ss ここにもまた一人
二周年記念&90万ヒットお礼ssです。
リスクード城の東塔。半壊した西塔から移設されたフィスフリークの仮執務室は、本日も滞りなく執務を行っている。
先日の兄弟バトルやけたたましい怒号もなく、沈着と書類に向かっている部屋の主と補佐の女性が忙しなく書類に目を通している状態が継続されている。実に良いことだ。
書類をまくる音と、さらさらと羽ペンを滑らせる音だけが唯一の音源で、不気味なほどに静かな室内。これが本来のものだとしても、あまり似つかわしくないと思ってしまうのは、彼の普段のキャラのせいなのか。共に執務に励む女性、エフィナでさえその落差には苦笑をこぼすほどだ。
しかしこの主は、こうして真面目に取り組みさえすれば素晴らしい統治力を発揮するのに、どうして普段はああも掴みどころがない性格をしているのか。エフィナには少し読めない。
彼が飾らずにそういう性格だということはエフィナ自身、もう長い付き合いであるから分かっている。だが、それはなおタチが悪いだけだ。彼が根本から気まぐれで、至極厄介なひねくれ者だと証明しているようなものなのだから。
そのためエフィナは、この彼に気に入られてしまった少女が憐れでならない。本人もそんな自身の境遇を半ば諦めているらしく、事の成り行きを遠い目で眺めているようだが、彼の強行の数々を知るエフィナとしては、なるべく早く解放してあげたいものだと思う。
だが、そう思う一方で、彼女に興味がまったくないわけではない。
強烈な印象の見た目。とくにルティハルトでは神にも等しい存在の双黒や、彼女が持つ独特な雰囲気と、卓越した巫の力。普段はそう強く力を感じないが、高度な術をこともなげに易々と使用し、その使い慣れた様子から相当な修練を積んでいることはすぐに窺い知れた。最初の威風堂々とした立ち居はもちろん、臆することなく荒ぶる竜族と相対する勇士の姿は、いまだに鮮やかに思い起こすことができる。それはエフィナだけでなく、あの場にいた全員がそう感じているはずだ。
とにかく、彼女の存在はエフィナやリスクードの城の者たち、たとえ竜族とのあのシーンを見ていなくても、彼らに強い衝撃を与えたのは間違いない。これではフィスフリークでなくとも引きとめている。
さすがの彼の根回しというか、その行動の早さで彼女の容姿が必要以上に明るみに出ることはなかったが、これが大々的に明らかになれば大騒ぎになるのは確実だろう。そもそも双黒の出現自体が約140年ぶりなのだ。前回の『神の使途』と呼ばれた双黒の者は男性だったが、彼の成した偉業の数々はこの国の主に宗教や政に大きな変革をもたらしたと歴史書に記載されている。
彼は普通の人間だったとされているが、あの少女は巫師でもある。彼女の行動次第では、前の『神の使途』を上回る革命をも引き起こせる可能性があるということだ。
それに、エフィナはただそれだけだとは思っていない。
たとえ彼女が双黒でなかったとしても、あの息を飲むほどに整った容姿や、人を簡単に寄せつけない神秘的な雰囲気はとても魅力的だ。本人にその意思がなかろうと自然と人を惹きつけるだろう。そしてその魅力が、この国の国王にも効いてしまったことは彼女とって災難なことだが、エフィナたちにとってはとても幸運なことなのだと思う。
しかし、強すぎる光は転じて人心を狂わすこともある。私利私欲のために利用される可能性もやはり高い。そういった表裏一体の剣が彼女自身を、さらには国をも脅かすことになる危険性を考えると少し不安にもなる。が、幸か不幸か、彼女はそういった処世にもなかなか長けているようで、フィスフリークたちが庇護するよりも早く何らかの解決法を編み出すかしてのらくらと御してしまいそうだというのが、ここ数日彼女と巫術の技術交換会を通して得たエフィナの彼女に対する感想だ。
そして、いつぞやかフィスフリークが言っていたように、彼女は本当にルティハルトに変革をもたらす人物なのではないかということも、薄々だが少し考えるようになった。
「――………」
先日王都への同行を余儀なくされたここにはいない不幸な彼女のことをつらつらと思っていると、いつの間にか彼女の主がこちらを凝視していることに気がついた。
「珍しいな。考え事か?」
「……いえ。申し訳ございません」
「別に悪いことではないよ。それに、そなたは働き過ぎだ。私の方もちょうどキリがいいし、そろそろ休憩にしよう」
会話中でもフィスフリークの手は止まらない。集中している時の彼は本当に普段とは別人だ。
