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房総大志酒造

 

 2年半に渡る代替わりの挨拶の旅も最終章を迎えようとしていた。


 30蔵目に訪れたのは、房総大志酒造。知る人ぞ知る『荒波しぼり』で有名な酒蔵である。船乗りのように真っ黒に日焼けした蔵元が迎えてくれた。


「釣りから帰ったところなのです」


 蔵元は大量の釣果(ちょうか)にご機嫌な笑みを浮かべており、アジやイワシなど釣ったばかりの青魚が土間に置かれた大きな生け簀の中で元気に泳いでいた。


なめろう(・・・・)で一杯やりますか」


 蔵元は今朝釣ったばかりの新鮮な青魚を叩いて、味噌と香味野菜で味をつけた。

 見るからにおいしそうで、口に運ぶと期待に違わず最高だった。


 それに合わせるのは『荒波おろし』。春に搾った新酒『荒波しぼり』をひと夏貯蔵して熟成し、秋に出荷される酒。爽やかで、かつ、旨味のあるバランスの取れた逸品と評判の酒だ。


「旨いでしょう。合うでしょう。いけるでしょう」


 舌鼓を打った蔵元の野太い声が響いた。


「旨いですね。蔵元が叩いたなめろうはいつ食べても最高ですし、この荒波おろしが合うこと!」


 一徹の賛辞に蔵元は相好(そうごう)を崩した。


 そんな和やかな時間がしばらく続いたが、なめろうとさんが焼き(・・・・・)が無くなった時を見計らうように、代替わりすることを一徹が告げた。すると、蔵元の顔から笑みが消えた。


「そうですか……、代替わりですか」


 蔵元は手に持ったお猪口を食卓に置き、両手を膝に乗せて深々と頭を下げた。


「ありがとうございました。長い間、大変お世話になりました。房総周辺でしか知られていなかった荒波しぼりが東京で売れるようになったのは華村さんのお陰です。こんな片田舎にまで何度も足を運んでいただき、私や杜氏や蔵人を勇気づけていただいたお陰で今日までなんとかやってこれました。感謝してもしきれません」


 蔵元は再び深々と頭を下げ、そのまま微動だにしなくなった。

 一徹も頭を下げたまま動かなくなった。


 しばらくして蔵元が顔を上げると、「華村さんに恩返しをさせてください」と言って、奥の倉庫から一升瓶を持ってきた。それには何も書かれていない半紙が巻かれていた。

 再び腰を下ろした蔵元は、一徹に新しいお猪口を渡して酒を注ぎ、「飲んでみてください」と表情を引き締めた。一徹は頷いて香りを確かめるようにしたあと、口に含み、噛むように味わった。


「この味は……、もしかして、古酒?」


 蔵元は静かに頷いた。


「低温で3年寝かせました。やっと満足のいくものが出来上がりました」


 そして居住まいを正して、「この酒に名前を付けてください。華村さんに命名していただきたいのです」と頭を下げた。


 一徹は驚いた様子だったが、それでももう一度古酒を口に含み、噛むように味わい、その余韻に浸るように目を瞑って、そのまま動かなくなった。内から湧き出てくる言葉を待っているような感じだった。崇は固唾(かたず)を呑んで見守った。


「よし!」


 声と共に半紙に筆を走らせた。


 荒波三年古酒『芳醇大漁』


 そのあとは無言が時間を支配した。一升瓶を見つめ続ける一徹と蔵元の胸には万感の想いが込み上げているようで、見ていた崇は胸が熱くなった。膝の上で握った拳を更に強く握りしめた。



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