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問題③

 学食で安上がりな昼食を片付けたハルとまどかは、前期試験の日程を見るために正門前の掲示板で足を止めていた。周囲には似たような目的の学生が大勢おり、その人波が引くのを待っていたハルの耳が自分の名を呼ぶ声を二つとも拾えたのは運の良いことであった。


「ハル!」

「ハル?」


 さらに言うなら、多くの学生に埋もれるハルの姿を二人が見つけたのはさらに運が良かった。

 もっとも、結果として周囲の注目を一身に浴びることになったことは、その運の良さには含まれないだろうが。一瞬だけ遠のいたざわめきに、ハルは声の主を探して視線をめぐらした。


「あ、修吾さん…と、りーくん?え、何で二人が」


 一緒に居るようにハルには見えた状況だったが、どうやら修吾がハルを呼んだ声に、たまたま居合わせたリヒトが反応したというのが実際だったようである。

 リヒトと修吾は、微妙な表情でお互いを見やっていた。


「…」

「…」


 沈黙を破ったのは、ハルの視界の外からの声であった。


「リヒトくん!お待たせ」

「あ、」


 リヒトの腕に手をかけた女の子に、全員の視線が集中した。

 それに少し戸惑ったのはリヒトだけであり、注目を集めている当人はそんな周囲をあえて無視しているとしか言えない態度でリヒトの腕を引いた。その仕草も、リヒトの取り巻きとまどかに称される女の子のステレオタイプだと言える。


「遅れちゃってごめんね、急ご?」

「うん。ハル、」

「ハル、今日は幸崎サンとこ行くんだろ?迎えに来たぜ」

「こんにちは。修吾さんも行くの?」

「おう。一緒に行くだろ」


 その断定的な口調に新鮮さは感じつつも、特に逆らう理由もなかったハルはこくりと頷く。


「こいつ、もらってくぜ」


 修吾がリヒトやその連れの女の子に当てつけようとしていることはハルにも分かっていたが、そうしようとする原因がハルを庇うためなのだとしたら少し見当外れだとも思った。女の子の感じの悪さに関しては修羅場にさえならなければ良いと思うことにしているし、リヒトに至っては疚しいことがあるとも認識していないから当てつけだとも思わないだろうからである。

 それでもその企みに乗ったのは、そうすることでむかむかしているだろうまどかの溜飲が少しでも下がればいいと考えたからだった。


「じゃあ、りーくんまた夜に。アカネさんとこには来なくていいから」

「…わかったー」


 とりあえず、ハルは果たされないだろう約束を取り消すことができて気分が軽くなる。分かっていても待ち人が来ないというのは、いくらハルといえど気分の良いものではない。

 リヒトは少し不満そうであるが、ハルが一人ではないならそこまで粘ることもしないのだ。


「リヒトくんっ」

「あ、じゃあ気をつけて」

「ん」


 きゅ、とシャツを握ってリヒトを急かした女の子は、例に漏れずハルに優越感の滲んだ一瞥を投げてからリヒトに可愛らしく微笑む。それは、リヒトをめぐる女の子たちによるルーチンワークともとれる一連の流れであり、今さらハルが憤るほどのものでもない。もちろん気持ちの良いものではないが。

 引っ張られるように遠ざかるリヒトを、ハルは軽く手を振って見送った。


「で?」

「え?」


 不機嫌さを隠しもしないでハルに詰め寄る修吾と、それに全く心当たりのないきょとんとした表情のハルは数秒ばかり見つめ合う。

 そこそこ高いヒールを履いているハルと修吾の顔は、案外と近い。

 互いにかみ合っていないその光景は、まどかの目にはひどく滑稽に映った。


「何そのコント」


 まどかが呆れたように突っ込めば、大人の余裕を取り戻した修吾が自己紹介さえしていなかったことに気づいて笑う。


「…ハルの友達か?俺は佐藤修吾、修吾さんでいいぜ。コイツ分かってねぇみたいだから聞くけど、まさか今のムカつく優柔野郎がハルのオウジサマなわけねぇよな?」

「はは、そのマサカですよー。名刺のヒト?予想以上に色男で驚かされましたわ」


 修吾の笑顔に、まどかは一瞬だけ見惚れ、そして楽しそうに笑い返した。

 そんな様子を見て、ハルはぼんやりとこの二人は似た者同士だと確信する。そして、もし二人が揃ってリヒトを攻撃しようとした場合に自分がリヒトを守ることは難しいだろうことも確信した。


(せめて見守ることくらいはしよう…)


