴様は……っ!!」


 兜の奥から響いた咆哮は、雷鳴のように空間を揺らした。


「……尊き御方になんてことをしやがる!!」


 その声と同時に、クラウの身体が、蒼白い光に包まれる。


《誓剣の誇 (オース・ブレイヴ)》発動。それは『誰かを守るため』だけに特化したクラウの固有スキル。


 空気が爆ぜた。


 誰も、その動きを視認できなかった。


 斗花が目を見開き、夜々が息を呑み、うたたが言葉を失うほど、そこに剣閃は、存在しなかった。


 ただ、カリギュラの身体が、真っ二つに裂けた。


 次の瞬間には、四分割。さらに、十六の断面が、空中に舞い、細切れとなって崩れ落ちる。


 風すら、遅れて吹き抜けた。


 その中心に立つのは、銀鉄の鎧をまとい、剣を下ろしたままの騎士クラウ。


 その姿は、まるで神の怒りを代行する者のようだった。


 しかし、血も肉も、そこに流れなかった。ただ、空虚な殻が砕けたような、笑い声だけが響く。


〈……やっと、遊びがいがあるの、きたね〉


 その声とともに、空間が泡立ち、黒い靄が、いくつもの顔を漂わせ膨れ上がる。


 カリギュラが、増殖していく。笑いながら、歪みながら、無限に。


「やめろ……ッ 汚れた声でそれ以上さえずるな」


 クラウの怒りは、収まらなかった。血がにじむほど、剣を握る手に力がこもる。


 その背には、尊き御方を傷つけられた憤怒と、それを目の前で見せられた己の無力さが渦巻いていた。


 それだけではない。なぜ、もっと早く突入しなかったのか。なぜ、扉の前で無駄な言葉を交わしていたのか。


「……私が、もっと早く……っ」


 あのとき、ほんの数秒でも早く踏み込んでいれば、あの御方が、あんな姿になる前に、剣を振るえていたかもしれない。それが、どうしようもなく胸を焼いた。


 騎士としての誓いを掲げながら、守るべき瞬間に間に合わなかった。その悔しさが、怒りに変わり、怒りが、剣に宿る。


「絶対に……許さない……!」


 クラウの瞳が、兜の奥で蒼く燃える。しかし、その隣に、静かに歩み出る影があった。


「この腐れ外道のナイトメアが……」


 ストレイだった。


 その声は、低く、静かで、それでいて、空間を震わせるほどの怒気に満ちていた。


 彼の視線が、倒れた紫乃を捉える。しかし、すぐに目を逸らす。


 尊き御方を直視してはならない、そう思った。


 神聖なものを、無防備なまま見つめるなど、冒涜に等しい。その姿は、傷ついてなお気高く、まるで聖域に咲く花のようだった。


 崇めるべき存在が、地に伏している。 それを見てしまったことすら、罪に思えた。


 黒髪。知性を湛えた瞳。凛とした気配。そして、血に濡れながらも誰かを守ろうとする、その姿勢。


 アリサ様に、似ている。


 ストレイにとって、アリサ様はただの人ではなかった。理知と気品を兼ね備えた、王都の象徴。彼の生きる世界における究極の理想の具現。


 彼は、密かにその姿に敬意を捧げていた。それは恋でも憧れでもない。ただ、崇拝に近い、静かな信仰だった。


 そして今、その面影を宿す者が、穢され、傷つけられている。


「悪夢ごときが……神域に触れたその暴挙……その身で知れ」


 その瞬間、空気が震え、魔力が天を裂いた。


 詠唱はなかった。その言葉は、ただの宣告、いや、神罰だった。


「……その穢れ、天の光で灰と化せ」


 それは、魔術師の怒りではない。神聖を汚された者の、静かなる断罪だった。


 彼の声に呼応するように、鏡状の円盤が無数に浮かび舞い上がり、魔法陣を形成する。


 その光景は、記憶の中から引き出された、再現不可能なはずの神聖術式。


 白い光が、その空間を埋めるように降り注ぐ。


 その光は無数に増殖したカリギュラのみを、一瞬で、同時に、容赦なく焼き尽くす。


 慈悲なき祝福。

 聖なる断罪。


 そして、五星姫の誰も最初からそこに『居た』ことに気づけなかった、崩れた柱の上、闇に溶けるように潜んでいた『本体』


 その瞬間、空間が震えた。


 四方八方から、無数の白い光が突き抜けた。それはまるで、天より放たれた裁きの槍。逃げ場など与えぬまま、光は無慈悲に 『本体』を貫いた。


 それは、ストレイの怒りではない。神聖を汚されたことへの、静かなる断罪だった。


 声はなかった。それなのに、確かにきこえた。空間に、カリギュラの声なき断末魔が、響き渡る音を。


 白い光が消えたあと、空間には静寂が満ちていた。


 カリギュラの気配は、もうどこにもなかった。それは完全なる消滅、塵ひとつ残さぬ、徹底した終わり。ただ、そこにひとつだけ残されたものがあった。


 赤黒く濁った、しかし異様なほど純度の高い魔石。それは、カリギュラという存在が完全に討たれたことを示す証明だった。


 しかし、クラウもストレイも、その魔石に目を向けることすらしなかった。彼らにとって、カリギュラなど最初から問題ですらなかったのだ。討伐は当然、脅威など論外。それより、いま胸が裂けそうなほどの痛みを感じているのは。


「尊き御方……!」


 二人は同時に駆け出しかけて、そして、ふっと足を止めた。


 視界の端に、倒れ伏す影がいくつも見えた。


 その誰もが、血に濡れ、呼吸も浅く、限界を超えてなお、戦い抜いた痕跡をその身に刻んでいた。


 それでもなお、彼女たちは美しかった。見たこともないほどの、華やかさと気高さをその身にまとっている。


 燃えるような赤髪の女性は、倒れてなお鋼のような意志を宿してはいるものの、目を見開いたまま固まっていた。金の瞳の魔術師風の女性は、二人が見たことも聞いたことさえない、ふわふわとした衣装をまとい、唖然とした顔で彼らを見ている。そして、銀髪で艶やかな肢体を包む、あまりに肌も露わな妖艶な装いの女性。その姿が視界に入るや否や、クラウとストレイは大慌てで目を逸らした。


 そして、彼らの視線はすぐに、ナイトメアに殴り飛ばされた女性へと吸い寄せられる。黒髪に、紫の瞳。 顔には殴打の痕が残り、唇の端からは血がにじんでいた。


 それでもなお、彼女の姿には崩れぬ気高さがあった。傷つき、倒れながらも、凛とした美しさを失わない、まさに尊き御方と呼ぶにふさわしい存在。


 それは、まるで神話の断片のような光景だった。


 クラウは、兜の奥で言葉を失い、ストレイは、静かに息を呑み、フェルマは扉から出てから一歩も動けずにいた。


『尊き存在』が、四人もいる、そんなあり得ない現実が、いま目の前にあった。



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