創作アイドル百合1
別のところであげたやつの上げ直しです
1
身体中に血が巡る。てのひらが勝手に熱を持ち、泡のように弾ける拍手や甲高い歓声がずっとずっと遠くの世界のことのように感じられた。
うまく頭が回らない。自分が立っているここがどこなのかも、目に映ってる光景がなんなのかも━━━━自分の目的がなんだったのかも、その一瞬で全て頭から抜け落ち消えかけた。
淡く昇る体温に浮かされたまま意識を手放そうとするのと同時に、思い切り手に力を込めて、爪が食い込むくらいに握って目を覚ます。下唇をきつく噛んで、目の前の光景を見つめた。最低で、最悪で、この世の終わりみたいな、クソッタレな現実を。
━━━━絶対に許さない。あたしはあの田舎臭いなんの魅力も感じない芋っぽい女を、絶対に絶対に許さない。理解させてやる。つぎにここに立つ時、あたしの方が優れていて、あたしの方が可愛くて、あたしの方が才能に溢れていて、あたしの方が、アイドルに相応しいって、そのダッサいツラに刻み込んでやる。アンタが血反吐吐いて命かけてまで追い求めたとは思えないその生ぬるくてまがいものみたいなステージからあたしが直々に引きずり下ろしてやる。
殺して、やる。
二、三個隣で祝福されている少女の方を向けないまま、ツカサは早く終わらないかとただ耐えるように時間が過ぎるのを待った。
2
「アイドル」が一大産業になって久しい。今日ホールでライブとオーディション最終結果があったアイドルグループ【フラストレーション・ドール(通称:フラド)】もそのひとつである。
【フラストレーション・ドール】はトウキョウシティにある大手芸能プロダクション【ミラクリスタル】が輩出した今最も熱いアイドルグループのひとつで、パフォーマーは皆「ゼンマイ仕掛けのお人形」というコンセプトのもとそれぞれが感情を司っている。ファンの総称は「マスター」、「ドール」達を管理しているという設定でライブやソロ曲などもそれに合った作りになっている。2XXX年に前形となる完全オーディション制のグループが発足、メンバーの募集を開始し、一年も経たないうちにオーディション、プレライブを経て正式にデビューが決まり瞬く間に全国に名が知れ渡った。人気となったのはやはり斬新なコンセプトがあったからだろう。担当という旧時代的な概念はフラドにおいてはほとんど無く、固定ファンは一定数いるもののドール全員を応援するマスターは少なくはなかった。
飽きるほど見た簡単な解説サイトに一通り目を通し、「知ってるよ全部」とツカサは吐き捨てた。
だからこそいいんだろ。だからフラドじゃないとダメなんだろ!
例えば「怒り」を司るドールの一人、サラ。
メンバーカラーは暗い赤。スタイル抜群の長身を存分に生かし軍服風の衣装を身に纏った圧倒的な歌唱力と荒々しくも完成度の高いダンスパフォーマンスが特徴的なドール。MCはやや乱暴で粗暴な態度が目立つがファンを唸らす確かな実力を持っている。怒りを司っているだけありサラのソロ曲はこの世のあらゆるものへの怒りと、嘆きと、叫びが詰め込まれている。サラはマスターに代わってどこへも向けられない「怒り」を声が出なくなるまで、体が動かなくなるまで叫び続ける。マスターは彼女が代わりに叫んでくれるからこそここまで生き、そして明日からも生きていけるのだ。
それと正反対の「悲しみ」を司るドール、アリス。
メンバーカラーは薄い青。身長はドールの中で一番低く小柄で気も弱くいつもサラにいびられている。がひとたび歌い始めれば波のようにさざめく静かな歌声がホール全体に響き渡り、マスターもドール達も息を呑みアリスの声に耳を澄ます。その瞬間だけはあらゆる音が止みただアリスの悲しみを纏った必死な歌声だけが聞こえる。ダンスパフォーマンスは心許ないがマスター達の悲しみ、苦しみ、やるせなさを全て引き受け思いを乗せて紡がれる歌は人知れず涙が溢れてしまうほど人の心の深い深い柔らかな箇所に鋭く突き刺さる力があった。
だから、フラドじゃなきゃダメだったんだ。
このあたしが一番、誰よりもフラドを愛していたのに!