すっかり動きが止まっていた手元の羽ペンを置き、エフィナは微苦笑する。そして返答をするべくその淡い唇を少し開いた。
「そうですね。フィスフリーク様も本日は珍しく働き過ぎでいらっしゃいますから」
「ふ…、ひどいな。これでも執務にはいつも真面目に取り組んでいるつもりだけれどな?」
「だとよろしいのですが」
「これは手厳しい」
ため息交じりの返答に苦笑をこぼす。淀みなく文字を綴っていた手がようやく止まる。
「まあ、それについては深く追求しないでおくよ。ひとまず休憩にしよう」
んー、と伸びをして固くなった体をほぐす。首や肩をまわしたり、腕を抱えて軽くストレッチする。これは普段から彼がしていることだ。
しかし、それを終えた彼が、次に取りだした奇怪な物体は、エフィナも最近目にするようになった。
「さっそく実行されているのですね」
「ん? ああ、そうだね。おかげで最近は疲れが出にくくなったよ」
そう言うフィスフリークの目元には、それを覆い隠す細長い物が乗っている。それを知らない者が見ればたしかに奇怪な物体かもしれないが、このリヴィルにも熱っぽい時、額に氷嚢やタオルなどを乗せる習慣がある。これはその延長線上のようなものだと言えなくもない。
額ではなく目元を冷やす物。そう。アイピローだ。
氷嚢とは逆に、目元は温めた方が疲れが癒える。そのため、いま彼が目元に乗せている物は巫術で温められている。
「何だろうね。ユーナは少し世間知らずなところがあるけれど、時々妙に面白い知識を知っているから不思議だな」
執務やそれによる睡眠不足で常に目を酷使するから、目元が疲れて嫌になる。と以前、愚痴をこぼしたフィスフリークに、アイピローの存在を教え作ってくれた由那のことを思い出して自然と笑みが浮かぶ。
ちょっと世間知らずでズレていて、時には彼らを驚かせる行いをするところもまた、フィスフリークが彼女に興味を持つ要因の一つになりつつある。
抜け出すどころか、どんどん深みにはまっているとは由那自身気づいてはいまい。たとえ本能的に察知していても、ある意味蛇よりもしつこい彼からそう簡単に逃げ切れるわけがないのだ。
「ユーナ様もお気の毒に」
「うん? 何か言ったかい、エフィナ」
「いいえ。少々憐れに思っていただけです」
「憐れ?」
「あなた様はもちろん、私にまで興味を持たれてしまったあの幼い彼女に」
エフィナの言葉の意味を理解した途端、意味深な表情で笑うフィスフリークの目元からアイピローが落ち、深い青色が露わになる。
机にとどまらず、ぽとりと床に落ちたそれを拾うどころか顔まで俯き加減になり、一体どうしたのかと様子を窺うと、伏せた金色の髪がかかる肩が若干震えていることに気がつく。
「ふっ…く、くくっ!」
「?」
「エ、エフィナ。確かにね、彼女は悪い大人に気に入られた憐れな存在かもしれないよ」
「ええ、そうでしょう」
「で、でも彼女は、くくっ……」
ついには机に突っ伏して声を上げて笑いだしてしまった主を、訳が分からないと怪訝な表情で見つめる。しかし、こんな風に笑う彼は久しぶりに見た気がする。
「どうなされたのですか?」
聞きたくはないが、ここは聞かねば先へ進めない。どうせロクでもないことを考えていると当たりを付けたエフィナは、少し冷めた目で主を見つめる。
冷淡な視線にも臆することなく、ほんの数分前の真剣さはどこへその。フィスフリークは破顔して答えた。
「いや、私も十分驚いたのだけれどね。ええと、二日ほど前だったかな。私とウィラと彼女の三人でお茶会をしていたのは知っているか? そなたがセテとの定期連絡便の手配で離れていた時の」
「はい。存じております。たしか、厨房を貸し切ってユーナ様自らお料理を作られたのだとか」
「そうそう。キャロフシュ…だったかな。クルド皇国の田舎料理らしいけど、素朴でどこか懐かしい味がして、とてもおいしかったよ。エフィナ、そなたも帰還した時に食べただろう? 料理上手で器量もいいし、彼女は良妻になれるだろうね」
「ええ、風の巫師との定期便采配を終えた後にいただきました。ユーナ様のお手は貴族の令嬢とそう変わらない玉のようにすべらかな肌ですのに、自ら料理をされると聞いた時は驚きました。ですが、フィスフリーク様。少々話がずれておりますけれど?」
口々に彼女に対する感想を述べるが、はっとして話の方向性が別のところにすり替わっていることを指摘する。
「わかっている。べつに故意に逸らしたわけではないよ。今のはちょっとした本音。つい言ってしまうこともあるだろう?
