英国は今日も騒がしい
イギリス某所、今朝もダルクの家からは紅茶の香りが漂っていた。彼はこの街一帯でも有名な探偵、通称『能天気ホームズ』。その名を知らない者は誰もいない。故に彼は自らを“名”探偵と名乗っている。
「ああ、今日の紅茶もいい仕上がりだ」
ダルクはベランダから街を見下ろしながら紅茶で喉を潤す。と、その背後でドン! と扉が蹴破られる音が鳴り、子供のような高い声で誰かが叫んだ。
「ちょっとダルク! アンタ一体、家賃何に使ったのよ!」
「おやおやこれは、キャシーじゃあないか」
「呑気に言ってる場合? これ、ポストに入ってたわよ」
怒鳴りながら入ってきたのは、金髪サイドテールの少女、キャシーだった。ゴスロリのような黒いドレスを身に纏うその姿はどこかのお姫様のよう。
しかしこれは単なる趣味であり、今はダルクの助手兼お世話係をやっている。
そんな彼女の手には、630ポンドもの請求書が握られていた。日本円にして約6万。しかしダルクはその請求書を見ても特に驚く様子はなく、紅茶をゴクリと飲み干した所で「あ」と一言呟いた。
「全部使っちゃった。なんて言ったらしばくわよ!」
「今日、僕の誕生日だ」
あまりにも素っ頓狂な呟きに、キャシーはつい宣言通りダルクを殴った。しかしダルクは特に気にする様子もなく、深刻そうな顔をして息を吸い込んだ。
これは事件の予感、キャシーも息を呑む。
「全部使っちゃった」
そう言った瞬間、キャシーは飛び上がり、ダルクよりも高い位置から鉄拳を食らわせた。
「ただでさえ家賃滞納してるのに、何にお金使ってるのよ!」
「そうは言っても、僕だって人間なんだ。何もしてなくても腹が減るんだ仕方ないだろう」
「確かにそうだけど、アンタ一日にチップス何食食べてるのか分かってるの?」
「一日、10食かな」
「そうよ、食べ過ぎなの! 本当、それでよく細身を維持できるわよね」
キャシーは子犬よりも大きな声でダルクを怒鳴りつける。しかし、当のダルクは全くと言っていいほど反省の色はなく、呑気にお腹をさすり出した。
このままではなけなしの金をチップスに変えてしまう。それを恐れたキャシーはすぐさま、玄関の前に立って道を塞いだ。
しかしそんなキャシーなどつゆ知らず、ドアが勢いよく開いてキャシーは潰されてしまった。そして、床とドアの隙間からペラペラになったキャシーが出てきた。
「大変よダルク、ウチの猫がどこにも居ないの! 昨日まではちゃんと家に居たのにどうしましょう!」
やってきたのは、ダルクの住む借家の大家だった。彼女は愛猫が居なくなったことで酷く取り乱していた。それは足元のカーペットとなったキャシーに気付かないほど。
「あの大家さん、キャシーのこと踏んでますよ」
「それよりも早くあの子を見つけないと、もし死んじゃったりしたらどうしましょう……」
落ち着かない大家に、ダルクも釣られてあわあわし始めた。そこでキャシーは自力で立体に戻り、後ろから大家を宥めようとした。が、驚いた大家から肘鉄を喰らってダウンしてしまった。
そして、二人とも落ち着かない様子でダルクと大家は厳重なキャシーバリアを突破してしまった。
「ごめんよキャシー、代わりに昨日の調査記録を頼んだ」
ダルクは最後に言い残して、街の中に姿を消してしまった。
「……全く、訳がわからないんだから、もう」
それからしばらくして。キャシーは調査記録書を作るため、タイプライターで文字を紡いでいた。うるさい主が居ない静かな部屋の中、カタカタ、チーン! という音が響いていた。そこには紅茶の香ばしい香りが漂い、日差しもいい味を出してまさに「ロンドンの朝」と呼ぶに相応しい光景を描いていた。
が、正直キャシーはこの仕事に満足していなかった。何故なら彼女、本当はダルクの事が好きなのだ。
遺体と出会おうが、猫に引っ掻かれようが、調査とは全く関係ない仕事が来ようと、彼女にとってはダルクと一緒という事実だけでお腹いっぱいだったのだ。
最初はただ純粋に、細身で面倒を見ないと死んでしまいそうというお節介心だった。今もそうだが、最近はそのお節介とは別に恋愛的感情も芽生え始めた。
それなのに今は、良くも悪くも有名になったばかりに仕事も増え、同行する暇が減りつつある。
どうにかしてまたダルクと一緒に居られないか。まだヘボ探偵として警察から腫れ物扱いされていた頃に戻らないか。そんなことを今日も考えながら報告書を作成していた。
「――以上でこの件の報告を終了する。 6月30日……って、あ!」
と、その時だった。この日付にキャシーは目を丸くして驚いた。同時に、今朝のダルクの言葉を思い出した。
『今日、僕の誕生日だ』
(そう、そうだったじゃない! あの忘れん坊め、どうせ依頼中に今朝のことも忘れるかもしれない。ならば好都合! 盛大に祝って、顎を外してやるわ!)