個性豊かに煌めくふんわりとしたパニエのドレスに身を包むドール達の姿が頭の中で巡っていく。何度もサラに怒りを歌ってもらった。何度もアリスに悲しみを背負ってもらった。フラドのPVを見て胸が溺れるほど泣いた夜だって何度も何度もあった。だから、あたしが……。
思えば思うほどてのひらが熱を持ち、胸元が熱く苦しい。焼け死にそうなほどの、殺意。
ふとぽよんとスマホの通知が鳴ってメッセージアプリに連絡が来た。母からだった。時刻は午後八時。迎えの連絡だろう。
そこで初めて充電が10%しかないこと、モバイルバッテリーを控え室に忘れてきたことを思い出し、一瞬逡巡した後、二度と引き返したくなかった道を大股で戻って行った。
冷めやまぬ炎の消し方がわからない。火の先端は未だ怪しげに揺らめいていた。
スタッフなどが慌ただしくいれ違う舞台裏の長い廊下を、肩をぶつけそうになりながらも進んでいく。
消えない。この炎は消えない。あの女を殺すまでは。あたしがこの手で殺すまでは。炎は退いては、くれない。
端に避ける業者の会釈を下界のことのように思い、横目に通り過ぎていく。
まだドアが開きっぱなしの控え室を視認するとヒールの音を大袈裟に鳴らして室内に滑り込んだ。
できるだけ顔を伏せ、一目散に自分が座っていた席に向かいテーブルに置かれたままのモバイルバッテリーを掴んで踵を返そうとした。
「あ、ツカサちゃん、お疲れ様」
瞬時に無視かそれ以外かを考えたが、声の主が見知った顔であることに気づいて退路が絶たれたなと漠然と思い振り返る。
声の主は間違いなく知り合いだった。ここに来るまで比較的数多く挨拶を交わしたことのある候補生のひとりである。
「何?早く帰りたいんだけど」
よくない。一気に炎が大きくなる。この候補生に罪はないが今のツカサには触れられただけでその矛先を誰にでも向けるくらいに怒り、冷静さを失っていた。候補生のゆったりとした優しい声が鋭くなった神経を逆撫でする。
「あれ、そうだったの?ごめんね引き止めちゃって。今花和ちゃんとオーディションすごかったねって話してて」
「花和……朝、美」
「?そう、花和ちゃん。ねぇ花和ちゃん」
「う、うん。夕川さん、お疲れ様……」
「朝美……」
カッと目の前が明るくなった。胸元がグツグツ煮えるような感覚。思い切り奥歯を噛んでその女━━━━朝美 花和を睨んだ。この、間抜けな女、が。
あたしから全部を……奪った!この女が!この女が!この女が!
口の壁から剥がられたどろりとした熱い唾液をかまわず嚥下する。またぽよんと通知が鳴ったが今度は無視した。
「わたし、その……夕川さんがオーディション受かると思ってたから……」
「だから何?あたしを差し置いて受かれましたって自慢?」
「そ、そんなこと思ってないよ!本当に夕川さんだと思ってたの、本当に……」
「じゃあなんだよお疲れ様でしたお互い頑張ったねって握手でもしたいわけ?」
「ち、ちが」
「あんたの実力ってあんなもんでしょ、ずっとそうだった!本当にアイドルなりたいの?本気でやってあれ?なにを学んできたの?あれでいいと思ってんの?本当に?」
間に割って入る候補生に宥められてもなお、ツカサは今回のオーディションで選ばれた花和を詰り続けた。やがて不審に感じたスタッフが駆けつける慌ただしい足音が聞こえて候補生に背を押され退出を余儀なくされるギリギリまで、火の粉を撒いて、詰った。「フラドに入ってしょうもないパフォーマンスしたらやめさせてやるからな」その厳しすぎる言葉を受けアイドルに選ばれたとは思えないほど背を丸め項垂れる花和の姿が視界の端に映った、最後の光景だった。
消化不良を起こしてぶつくされた顔のまま帰ったツカサを両親は大健闘だったと讃え、温かいご馳走を作って出迎えた。ここで立ち止まってはいけない、とまだやれると意気込みたいところではあったがそんな気分にもなれず、ツカサは食べるだけ食べ早々に布団に入ってしまった。
しかし次のオーディションまで一年もない。時間は一秒も無駄にできない。SNSでの今日のライブの感想を流し見しながら別の端末で動画サイトを開く。とりあえずは今までのPV、オーディション、ドキュメンタリー、インタビューその他諸々を全部見直す必要がある。そこから、ツカサにはない、朝美花和にしかないものを導き出す必要があった。
あの女にあってあたしに無いもの?
