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彼女の本気と俺のウソ  作者: 山岡希代美


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4/6

4.見せつけられた本気、気付かされた本音



 翌日の放課後、化学準備室の椅子に座って待ち構える俺の元に、堤はやって来た。

 彼女は俺の前まで歩み寄ると、真っ直ぐに見つめて口を開いた。


「先生、周期表、覚えてきました」

「そうか。先に一つ訊いておきたい。おまえは俺の答を聞いて、どうするつもりだ?」

「何も。先生の気持ちが知りたいだけ」

「分かった。間違ったまま先に進んだり、3秒以上止まった時は、そこで終了だ。準備が出来たら始めて」


 堤はひとつ大きく息を吸い込んで、中空を見つめたまま周期表の暗唱を始めた。


「水素、ヘリウム、リチウム、ベリリウム……」


 俺は目を閉じ、頭の中の周期表を、堤の声に合わせて辿る。

 まるでリズムを刻むように、規則正しく淡々と、彼女のよく通る澄んだ声が、午後の静かな教室に響き渡る。

 やがて周期表が終盤に近付いて来た。ここまで堤は一度も言い淀むことなく、淡々と暗唱を続けてきた。このまま間違えずに、最後まで言って欲しい。そう思うと、自分の事のように鼓動が早くなる。

 たとえその後、彼女を傷つける事になっても、堤の本気を見てみたかった。


 あと4つ。


「……ラドン、フランシウム、ラジウム、アクチノイド」


 暗唱が終わり、室内に静寂が訪れた。俺は目を閉じたまま、しばらく余韻に浸る。

 どれだけ一生懸命に努力したんだろう。堤の化学の成績からすれば、昨日帰ってから初めて覚えようとしたはずだ。宿題があったかもしれない。他の授業だってある。時間はそれほどなかっただろう。

 堤の努力と成果に、抱きしめて祝福してやりたい衝動に駆られる。だが俺は、これから彼女に、心ない答を告げなければならない。

 今分かった。自分が何のために、堤に難題を突きつけたのか。俺は堤に抱いてはならない感情を抱き始めている。

 堤が他の生徒と同じように、疑似恋愛を楽しんでいるだけなら、自分を制して今まで通りに接する事が出来るだろう。しかし堤の本気が確認できたら、俺から遠ざけようと思ったのだ。俺がマチガイを犯さないように。

 目を閉じたまま黙り込む俺に、堤が不安そうに声をかけた。


「先生? どこか間違ってた?」


 俺は目を開き、堤を見据える。


「いや。完璧だったよ。よく頑張ったな」


 そう言って少し微笑むと、堤も嬉しそうに笑った。そして早速、対価を要求する。


「じゃあ、先生の答を聞かせて」

「あぁ。はっきり言おう。俺はおまえの想いに応える事は出来ない」


 堤から笑顔が消えた。


「あたしが生徒だから? じゃあ、生徒じゃなかったら?」

「仮定の話をしても意味がないだろう。実際におまえはこの学校の生徒だ。おまえが俺に何か期待しているなら、諦めた方がいい。俺は教職を棒に振るつもりはない」


 再び室内に静寂が訪れ、互いに見つめ合ったまま少しの時間が流れた。

 俺が帰るように促そうと口を開きかけた時、いきなり堤が抱きついてきた。そして俺の唇に自分の唇を押しつけた。

 すぐさま俺は、堤の両肩を掴んで突き放し、椅子から立ち上がった。


「やめろ! 何考えてるんだ!」


 堤は縋るような目で俺を見つめる。


「どうしたら、先生の側にいられるの?」

「もう、俺の側に来ない方がいい。帰りなさい」


 冷たく言い放つと、堤は俺の手を振りほどいて、駆けだして行った。

 開け放たれた出入口を見つめ、俺は力なく椅子に座った。

 堤の触れた唇に手を当てる。キスと呼ぶには、あまりに幼くて不器用な口づけを思い出し、クスリと笑いが漏れた。


「下手くそ……キスも知らないのか」


 精一杯背伸びをしている堤が、かわいくて、おかしくて、笑いが止まらなくなった。

 堤の屈託のない笑顔、物怖じしない真っ直ぐな好意、そして今見せつけられた一途なひたむきさが、俺に向けられる事は、もう二度とないのだろう。

 あの眩しい笑顔が、俺と共に秘密を抱えて、かげるのを見たくはなかった。



Copyright (c) 2008 - CurrentYear Kiyomi Yamaokaya All rights reserved.


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