その真実に辿り着くと、キャシーは嗜虐的な笑みを浮かべ、早速買い物の準備に取り掛かった。
「見てなさいダルク! 私を一人にしたこと、絶対に後悔させてやるんだからっ!」
時刻は午後3時。キャシーは街中の雑貨店を巡り、ダルクの誕生日を祝うためのグッズを買い漁った。
蝋燭、高い紅茶、クラッカー、そしてプレゼントのネクタイピン。残るはケーキのみとなった。
(そうね、どうせなら3時から始まる1日4個限定のショコラケーキでも買ってやろうかしら)
キャシーは頭の上に電球を輝かせ、ケーキ屋に向かった。
しかし、彼女の目の前にあったのは――
「本日のショコラケーキは完売しました……」
「ふぅ、危なかったわ〜。さ、すぐに帰らないと」
完売の看板と、最後の一個が入っているであろう箱を持ってウキウキ気分な大家の姿だった。遅かった。限定ショコラはもうそこにはない。
一瞬膝を付きそうになったが、キャシーは数センチだけ留まった。
どうせならは、あくまでどうせ。何も絶対と決まったものじゃあない。
「チョコケーキでもいっか」
キャシーは気持ちを切り替えて、限定ではない方のショコラケーキを買った。
何とかケーキを買えたキャシーは、悪そうな顔をしながら帰路に着いた。後は部屋の飾り付けをして、帰ってきた時のリハーサルをするのみ。
「ダルクが顎を外す姿が目に浮かぶわ……」
と、喉元まで来た笑い声を押し殺していたその時。
「おやキャシー? 奇遇だね」
聞き覚えのある声に、キャシーは押し殺した笑い声を悲鳴として爆発させた。その声はまるで、尻尾を踏まれた猫のような声だった。
「だ、だだ、ダルク⁉︎ ねねね、猫はどうしたの?」
「猫? それならほら、僕の懐が気に入ったみたいでね」
ダルクが言いながら猫じゃらしを胸元で振ると、シャツの間から黒猫が顔と腕を出した。
大家が探していた愛猫だ。
「その子、どこにいたの?」
「ああ。それが僕のチップスを盗もうとした所を、偶然見つけてね。いやあ、これぞまさしくチップスしか勝たん、という奴だね」
「は? 意味がわからないんだけど」
キャシーはこの時、葛藤していた。このままダルクと留まって話をするか、それともすぐダルクの家に帰るか。目先のものか後のことか、二つに一つの選択を迫られていた。
が、すぐにキャシーは決断を下した。
(話もしたいけど、きっとこの籠について何か言われる。そうしたら全部台無しになるわ。それだけは、それだけは絶対にダメ! 計画は完璧にこなす。それが私、キャシーの使命なのよ!)