急に全てが馬鹿馬鹿しく思えてならなかった。そんなもの無い。あたしはあの女に無いもの全部持っている。歌もダンスもあたしの方が上手い。飲み込みもあたしの方が早い。グループでのコミュニケーションだって、少なからずあの女よりは円滑に進められる自信がある。あんなにオドオドしてない。全てにおいてあたしの方が上。だってそれだけ寝る間も惜しんでずっと研究してたから!
残酷なことではあるが、芸能人やアイドルを目指す時、スタート位置が平等ではないのは間違いないというのがツカサの自論であった。
努力は糧となる。愛は力になる。だがそれだけではどうしようもならない、もしくはかなりの苦労しないとどうにもならないことも事実としてあるとよく理解しているつもりだった。
それは容姿に関わること。ある程度見た目が整っていないとなれないものはなれない。
ツカサは恵まれたことに、大して苦労せずに今の容姿を手に入れていたから今後その部分において驕るのはやめようとアイドルを目指しはじめた時に決めていた。一生に一度、父と母がこの顔に産んでくれた、そのことに感謝したのはそれっきりだけであった。
じゃああとは全部努力で埋まるよ。向いてなくても全然上手くなれなくても、それだけ追い求めてれば気づいた時にはある程度形になってるよ。
ツカサが朝美花和を許せなかったのは彼女にそれが感じられなかったからだった。
「本当にアイドルになりたいの?」
あの時の言葉をもう一度声に出して呟いてみる。
候補生の中ではいつも振り付け補習組で何度もミスして曲を止める。かと思えば死にそうな声で謝罪する。いつも何かを気にしてるような小さい歌声。思ってることを明確に主張すらしない。周りに気を遣わせてばっか。言うこと全部誰でも思いつきそうなことで薄っぺらい。愛は?情熱は?殺意は?憧れは?フラドじゃなきゃいけない、アイドルじゃなきゃいけない理由って、あんたの中に無いの?
馬鹿馬鹿しい、とまた吐き捨てる。SNSと動画サイトを乱暴に閉じ、勢いよく頭から布団をかぶって目を瞑った。
炎は依然として消えない。それどころか胸元から腕へ、足へと広がっていく感覚すらした。
もう、あたしがこの手で……。
ツカサは抱えきれないほどの炎を抱きしめながら、深い深い眠りについた。
3
フラドのオーディションは年に一度、夏にある。元々その体制の特異さによるメンバーの入れ替わりが他のグループよりも頻繁にあるからか、運営も積極的にメンバーを募集したりオーディションを開催したりしていた。六月の下旬から応募が開始し、七月には一次選考が行われ、候補生が一定の数にまで絞られ、確定次第顔合わせやトレーニングが始まる。八月いっぱい広報活動や練習などがあり九月一日に毎年行われるフラドの【オータム・フェスティバル】で候補生たちによるパフォーマンスと結果発表がある。まだ暑さの残る時期だ。夏の間に練習などがあるのも過酷な環境に慣れておくためだろう。もちろん候補生たちは練習や研究のほかに完璧な体調管理を強いられる。その決して楽しいとは言いきれない期間を越えふるい落とされずに済んだ候補生たちだけが晴れてオータム・フェスティバルのステージに立つことができるのだ。フラドのオーディションはその過酷さから脱落者が後を絶たない鬼畜オーディションとして有名であった。
ツカサは朝美花和のことを心の底から唾棄している一方で、同じ候補生の中では唯一一人だけ実力を認めているのがいた。あの日、花和と話をしていた……ツカサと花和の間に入って仲裁しようとしていた、あの候補生。初顔合わせで天門 柊南と名乗ったその二つ上の候補生は確かにオーディションに受かるだけの実力を持っていた。
あんたが受かったらよかったのに。
ツカサはあれから幾度となくそう考えた。柊南の優しくも芯のある声を思い出す。ボーカルスクールに通っている話をしていた。小さい頃から楽器に触れる機会があったからある程度のものなら弾ける、と休憩の合間にそういうことも言っていた。十八じゃもう年長になっちゃうねと呆れたように笑っていた、声。メガネの奥から覗く聡明そうな瞳。しかし練習が始まると誰にも負けたくないと主張しているような意志の強さを感じさせる顔と圧倒的な実力で他の候補生たちを引き離していくなだらかな背。ツカサも柊南のパフォーマンスに負けじと張り合うのが精一杯で負けるかもしれないという不安が過ることもあった。他は正直、ジャガイモの銘柄の違いだけのようなもの、と手痛い評価を下していたツカサが唯一あんたになら負けてもいいと思えた相手。