 ハルが消極的な中立を決心している間にも、修吾とまどかのアンチ・リヒトという共通認識は深められていった。そこにハルが口を挟む隙は、なかなかなかった。


「褒めてんの?サンキュー、アンタ名前は教えてくれねぇの?にしてもやっぱりか、いけすかねぇ」

「はじめまして、ハルの友達そのいち堂島まどかでっす!王子は修吾サンとは根っから反りが合わなさそうですよね」

「ぜってぇ合わないね。一生無理。よってハルは俺がもらいたいんだけど」

「あー、それ賛成。いっかい痛い目みないと治んない病気だと思うんで」

「まどかとは気が合いそうだな」

「光栄です」

「…りーくんイジメる相談?」


 ようやく発見した話の切れ目に、ハルはぎりぎりで滑り込んだ。

 あまりの盛り上がりに圧倒されていたハルにしては、かなり頑張ったカットインである。


「お。ようやく喋ったな」

「二人とも自己紹介長いよ」

「ハルの自己紹介は短かったな、そういえば」

「どんなです?」

「名前と所属のみ。まぁそれでもココで会えたんだから良いけどな」


 修吾のセリフに、ハルはそういえばどうやって修吾がここに現れることができたのかという疑問を失念していたことに気づいた。アカネが詳しいプロフィールを無断で修吾に教えるはずもない。

 アカネの店に行くという情報があったとはいえ、広い大学構内においてハルを探し出すことができたのは偶然に過ぎるとハルは改めて驚いた。


「修吾サン、結構ハンターなんですね」

「ま、今時の草食男子ってのではねぇな」

「ははは」

「…そろそろアカネさんとこ行きたいんだけど、いい?」


 午後の講義を知らせる鐘が鳴っていた。

 アカネに告げていた時間はおおよそのものだったとはいえ、すでに予定時間を過ぎていることに鐘の音で気づいたのだった。今さらとはいえ、なるべく急がなくてはとハルは時計を確かめる。


「お、悪ぃな」

「じゃあ私はここで」

「まどかさん来ないの?」

「ここで邪魔するほど野暮じゃないっつの」

「まぁ、またの機会にな」

「はーい、これからの展開を楽しみにしてます。じゃね、ハル」

「任せとけ」


 ひらり、と手を振ったまどかは図書館の中へと消えていく。

 その去り際に残した笑みは少し悪戯めいており、修吾の応えとともにハルにほんのり嫌な予感を与えたのだった。

 そして、残った修吾はそんなハルを面白そうに見ている。

 そんな視線に眉を顰めることで応えれば、あっけらかんとした笑顔を向けられた。


「初デートだな」

「は?」

「本当ならどっか連れて行きてぇけど、今日は車だかんなぁ…メシ、幸崎さんとこでもいいか?」

「いや、家で食べる」

「自炊?もう用意されてんの?」

「そういうんじゃないけど」


 先ほどのリヒトの様子を思い出せば、リヒトの言っていた呼び出しが早々に終わることはないと分かる。となれば、今夜の食卓は自分ひとりになり、その仕度はハル自身がやるのだから用意されているはずもない。


「なら奢るから付き合え」

「…自分で出す」

「付き合ってくれるってことだな」

「ン」


 ハルの持って回った言い方にすんなりと応えた修吾に、ハルは少しほっとして、そんな自分の子供っぽさにかすかに笑った。

 奢られることは好きではなく、誰かと食事をすることは嫌いじゃないが少し緊張するのだ。


「はは、イイコだ」


 わしゃわしゃと頭を撫でる修吾の手は意外にも柔らかくて優しいもので、ハルはその手を払うのが一瞬遅れた。


(アカネさんとは違うのに嫌じゃない。でも、なんでだろう?)


 そしてそんな自分の感情を、少し不思議に思う。


「…やめてください」

「あぁ?幸崎さんは良くて俺はダメってこともねーだろ」

「強引」

「褒めてんの?」

「…」

「無視すんなって!ほら、行くぞ」

「え、」

「車だっつっただろ」


 門から少し離れた路上駐車された車は左ハンドルではないものの、有名な外国産車であった。

 紺色という地味な塗装ではあるものの、普通のセダンよりひと回り大きく重厚な印象に、ハルは少しだけ乗り込むのを躊躇する。リヒトの家が裕福とはいえ、ハルはどちらかといえば庶民的な金銭感覚で生きてきており、さらにはあまり乗ることのない助手席というものにも少し緊張を覚えたのだ。

 そんなハルに気づいたのかどうかは定かではないが、修吾はごく自然な動作でドアを開けてハルを助手席に座らせた。エスコートされる気恥ずかしさにハルの表情はますます強ばるが、修吾は楽しそうに笑っており、ハルは居た堪れないような気分でようやく礼を言った。


「どうも」

「ドウイタシマシテ?」


 ふざけたような修吾のセリフにむっとして、そしてようやく肩の力を抜いた。


(変なひとだけど、嫌いじゃない)


 ハンドルを握る修吾の楽しそうな横顔に、ハルはつられるように少し笑う。

 そして、甘やかされているのに嫌じゃない自分を自覚して、ぱちりとひとつ瞬いたのだった。

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