まあ、それはいいとして。その時にユーナがね、言ったんだよ」
「言った、とは?」
「私やウィラ、その場にいた使用人たちですら驚愕に動けなくなるような爆弾発言を」
意味深に口元をつり上げるフィスフリークに、エフィナは眉間にしわを寄せる。彼女は由那にも負けず劣らず整った容姿をしているが、普段から無表情かこういった顔しかしないため、あまりその美貌が発揮される時がない。実にもったいないと思うが、彼女にその顔をさせているのは他ならぬフィスフリークであるので、指摘しても反論されることが目に見えている。
とはいえ、そのスタンスを崩すつもりはないが。と、そんなことを思いながら、エフィナの様子を満足そうに見やると彼は再び口を開いた。
「実はね、エフィナ。ユーナはああ見えてもウィラよりも年上なんだよ」
「……は?」
「そなたは今年19だったかな? だったら、彼女とは2歳違いになるね」
にこにこと語るフィスフリークを呆然と見つめる。それを見る限り、彼が嘘を付いているとは思えない。
「ほ、本当に?」
「そ。17だって」
まるでイタズラが成功した子どものように満面の笑みを浮かべるフィスフリークは、とても満足そうだ。
「え…、え、17…なのですか? あの姿で?」
「ああ、本人がそう言っていた。ユーナも苦笑していたよ。ウィラなんか『本当か!?』なんて立ちあがって大絶叫してたからね。前に滞在していた町でも13、4くらいに見られたってため息交じりにこぼしてたよ。まあ、無理はないけれどね。私も彼女に実年齢を告げられるまではそれくらいだと思っていたし」
「ええ、私も13くらいかと思っておりました。ですが、17…ですか」
あんぐりと開きっぱなしの口元に手を当て、それ以外の言葉が思いつかないといった様子で一人ごちる。先日、由那に話を聞かされたフィスフリークも同じような様子だった。
「まあ、見た目の割にしっかりしているなとは思っていたけれどね」
「え、ええ。それは確かに、私も思っておりましたけれど……」
まさか同年代、だとは。と、未だ茫然自失気味のエフィナを見、フィスフリークは微苦笑をこぼす。
「そういうことだから、エフィナ。あまり子供扱いしては駄目だよ」
あの聡い彼女のことだ。ここ数日のエフィナの態度で、すでに自分が周囲にどう思われているのかは知ってしまっているだろうが、彼女の実年齢を知ってどう行動するかはやはり大切なことだ。
主の指摘に、珍しいほど神妙に相槌を返す。数日の己の態度を反芻し、しばし反省しているのだろう。
「確かにそうですね。改めなければなりません」
「まったく。真面目だな、そなたは」
ふう、と少々呆れたように見やる。
「……と、エフィナ? 何をやっているのかな?」
「何と申しますと?」
「仕事を再開しているように見えるが、私の目の錯覚かな?」
「いいえ。再開しておりますが」
「私は休憩だと言っていたんだけれどね」
「何を申されますか、フィスフリーク様。もう十分休憩なさったではありませんか。私は真面目だけが取り柄の人間ですので、怠惰なことはいたしません」
先ほどの嫌味の報復だと言わんばかりに微笑む。エフィナのこういう時の笑みは、一層輝いて見える。
まったく似た者主従であるが、彼は決してそれを肯定したりはしないだろう。
その後、二、三言い合いを続けた結果、今回は執務に精力的なエフィナが珍しく主を説き伏せたらしい。というのも、約6時間後にぐったりした様子で執務室から出て来た彼を、侍女が目撃したのだそうだ。