あんたが勝ってくれてたら、こんなに恨まなくて済んだのに。
願わくばまた柊南が次のオーディションもエントリーしていてくれ、と祈ることしか今はできない。諦めないで欲しい、と漠然と思う。あの魂が震えるような歌声を持つ柊南と、肩を並べてパフォーマンスがしたい。どこに住んでいるかも知らないライバルのことを思っている間も時は無慈悲に流れていった。
ボイストレーニングをしたり映像を見返したりしているうちにエントリーが始まり、その後の一次選考も難なくクリアするとすぐに初顔合わせが行われた。どちらかと言うとこういう時に群れる方では無かったツカサは、なるべく隅で黙って他の候補生たちが談笑するのを眺めた。前のオーディションでは柊南が何かにつけてよく話しかけてきていたことを思い出し、その行動力の凄さに改めてゾッとする。思えばあいつ、いつ見ても誰かと話してたな。非の打ち所は無いのか、非の打ち所はなどと考えるうちに今回のオーディションにその見知った顔がいないことを少しずつ、受け入れていった。
しばらくして一人の候補生に絡まれるようになった。飛坂 つばめと名乗ったその候補生は明るく、承認欲求が強く、目立つことに貪欲で、騒がしくてかなわないツカサにしてみればうざったい存在であったが候補生の中ではパフォーマンス慣れしている稀有な存在でもあった。
つばめは練習後すぐ帰ろうとするツカサを連れまわし、ラーメンを食べに行ったりゲームセンターに連れて行ったりした。ツカサは悩みの種がまた一つ増えたことに嘆息せざるを得なかった。「そんなんでどうしてアイドル目指そうと思ったんだよ」と嫌味っぽく言うツカサにつばめは「だって憧れない?キラキラのアイドル!」と意気揚々と返した。七月が終わった。
暑い日が続いた。八月に入り候補生たちを包む空気は一層重苦しくなっていった。この頃には脱落者もちらほら見かけるようになっていた。
候補生たちは面接で自分のアピールポイントや自分のなりたいアイドルの理想像などの他にフラドではどのメンバーのどういったところが好きかを答えなくてはならない。特に初顔合わせの際はそう言ったお互いを知ることに時間をかけることが多く、この面接は候補生全員の前で行われるのが常である。ツカサはフラドのことがグループとして好きであったから、これと言って特別好きなメンバーは決められず、二回ともサラとアリスの二人の名を挙げた。ここで変に答えにこだわっても真実にはなり得ないことはわかっていたから思っていることをそのまま伝えた。ツカサがつばめを一人の候補生として認識するようになったのはこの頃からであった。
つばめは好きなメンバーの質問に自信たっぷりに「リズです!」と答えた。
「意外だった」
「んー?何が?」
「あんたが好きなメンバーにリズを選ぶの」
リズ。フラド結成時からの初期メンバーであり担当カラーはピンク。「かわいい」や「萌え」の感情を司り、それにあったポップでキュートなロリータ服に身を包んでいる。ファンサがドール1豊富で、萌え声で、生粋のアイドルと思わされる愛嬌がある。あの時つばめが言った「キラキラなアイドル」といえば確かにリズが当てはまると言えばそう、ではある。が……。
「えー?一番かわいいじゃん!歌もダンスも、MCも可愛い、それに」
「……それに?」
「縁の下の力持ちってカンジで、かっこいい。ウチ、リズがいないとフラドって成り立たないと思う」
夏も山場といった頃、都会特有の蒸し暑さから逃れるように入り込んだ路地裏の日陰の下でアイスを齧りながら駄弁った他愛もない会話だった。
言おうと思っていたことを言い当てられた気がした。そう、リズはサラやアリスを花形とした場合、どうしても地味な方になってしまうのだ。悲しみや怒りに揺さぶられるほど、「かわいい」といったポジティブな感情は二の次にされてしまう。そんなこと、あってはならない、のに。
そう言う時でこそリズの魅力は発揮される。ツッコミのためならステージの右から左まで全力疾走するし、自分を応援してくれているマスターを見つければとびきりの笑顔で駆け寄る。話を聞くのが上手で、握手会は一番楽しいことで有名だし、他のドールの心が折れてしまった時は何度も何度も親身になって話を聞いていたと言うエピソードを幾つも聞くし、リズがいるから他の卒業していったドールたちも晴れやかな心持ちで卒業できていったのだろう。
