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佐賀

 

「長旅お疲れさまでした」


 日本夢酒造の事務所前で笑みを浮かべて咲が出迎えてくれた。その場で橋渡を紹介すると、咲は自己紹介をして名刺を交換した。


 その後、応接室に場所を移して、橋渡が今回の目的についての説明を始め、すぐにでも見学したいと伝えると、咲は頷いて、手製のパンフレットを渡した。


「先ずこれをご覧ください」


 見ると、製造工程全般がわかりやすく書かれていた。それに基づいて5分ほど説明を受けたあと、製造現場へ向かい、実際の工程を見学した。


 瓶内二次発酵中の現物を前に、発酵管理の難しさや濁りや(おり)の除去についての詳しい説明が続くと、橋渡は目と耳と手をフル回転させて、咲の説明を理解しようと努めているようだった。

 メモは何枚にも及び、ひっきりなしにシャッター音が響いた。特に彼が強い関心を示したのは、製造工程のすべてにおいてシャンパーニュ地方で修得した技術が使われていることのようだった。それがキーになると考えているのだろう。


 見学が終わって一息入れようと事務所のソファに腰を下ろした醸だったが、橋渡にそんな気はないようだった。


「酒蔵だけでなく、佐賀の食文化も取材したいのですが」


 提灯(ちょうちん)持ちのような取材ではなく、佐賀全体の魅力を伝える中で日本夢酒造をさり気なく紹介しようと考えているようだった。


 それは咲にとってもありがたいことに違いなかった。地域の活性化に寄与することが大事だと常日頃から考えていることを醸は知っていたからだ。


        *


 咲が案内してくれたのは老舗の鮮魚割烹で、かつて佐賀夢酒造の蔵元が一徹と崇を招待した店だった。


「この店か……」


 創業100年を超えるという老舗の堂々とした店構えを見て、動けなくなった。


「そう。一徹じいちゃんと崇おじさんが泡酒に出会った店よ」


 聞いてグッと来た。一世一代の引継ぎの旅のことを聞いていたからだ。若き日の父と元気だった頃の祖父の顔を思い浮かべるとたまらなくなったが、「さあ」と背中を押されて店の中に入った。


        *


「こちらがあの時ご利用になったお席です」


 老齢の店主は当時のことをよく覚えていて、4つの席のどこに誰が座ったかまで覚えていた。


 醸は、かつて父が座った席に腰かけた。そして、財布から写真を取り出して、祖父が座った席の前に置いた。2人がにこやかに笑っている写真だった。


「懐かしいだろ。一緒に食べて、飲もうね」


 2人が嬉しそうに頷く姿を想像していると、「喜んでいるわよ」と開夢の席に座った咲が覗き込んでいた。橋渡は蔵元が座った席で咲を見つめていた。


 はなむらさきとグラスを店主が運んできた。3人の前にグラスを置いて、テーブルの中央にはなむらさきを置くと、写真に気づいたのか、「少々お待ちください」と言って厨房に向かい、グラスを2つ持ってすぐに戻ってきた。


「ご一緒にお飲みになるでしょ」


 写真の前にグラスを2つ置いた。


「ありがとうございます。祖父と父が喜びます」


 醸が深々と頭を下げると、「ごゆっくりなさってください」と優しげな笑みを浮かべて背を向けた。


 咲が栓を開けて祖父と父のグラスに注いでから、橋渡と醸に注ぎ、最後に自分のに注いで、「乾杯」と声を上げた。それを合図に3つのグラスが写真に向かって掲げられた。


「おいしいだろ」


 写真に語り掛けると、「一徹じいちゃん気に入ってくれたかな?」と咲が写真を覗き込んだ。

 すかさず「咲ちゃん、おいしいよ」と祖父の声色を真似ると、笑いもせずに「ありがとうございます」と写真に向かって頭を下げた。すると、それを待っていたかのように、店主が舟盛りにした姿造りを運んできた。


「お待たせしました。呼子のイカです。当時も召し上がられたんですよ」


 そして、お酒をかけるとイカがピクピク動いて、父がたいそう驚いたという話を披露してくれた。


「やってみる?」


 と言うや否や、咲がはなむらさきを少しかけると、イカが反応した。


「おっ!」


 声を出したのは橋渡だった。咲に笑われてバツが悪そうに頭を掻いたが、一口サイズの鎮西アワビやヒオウギ貝の網焼きが出てくると表情が戻り、富士桜を合わせながら舌鼓を打った。


 しかし、それも束の間、「厨房に行ってきます」とカメラを持って立ち上がった。店主と板長に交渉して取材をしたいというのだ。佐賀の魅力を最大限に引き出すためだという。


「私も行きます」


 咲がすっと立ち上がって、橋渡を引き連れるようにして厨房に向かった。


 ふ~ん、


 2人の後姿を見ながら、普段と違う咲の態度にちょっとした違和感を覚えたが、運ばれてきた料理のいい匂いに打ち消されて、意識はすぐに地鶏の炭焼きに移ってしまった。


 食事と取材がすべて終わり、醸が支払いをしようとすると、橋渡に制された。


「民間企業からの接待は禁じられています。取材費として予算を申請していますので、こちらで支払いを致します」。


 凛とした姿勢が爽やかだった。



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