表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/89

無力

 

「もう、限界だ」


 リビングに入るなり、オーナーが落胆の声を出した。奥さんも残念そうに顔を下に向けた。幾度となく襲いかかる山火事が心を折ったようで、疲れ切っているのが手に取るようにわかった。今回の火事は特に酷く、それが希望の光を消し去ったのは間違いなかった。


「必死になって消火したけど、ダメだった」


 葡萄畑の半分が焼失したという。


「それに、私たちも歳を取った」


 住居とワインの製造設備は幸いにも被害を免れたが、葡萄畑を元に戻す気力はないとため息をついた。


「だから、フロリダへ移ろうかと考えている」


 保管庫にあるワインを売り払って、余生のための資金にするつもりだと力なく笑った。


「ここは、どうするのですか。まさか売り払うなんてことは」


 ないでしょうね、という前に彼は首を横に振った。


「誰も買わないよ。畑の半分は焼けてしまったし、残った半分の樹も煙や高温に(さら)されてしまった。その影響がどんなものになるか想像もつかない。葡萄畑としての価値はほとんどなくなってしまったんだ」


 手塩にかけた葡萄畑が、カルトワインを産んだ素晴らしい土壌が、見放されようとしていた。それは、オーナーと奥さんの血の滲む半生を無にすることに等しかった。


 彼らがどれほどの苦労を積み重ねてきたか……、


 醸は頭を振った。彼らの努力を無にしてはいけないし、そんなことはあってはいけない。

 しかし、自分にはどうすることもできない。目の前で打ちひしがれている彼らを助ける力はないのだ。唇を噛むしかなかった。


「潮時なんだよ」


 オーナーは寂しそうに笑った。


「始まりがあれば終わりがある。物事に永遠はないんだ。そのことを受け入れなければならない」


 横にいた奥さんを抱き寄せて髪にキスをした。奥さんは目を瞑ったままオーナーに身を預けていた。


「妻と2人でワイナリーを始めた日のことを昨日のように思い出すことができる。あの時は無限の可能性を疑わなかった。なんでもできると信じることができた。何度失敗しても立ち直ることができた。失敗すればするほど、なにくそ! という負けじ魂が沸き起こってきた。次から次へとエネルギーが湧いてきたんだ」


 そこでふっと笑った。


「若かったんだよ。若いっていうことは本当に素晴らしい」


 奥さんが顔を上げて、そうね、というように見つめると、オーナーはまた髪にキスをした。


「いつまでも若さを保てればいいんだが、そうもいかない。人はいつか年を取り、若さから遠く離れていく。ハリがあった肌には皺やシミが増え、ほうれい線は深くなる。髪の毛は少なくなり、残った髪も白髪だらけになる。信じられないことだが、お爺さんになってしまうんだよ。幼い頃に祖父と写った写真を見たらよくわかるよ、あの時の祖父と同じ年齢になったことをね。残念だが、それが現実なんだ。そして、その現実を受け入れなければならないんだ」


 彼は左手を奥さんの上半身に、右手を膝裏に置いて抱きかかえようとした。しかし、そのままの姿勢で苦笑いを浮かべた。


「お姫様抱っこはもうできない」


 首を弱々しく左右に振ると、いいのよ、というふうに奥さんがおでこにキスをした。


「あなたのせいではないわ、私が太ってしまったからよ」


 とても愛おしそうにもう一度キスをすると、彼は奥さんの膝裏に置いた右手を離して、その手で彼女の髪を優しく撫でた。


「これからはのんびりとゆったりと穏やかな時間を過ごそうね」


 そうね、というふうに奥さんが目を細めると、彼の視線がこちらに向いた。


「ジョー、フロリダにも遊びに来てくれるかな?」


 吹っ切れたような表情に柔らかく包み込まれた時、突然、熱い何かが体の内から込み上げてきた。それは、このワイナリーを受け継ぎたいという強い想いだった。だから、〈わたしに譲っていただけませんか〉という言葉が口から飛び出しそうになった。


 しかし、それを声に出すことは出来なかった。そんな力はないのだ。華村酒店を経営するだけで精一杯なのに、ワイナリーにまで手を出すことは出来ない。ただ黙ってフロリダに送り出してあげることしかできないのだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