「ウチ、リズみたいになりたいんだよね。アイドルとかなったらバズりそうとかチヤホヤしてもらえそうとか稼げそうとかそんなことばっか考えてたけど、ウチだって歴としたマスターだったからさ……どうせなるなら推しみたいになりたいじゃん」
炎天下の中、ジャラジャラとキーホルダーをぶら下げたスマホ越しに恥ずかしそうに眉を下げて笑うつばめのその顔は、よく見るリズの笑顔にそっくりだった。
八月が終わった。
4
じゃあ尚更わからない。そんなに朝美花和がよかったのか。運営にとって、一度目で出会ったあの柊南よりも、二度目で出会ったつばめよりも、あたし、よりも……。ツカサは考えた。が、どうしても理解できなかった。
九月一日。舞台袖にまで入ってくるスポットライトの眩しい光に神経質そうな形をしたつり目を細め、ツカサはマイクを握る手に力を込めた。今日、ここで、全てが決まる。あたしが朝美花和をステージから引きずり下ろす復讐が始まるのか、はたまた始まらない、のか。ライトの光を受け金糸のような長く柔らかい髪が煌めいた。
次々と候補生たちが舞台袖にスタンバイし始め、それまで姿が見えなかったつばめがタイミングを見計らったように合流して無遠慮に肩を組んでくる。数時間後にはもう、こんなふうには笑い合えないだろうに、そのことに気づいているはずのつばめは構わずいつも通り笑った。
「殺気立ってるねぇ〜そんなに嫌い?花和ちゃんのこと」
「その名前、今出すなよ」
「いいじゃんいいじゃん!燃えたいでしょ、ツカサだって」
その言葉を聞いて、不意に喉から息が漏れた。は、は!と歯の隙間から漏れる声は不適な笑いに近かった。
そう、あたしはこの炎をずっとどこかに向けたかった。七月と八月の忙しなさでどこか遠い漁火のように小さくなってしまっていた怒りの炎が、殺意の炎が、不敗を誓った燃え盛る炎が、風を含んで膨らんでいった。その火を灯りに、照らされた行く末は明るい。あたしは今度こそ負けない。
「去年の顔合わせの時から嫌いだったんでしょ?よく今まで我慢できたよねぇ〜」
なんでそんなこと知ってんだよ、と釘を刺せば今年のスタッフの中で去年も出てた人いたからさぁとなんでもないと言ったふうで答えられる。情報収集はバズへの近道!とドヤ顔でピースするその顔は心底ムカついたが、間に受けないようにした。
最初見た時からこいつは「無い」と思った。それなりに垢抜けた都会育ちっぽいのが多い中に一人田舎から来たのが明らかに丸わかりなのがいた。練習着も芋っぽく、かろうじて触角を分け下の方で結んだ二つ結びは一度も染めたことがないのがわかる真っ黒な色で、化粧っ気もなく、顔はそれなりに整っていたがとにかく信じられないほど芋っぽくてダサかった。容姿を気にしないタイプの天才型かと思って警戒していたがいざ練習が始まってみたらミス連発、補習常連が定着して気がつけば他の候補生たちも苦笑しているくらいだった。
全体練習となれば一人のミスで全体が止まってしまう。ツカサは花和がミスをして流れを止めるたびに「なんでこんなこともできないんだよ」と小言を言った。幸い柊南をはじめとした他の候補生たちは皆優しくツカサのように詰ることはせずフォローに回ることが多かったから、花和は間違えても上手くできなくても必死についていこうとした。ツカサはツカサで花和を虐めようという気は毛頭無く、あくまで本人としては正しいと思っていることを言っているにすぎなかった。ミスをして全体の流れを止めれば他の候補生迷惑をかけてしまうし、そうならないように考えて練習すればいいだけなのに、なぜそれができないのかわからない。アイドルを目指しているならもっと向上心を持たなければならない。見られている自覚を持たなければならない。なぜその意識が花和にはないのか、わからなかった。
「ダサすぎる」
「もっと練習したら?」
「なんでミスすんのか考えてやってんの?」
「全然上手くなんないじゃん」
「もっと見た目に気を遣いなよ」
「じゃあ何なら得意なの?」
「本当にアイドルになりたいの?」
息をあげて床に座り込む花和に投げかけた言葉は、一字一句忘れることなく全部思い出せる。自分にはそう口に出せるだけの実力が、価値が、あると思っていた。撤回もしない、何度だって言ってやる。自分はそれだけ死に物狂いでアイドルを、目指してきたから。
「でもここ一年でフラドとしてけっこ〜頑張ってきたっしょ花和ちゃん」
「あたしの方が……もっとやれる」
