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新種への挑戦

 

 日本各地の地ビールやヨーロッパのビールの拡販に醸が走り回っていた頃、幸恵の元に電話がかかってきた。愛媛県でみかん農園を経営している姉からだった。


「ほんとに? 良かった~」


 受話器を持ったままぺたんと廊下に座り込むと、今までのことが走馬灯のように蘇ってきた。


        *


 翔が小学校に上がった頃から、幸恵は時間を見つけては実家のミカン農園に通っていた。バレンシアとカリフォルニアでの研修経験を活かして新しいミカン作りを模索していたのだ。日本で古くから栽培されているミカンとバレンシア・オレンジやカリフォルニア・オレンジとの交配を試みていた。


 幸恵は姉と共に接ぎ木という手法で新たな品種を生み出そうとしていたが、なかなかうまくいかなかった。いま植えているミカンの台木にオレンジの枝を接ぎ木するのだが、うまく芽吹いてくれないのだ。それでも諦めずに試行錯誤を重ねたが、何回試してもうまくいかなかった。


「やっぱりダメかもしれないわね」


 姉が肩をすくめて両手を広げたので、幸恵は首を振るしかなかった。新たな品種を生み出すことが簡単ではないことは百も承知していたが、それでもめげそうになった。


「諦めなさいっていうことかもしれないわね」


 姉の口調はどんよりとしており、幸恵も同じ感情が横切ったが、それに同調したくはなかった。今までの努力が水の泡になるのが悔しかったからだ。といって、アイディアがあるわけではなかった。それでも、ここで諦めることはできなかった。


「他に方法が何かないか調べてみる」


 宇和島駅まで見送りに来てくれた姉に精一杯の笑顔をつくって伝えたが、「もう無理しなくてもいいわよ」と姉は寂しそうに笑った。


        *


「その道のプロに聞くのが一番だよ。もちろん君も専門家の一人ではあるけど、技術は日進月歩で進歩しているのだから、今現在、最先端の研究をしている人には敵わないと思うんだ。だから、そういう知識や技術を持った人を探して聞いてみたらどうかと思うんだけど、どうかな」


 押しつけがましくならないようにと配慮してくれた醸のアドバイスだったが、心の中にはすんなりと入ってこなかった。宇和島、バレンシア、カリフォルニアの三か所で研究してきた自分こそがミカンとオレンジのことを知り抜いているという自負があるからだ。しかし、醸はそのことに落とし穴があると指摘した。


「何かに真剣に没頭している時って、えてして大事なことが見えてないことが多いんだよ。君の場合もそんな気がする。自らの知識や技術に固執している可能性があると思うんだ」


 そして、出身大学の教授に相談してみたらどうかと提案された。当然ながらすぐに返事をすることはできなかったが、不思議と拒否するという気持ちは起こらなかった。というよりも、正解かもしれないという思いが膨らんできた。倉庫整理に戻ろうとする醸の背中を見つめながら、教授の顔を思い浮かべた。


        *


 翌月、幸恵は飛行機の中にいた。松山空港行きだ。しかし、目指すところは愛夢農園ではなかった。母校の愛媛県立農業大学だった。


        *


「お久しぶりです」


 幸恵が卒業する時に助手だった男性は教授になっていた。痩せぎすだった体は少しふくよかになっていたが、日に焼けた顔は当時のままのように思えた。


「相変わらず作業をされていらっしゃるのですか?」


 教授は、その通りだ、というふうに頷いた。


「この部屋でハンコを押すのはガラじゃないからね」


 今でも学生と一緒に野外での作業をこなしているのだという。


「現場・現物・現実。どんな立場になっても三現主義は貫き通さないとね」


 若い頃からの主義を貫き通している教授が素敵だと思った。


「ところで、相談ってなんだい?」


「はい」


 幸恵は今までの経緯を話して、ミカンとオレンジの交配がうまくいかないことを包み隠さずに伝えた。


「なるほど」


 教授は腕組みをして頷いたあと、(おもむろ)に口を開いた。


そぎ芽接ぎ(・・・・・)はどうかな」


 そいだ芽を台木に接ぐ方法だという。先ず、太く成長したオレンジの新梢(しんしょう)を切り取って慎重に新芽を切り外し、次に、それを水につけて台木の準備に取り掛かり、それから、台木となるミカンの木に切れ目を入れて広げるように皮を剝き、そこへ水につけておいた新芽を差し込んで接ぎ木用のテープで巻いて固定させるのだという。

 但し、実がなるまでには数年待つ必要があるという。それでも、やってみる価値はあると断言した。柔和な表情になった教授が自信ありげに顎を引いたが、すぐには返事ができなかった。頭の中に浮かんだイメージは易しいものではなかったからだ。


「私にできるでしょうか?」


 思わず不安な声が出てしまった。初めてトライする方法に自信が持てなかったからだが、「大丈夫だよ」とあっけなく太鼓判を押された。しかも、「うちの研究室が協力するから心配しなくていい。卒業生はいつまでも大事な仲間だからね」と温かい言葉をかけてくれた。卒業してからかなり経っているのに、今も仲間だと言ってくれる、その言葉が嬉しかった。


「ありがとうございます」


 熱いものが込み上げてきた幸恵は、それだけ言うのが精一杯だった。


        *


 タクシーを呼んでもらって松山駅に向かった幸恵は、電車に乗って宇和島に直行した。そこからまたタクシーに乗って愛夢農園に到着すると、突然の訪問に姉が驚いた。


「どうしたの?」


 教授とのやり取りを一気に話すと、「本当?」と目を丸くしたまま、信じられないというような表情になった。一介の農園に大学が協力するなんてことはあり得ないからだろう。


「契約を結んだ上で共同研究をしたらどうかと提案されたの。研究生を数名派遣してもいいとも言っていただいたわ」


「そう」


 姉はまだ信じられないようだった。


「こんなチャンスは二度とないと思うの。やってみましょうよ」


「そうね」


 それでも現実のこととして受け止められないようだったが、常に前向きな姉がこのチャンスを逃すことはなかった。すぐに行動を起こして、研究室との契約を交わした。



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