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アイム・ソー・ハッピー

 

「ねえ、何かアイディアない?」


「う~ん、そう言われてもね~」


 突然ミカンの名前を考えろと言われても応えようがなかった。しかし、「お姉ちゃんも私も何も思いつかないの。でも早く新種登録をしないといけないし」と(すが)るように見つめられると、追い詰められたようになった。


「それはわかるけど……」


 食べる専門で名前など気にしたこともない醸は途方に暮れた。愛媛県だけでもミカンの種類は40種類以上あるのだ。どれがどれかわからないレベルの醸にアイディアなど出てくるはずもなかった。


「やっぱり難しい?」


「うん、ちょっとね」


「そうよね~」


 そこで声が消えたが、少しして、また縋るような目になった。


「そういうことが得意な人っていないかな?」


「う~ん、どうだろうね~、名前を付けるのが上手な人ね~」


 そんな人がいるとは思えなかったが、それでも投げ出すわけにはいかなかったので、いろいろな人の顔を思い浮かべてみた。しかし、これはという人には辿り着けなかった。


「命名名人なんて聞いたことないしね」


「そうね~」


 2人は顔を見合わせてため息をついた。


        *


 その日の夕食は、刺身の盛り合わせと、鮭の切り身と、タコときゅうりの酢の物と、ほうれん草の胡麻和えと、根菜のきんぴらだった。合わせる酒は、当然、はなむらさきとはなゆり。毎日の定番だが、飽きることはなかった。


「やっぱりうまいね」


「うん、はなむらさきはなんにでも合うからね」


「そう、はなゆりも万能だし」


「でも、飲み過ぎないようにね。最近ちょっと多くなっているようだから」


「わかってる」


 やんわりと釘を刺されたので、はなゆりのボトルを持つ手が止まってしまった。仕方なくラベルを見てため息をついたが、その時、不意に2人の顔が浮かんできた。


「そうか~」


「何?」


「うん、オフクロと咲に頼んだらどうかなって思って」


「あっ」


 幸恵もピンと来たようだった。はなむらさきを命名したのは母だし、はなゆりは咲なのだ。


「こんな身近にいるなんて思わなかった」


「本当だね。灯台下暗しとはこのことを言うんだろうね」


 醸はボトルを見つめながら一人で合点した。


        *


 早速協力を求めると、2人とも二つ返事で引き受けてくれた。それでも、丸投げするわけにはいかないので、醸と幸恵もアイディアを出すことにした。締め切りを1週間後と決めて、候補を一つずつ出し合うのだ。


 その間、探りを入れると、咲は愛夢農園に因んだ名前がいいのではないかと思って想像を膨らませているようだった。母は幸恵の名前に因んだものを考えているようだった。

 一方、幸恵は学術用語や技術用語の中からそれらしいものを探していたが、なんのアイディアもない醸は天から啓示が下りてくるのをひたすら待ち続けるしかなかった。


        *


 1週間が経った。幸恵と醸が座るテーブルの上には二つ折りになった4枚の紙が置かれていた。案が出揃ったのだ。


 咲から郵送されてきた紙を醸が開くと、『ラヴ&ドリーム』という字が見えた。愛夢を英語にしたものだった。


「ステキ」


 幸恵は一発で気に入ったようだった。


 次の紙を開くと、『ハッピー・プレゼント』と書かれていた。幸恵に因んだ名前を母が考えたのだ。


「これもステキ」


 幸恵は『ラヴ&ドリーム』に負けず劣らず気に入ったようだった。


「次は君のだね」


 紙を開くと、『ニュー・ホライズン』という文字が現れた。


「未来を切り開く新種という意味で名付けたんだけどどうかな? ちょっと固すぎる?」


「いや、悪くないと思うよ」


 咲や母とは視点が違って面白いと感想を述べると、幸恵はほっとしたような息を吐いた。


「では、最後はあなたのね」


 ニコニコしながら紙を開いた幸恵だったが、見るなり急に表情が変わって、右手で口を覆った。一点を見つめる目は潤んでいるようだった。


『アイム・ソー・ハッピー』


 それが醸の命名だった。


「昨日の夜までなんにも浮かんでこなかったんだけど、夢の中に君とお姉さんが出てきたんだ。バルセロナのバルで初めて会った時の夢で、現実に近い夢だった。残念ながら途中で終わっちゃったんだけど、目が覚めたあとも余韻が残っていて、ほんわかとした気持ちになったんだ。それであの時のことを思い出しながら君の寝顔をじっと見ていたんだけど、どうしてか、バレンシアでお姉さんが言った言葉が突然蘇ってきたんだ。君が現地の人に初めて自己紹介した時に『アイム・アイム』って言ったって笑っていたよね。その時の君の恥ずかしそうな顔を思い出した時、突然閃いたんだ。幸せを恵むという君の名前にピッタリだと思ったし、それに、この新しい果実を食べた人がおいしいだけでなく幸せを感じてもらえるような気がしてね」


 そして、「アイム・ソー・ハッピー」と大げさに発音すると、幸恵は泣き笑いのような顔になった。


「食べた人を幸せにするミカン……」


 呟いた幸恵は、テーブルに手を伸ばして、ミカンを胸に抱いた。



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