「そらそーかも知んないけどさ?受かる前より全然成長したと思うよ?つばめさん的には?」
フラドに入ってからの花和の活動を見なかったわけがない。アカウントを開設した瞬間瞬く間に拡散されていった中身のない薄っぺらいメッセージ。多少マシになったとは言え完全には無くならない振り付けミス。先輩たちが面倒を見てくれていたおかげか辛うじて芋っぽさはなくなったものの今でも憎くてたまらないあの容姿。話を振られないと喋れないMC。風の噂で花和が加入してから新しいファンは増えたものの古参ファンの数はやや減ったとの話も聞く。見るに耐えなかったが、一瞬たりとも逃さずに見た。目に焼き付けた。あの女にあって、あたしに無いもの……。
去年から今この瞬間まで絶えず思考してきたつもりだった。それでも未だにわからなかった。どうしてそんなに朝美花和がよかったのか。それと、朝美花和にあってツカサに無いもの。……そんなものやっぱり無い。あたしが選ばれるべきだった。マイクを握っていた手にさらに力が入る。
今日ここで勝って、絶対にブチ負かす。
目にかかっていた髪を払い、顔を上げる。候補生たちの小さな歓声が聞こえると同時に観客たちのドールたちを呼ぶ声もそれぞれ聞こえ始めた。鳴っていたBGMが止むとツカサとつばめのすぐそばをドールたちが足早に通り過ぎていき、オータム・フェスティバルの幕が開いた。
オリジナル曲を何曲か披露するとMCパートが入り続いてひとりひとりのソロ曲へと流れは変わっていった。何度かつばめに「だいじょぶ?緊張してない?」と聞かれたが、不思議と緊張も怒りもそこまで感じなかった。手が一度血の気がしないほど冷たくなったりもしたが揉んでなんとか元の体温に戻した。そうこうしているうちにソロ曲も終わり、その後のMCパートも終わりゲストなんかを紹介しているうちに候補生たちの出番が回ってきた。
別に緊張なんか今更しない。他の候補生よりも、とも思わなかった。ツカサは自分でも驚くほど落ち着き払っている自分をパフォーマンス中至るところで見出し、やり切った後であっけなかったとただ、それだけ、思った。色とりどりのライトを振る観客の顔が一人ずつわかるくらい脳が冴えていた。振りも間違えない。次のフォーメーションもステップもちゃんと予測できた。ミスもない。つばめもいつも通りできているみたいだった。さすが、目立ちたがり屋は違うな。じゃああいつは?運がいいのか悪いのかツカサがいるポジションからは花和の姿はよく見ることができなかったが、手応えは確かに感じたまま出番は終わった。
結果発表までの休憩時間も嘘みたいに心は静かでなだらかで、興奮した声色の他の候補生たちの声も頭に残らず、目を凝らして見る秒針の進みが遅いようにも早いようにも見えるのを不思議なこともあるもんだと鷹揚に構えて考えていた。ただあるのは、勝ったと言う確信。
忙しなくスタッフが控え室の前を行き来し、それほど経たないうちに結果発表でーすと呼び出しがかかる。手を取り怖い怖いと呟きながらステージに向かう候補生たち、はたまた抱き合いながら超楽しみ!とはしゃぎながら歩く候補生たち、そのどれにも混ざらず、ツカサとつばめは限りなく冷静なまま表へ向かった。
ついに本当に運命を分つ時が来た。候補生たちは皆一列に並び、観客たちもドールたちも息をのんで結果を見守っていた。乾いた紙が擦れた時みたいな音のざわめきが頭の奥の方で鳴っている感覚。ツカサはふと、今までの自分の人生を他人事のように思い出していた。『お待たせしました』ミラクリスタルの代表が大きなモニター越しに視界を始める。おおっと観客が盛り上がる。代表は気が遠くなるほどの長さの挨拶を延々と続ける。
━━━━小さい頃から何不自由なく生きてきた。夢を応援してくれて、温かいご飯を食べさせてくれて、頑張ったと褒めてくれる両親に恵まれ、気づいた時にはアイドルを目指していた。可愛くてフリフリの、アイドルにしか許されないドレスが着たい。みんなの心を掴みたい。歌を聞いてほしい。ダンスを見てほしい。フラドみたいなアイドルになりたい。あたしも怒りを、悲しみを、歌いたい。あたしの方が上って証明、したい。この世で一番愛されるアイドルになり、たい。あたしが、一番になりたい。そのためならなんだってやってきた。勉強も運動も、歌もダンスも、研究も。なのに、なのに!あの座はあたしじゃなかった。あたしは、選ばれなかった。輝かしい頂から容赦なく、蹴落とされた。
……あの女に!