「とにかく、私忙しいから。遅く帰ってきてね」
「え? ああ、うん」
少し戸惑いはしたが、ダルクは納得して首を縦に振った。
さあ、これで心置きなく計画を遂行できる。キャシーは自信満々にダルクに背中を向けた。がしかし、その時事件が起きた。
「きゃっ!」
隙を突かれ、黒衣の男に籠をぶん取られた。顔は見えなかったが、誰がどう見てもそれは引ったくりだった。きっとキャシーを一国の姫と勘違いして襲ったに違いない。
当然、キャシーは一瞬何が起きたか分からず硬直したが、すぐに状況を把握して男を追った。
しかし体力差で男に勝つことは出来ず、キャシーとの差はぐんぐんと開いていった。
「待って! それには私の大切なものが入ってるの!」
キャシーは残った体力を消費して叫んだ。しかし、男はそんなの知るかと言わんばかりに止まらなかった。
もうダメだ、全部台無しだ。キャシーの膝は着いた。しかしその寸での所で、ダルクに手を引かれた。
「ダルク?」
「すまないキャシー、この子頼んだよ」
ダルクは猫をキャシーに託すと、陸上選手よろしくのスタートポーズを取った。そしてどこからか聞こえてくるスタートシグナルの合図と共に、ダルクは走り出した。
彼の走りは技術的にも体力的にもキャシーより優っていた。が、それでも男との差を縮められなかった。そして、舞台は人混みの中へと突入する。
この時点で、キャシーはもう絶望していた。あんな中に入られたら二度と戻ってこない、と。
しかしダルクは諦めず、必死に追いかけ続けた。そして、大きく息を吸い込んで、今までにない声量で叫んだ。
「止まれーーーっ‼︎」
すると、人混みの流れが一瞬にして止まり、ほぼ全ての人がダルクの方を向いた。ただ一人、例の男を除いて。
と、その時。突然男の前に蛍光色のベストを纏った人達が現れた。
「ご苦労なこったな、現行犯逮捕だ」
なんと、蛍光色の人達は警官だった。ダルクは警官から引ったくられた籠を受け取ると、それをキャシーに渡した。
「ダルク、一体何をしたの? ただ叫んだだけじゃない」
不思議に思って、キャシーは訊いた。するとダルクは名探偵のように額に指を当てながら言った。
「突然知らない男から止まれ! って怒鳴られたら、普通は驚いて止まるだろ?」
「そうね、ビックリするし」
「でも悪い奴は、止まらないのさ。捕まるなんて御免だからね」
その例えに、キャシーは納得した。同時に、ダルクの頭の良さを実感した。が、まだ彼女の気持ちは晴れなかった。
「あ、もうこんな時間。いいダルク、ちゃんと遅れて帰ってくるのよ!」
と、何はともあれ家に到着したキャシー。しかし彼女の心は未だ沈んだままだった。何故なら、籠の中のケーキが酷いくらい崩れてしまったから。
おまけに蝋燭も激しい揺れの中で折れてしまい、キャシーの思い描いたサプライズ計画は台無しになってしまった。
「こんなの、ダルクに渡せない……」
途方に暮れたキャシーはそっと箱を閉じた。これは明日、自分で食べようと。
「あれ、それケーキ?」
「うわぁっ! ダルク、遅く帰ってきてって――」
振り返ると、ダルクが帰ってきていた。しかも彼の手には、ケーキの箱があった。
「ああこれ? 大家からのお礼さ。君にあげようと思ってね」
大家のお礼。それは紛れもなく、限定ショコラだ。
「それ、僕の誕生日ケーキだろ?」
「え、あ、でもこれは――」
キャシーは慌てて自分の箱を隠そうとした。が、ダルクは先の事件から推察して、笑顔を見せた。
「形はどうあれ、君の気持ちは変わらないさ。ありがとう」
彼のその言葉に、キャシーは感極まって泣いた。
「あれ? 僕、なんか言った?」
「べ、別に。泣いてなんかないわよ。もう」
バカ。心の中で呟いて、キャシーはお茶の用意を始めたのだった。
今作を書くにあたって
まず今作の話を書いた理由なのですが、前回の作品とほぼ同じように「大逆転裁判」のイギリスに感銘を受けて、イギリスが舞台の話になりました。同時に、探偵という設定もまたアノシャーロック・ホームズから取っています。(因みにアノシャーロックは大逆ネタです)
次にキャシーとダルク。キャシーは処女作のコピー記に登場したキャラの名を借りつつ、姿はまんまメアですありがとうございます(?)。そしてダルクは、完全新規なのですがキャラクター性は完全に大逆転裁判のホームズを意識しました。本編をやった方はわかってくれると思うのですが、彼ってのほほんとしながらも助言や真面目な時はちゃんと単刀直入に言う所がもう、カッコイイんですよ! それなのに推理が半分近くガバガバな残念なところがあるのですが(汗
最後にチップスなのですが、これは本場イギリスの「フィッシュ&チップス」という料理で、名前の通り魚とポテトを揚げたものです。これもまた大逆の登場人物である「グレグソン刑事」の好物でして、食べたいなぁと思いながら取り入れました。ですがこの作品みたいに、猫に揚げ物は間違ってもあげないように!




