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限界

 

 シャンパーニュを出発した咲は、パリに寄って父親に帰国することを告げた。

 すると、思わぬ言葉が返ってきた。


「本社に戻ることになった」


 それは、取締役に就任するという嬉しい知らせだった。そしてそれは、日本とパリでの二重生活に終わりを告げることを意味していた。


「寂しい思いをさせたから、そろそろ償いをしないとね」


 乳がんの再発もなく一人で留守を預かっていた母親だったが、夫と子供2人がフランスに渡って寂しい思いをしていることは容易に察することができた。


「私だけでなくお父さんも帰ったらびっくりするでしょうね」


 母親の喜ぶ顔を想像して嬉しくなったが、この店をどうするのか気になったので訊いた。

 すると、ずっとサポートをしてくれた社員に任すことにしたという返事が返ってきた。それだけでなく、年に何回かはこちらに来るので、その時には音にも会えると顔をほころばせた。


「ところで佐賀にはいつ行くんだい?」


「東京で1週間くらい過ごしてから行くつもり」


「そうか……」


 少し寂しそうな顔になった。自分の帰国とすれ違うように佐賀に行ってしまうことへの残念な気持ちが現れているようだった。


「でも、日本にいるんだから、いつでも会えるわよ」


 わざと明るい声を出すと、「まあ、そうだけどね」と少し肩を上げて笑った。


        *


 帰国した咲は、実家で母親と水入らずの時間を過ごしたあと、佐賀に向かった。入れ違いにはなるが、父親が帰ってくるのでなんの心配もなかった。


「気をつけてね」


 労わるような母親の見送りを残して、咲は羽田を飛び立った。


        *


 佐賀空港に着くと、崇が迎えに来ていた。運転手役の蔵人も一緒だった。


「おかえり」


「よろしくお願い致します」


 顔を引き締めて深く頭を下げた。


 酒蔵に着くと、応接室に通された。

 咲は改めて崇と向き合った。


「おじ様の元で泡酒に挑戦できることにワクワクしています」


「私もだよ。咲さんが挑戦してくれるなんて夢のようだ。これも學さんのお陰だな」


 会社を口説いて佐賀夢酒造を買収してくれたことに心から感謝しているようだったが、表情が急に変わって、真剣な眼差しになった。


「ところで、蔵元を継いでくれないか」


「えっ! 今、なんて」


 突然のことに驚いたが、返ってきたのは疲れ切ったような声だった。


「もうすぐ69になる。蔵元と酒屋の二足の草鞋はもう限界だ。蔵元を卒業したい」


 崇が手の甲に視線を落としたので追うように目を向けると、青く太い血管が浮き出ていて、ちりめん状の皺が全体を覆っていた。


        *


 限界なのは百合子も同じだった。二足の草鞋で留守をすることが多い崇に代わって店を守っていたが、どんなに頑張っても取り扱いを日本酒に限定している華村酒店では、売上の下落を止められなかった。その背景に、1974年をピークに日本酒の生産量が減少に転じていたことがあり、日本酒離れが進む中で如何ともし難かった。


 そんな厳しい状況の中でも、崇は長い付き合いのある30の酒蔵との関係を大事にする余り、注文を減らすことを躊躇っていた。だから、売上減少の分だけ在庫が増え、店の倉庫には入り切らなくなっていた。その結果、新たな倉庫を探さなければならなくなった。

 崇は迷わず倉庫の賃貸契約を結ぶ決断をしたが、そこは華村酒店には不釣り合いな立派なものだった。遮光(しゃこう)に加えて、温度や湿度を一定に保てる本格的な倉庫を借りようとしたのだ。


 それを聞いて、百合子は反対した。何度も反対した。売上減少と在庫の増加で資金繰りが厳しくなっている中での投資にリスクを感じたからだ。しかし、


「杜氏や蔵人の努力を無にしてはいけない。紫外線や高温多湿で彼らの汗の結晶である特別な日本酒をダメにしてはならない。それに、それだけじゃない。これは醸のためでもあるんだ」


 強い口調で百合子を退け、これだけは譲れないと押し切って、契約を結んだ。


 百合子は従うしかなかったが、手持ち資金の減少に強い危機感を抱いた。ただでさえ経営が苦しいのに、更なる負担がのしかかってくるのだ。この先どうなっていくのか、心配で心配でたまらなかった。



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