それも今日で終わりだと思うといくらか体が軽くなった気がする。大丈夫だよ、と過去の自分自身の優しい声が聞こえる気もする。負けるわけない。誰よりも努力してきた。誰よりも自分を追い込んで首を絞めてやってきた。全ては、あの女を転落させるため。
いつのまにか挨拶は終わっており続いてフラドのプロデューサーをやっている男が咳払いを一つしてから話始めた。
『この度は新たなドールが生まれる貴重な瞬間にお立ちあい頂き、誠にありがとうございます』
マナーがなっていることで有名なマスターたちは会話をやめ、無言で手に持っていた色とりどりのペンライトを振り始める。毎年恒例の光景だ。
『無事フラストレーション・ドール、候補生たちのパフォーマンスが終了致しましたのでこれより今回のオーディションの結果発表を始めたいと思います』
おおっと、また観客が盛り上がる。ドールたちも顔を綻ばせた。なんとなく横を向くとイラズラをした子供のような顔のつばめと目が合う。いつもと変わらない表情につられてふ、と小さな軽い息が漏れた。意味もなく背筋が伸びる。
そこからプロデューサーの男は観客に向けてオーディションは完全に運営によって結果を決めてしまうにもかかわらず候補生たちへの応援やSNS等での拡散、ライブ参戦してくれたことなどに対する感謝を述べるとドールたちの日頃の活動を賞賛し、そして候補生たちの努力を認めた上で『今回のオーディションで選ばれたのは……』と続けた。
ママ、パパ、見てて。あたしが勝つよ。これからはもっともっと親孝行するからね。柊南、あんたが同じステージにいてくれたらよかった、と思う。ほんとだから。つばめ。あんたと関わったこの期間、悪くなかったと思うよ。どうかアイドルを諦めないで。
目を閉じ、一度深呼吸をして目を開けると眩しいほどのライトの海が目に入った。この先も、ここからこの景色を見る。何度だって見てやる。そのために、生きてきたんだから!
『今回のオーディションで選ばれたのは、番号XX番 夕川 ツカサさんです。おめでとうございます』
再びおおっと、観客が盛り上がる。今度はどよめきも混じった声がうねるようにしてホールに響き渡った。ドールたちのきゃあっという短い歓声、選ばれなかった候補生たちの辛そうな嘆息もすぐ後に聞こえてきた。
ほら、見て!あたしが、あたしが勝った!あたしが正しかった!これで、やっと……やっと、やっとあの女をころせる!
ぱっと目の前が広がって見えた。ツカサは確かに思った。この火を灯りに、照らされた行く末は明るい。安心とやり切った気持ちと期待と興奮で体が浮くほど軽く感じた。
観客たちもその結果に一喜一憂しているようだった。ツカサは勢いよく肩を組んでくるつばめを適当にあしらいながら可哀想なものを見る目で花和の方を横目で見た。
『おっと、大事なことをもう一つ忘れてました』
プロデューサーの男が、わざとらしく咳き込んで『今日は発表がもう一つあります』と続ける。ホールはまた、おおっというどよめきと歓声で埋め尽くされた。もう一枠合格にでもするのか、とツカサは余裕の顔でそんなことを考える。ならつばめも合格するだろう。間違いない、と自身の感覚を決して疑わなかった。柊南がこの場にいないことは残念だったが、柊南の分の自分が頑張ろうと決意することにした。
『去年から加入し、活動してくれていた朝美花和さんですが、この度フラストレーション・ドールから所属を替え、彼女には今回受かった夕川ツカサさんと新しくユニットを組んでいただきます。そちらの方もぜひ応援よろしくお願いします』
続