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彼女の本気と俺のウソ  作者: 山岡希代美


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1.きっかけは俺のウソ?



 朝から元気な声で挨拶をしながら、夏服の生徒たちが、三々五々と校門をくぐり抜けていく。

 俺は校門の脇に立ち、挨拶を返しながら、彼女たちの服装、持ち物、髪型などを抜け目なくチェックする。今日は朝の抜き打ち風紀検査、彼女たち曰く通称”門立ち”の日だ。

 月に数回、不定期的に、教員数名が校門の内側に立ち、やって来た生徒の風紀検査を行うのだ。

 教員は外から見えない位置に立っているとはいえ、先に通過した生徒がスマートフォンで知らせるので、チェックに引っかかる生徒はあまりいない。遅刻してきた生徒が、遅刻を注意されるくらいだ。チェックそのものよりも、生徒たちへの牽制の意味合いが強い。

 俺の勤務するこの学校は、私立の商業女子高校で、中学生が高校受験の時、滑り止めとして受験する高校だ。そのため、学力は他校に比べ、高いとは言えない。

 生徒の卒業後の進路は、商業系の短大や専門学校に進む者もいるが、大半は地元の中小企業や地方銀行に就職する。

 学力では劣るので就職試験を勝ち抜くために、ありとあらゆる資格を取らせる。そして、面接で好印象を与えるように、風紀やマナー、規律には特に厳しい。

 その甲斐あってか、取得資格が多く、愛想がよくて礼儀正しい我が校の生徒は、大手百貨店や銀行の窓口業務などの接客業で受けがいい。

 そんな就職率の高さを誇る学校では、俺の担当教科、化学はあまり重要視されていない。元々、女子高校生に好かれる教科ではないと思っている。


「きゃーっ、氷村ひむら先生ーっ」


 奇声を発して手を振りながら、数名の生徒が俺の前を駆け抜けて行った。俺は笑顔で彼女たちに手を振り返す。営業スマイルも板に付いてきた。

 担当教科の人気はないが、俺自身は全校生徒の人気者だ。俺だけではない。数学の藤本先生も、簿記の森先生も人気者だ。つまり、二十代独身男性教員は、みんな人気者なのだ。

 これまで四半世紀の人生に於いて、不特定多数の女性に好意を寄せられた経験など皆無な俺は、最初は酷くとまどい、少し嬉しくもあった。だが、事情が分かった今となっては、呼吸をするのと同じくらい、ごく自然な事と割り切っている。

 風紀に厳しい我が校は、当然ながら男女交際にも厳しい。

 放課後の校門前には男性教員が数名見張りに立ち、他校の男子生徒がうろついていたら追い払う。

 男子禁制を守るためかどうかは不明だが、学園祭も体育祭も平日に行われるため、他校の生徒はやって来ない。共働きの家庭では、親でさえ来ない事が多いのだ。

 稀にやって来た強者は「学校はどうした」と門前払いを食らわされる。

 女ばかりの空間に閉じ込められ、異性との出会いの機会を極端に制限され、恋に恋する年頃の彼女たちが、身近な若い男を相手に、疑似恋愛に走るのは当然だろう。

 そう、疑似恋愛だ。

 彼女たちの好意を本気にしてはいけない。その証拠に、彼女たちは卒業した途端、憑き物が落ちたように俺の事なんか忘れる。

 就職先で本物の恋愛を体験し、早々に寿退職する者も少なくないと聞く。

 廊下を歩けばスマートフォンで写真を撮られ、バレンタインデーには山のようにチョコレートを貰い、俺は芸能人か! と自分にツッコミを入れる。

 そして事あるごとに生活指導の大久保先生から「くれぐれもマチガイを起こさないように」と釘を刺されるのも、最早日常の一部となっていた。

 校門での風紀検査を終え、職員室に戻ろうとしていると、廊下で生徒に声をかけられた。


「氷村先生ーっ、こっち向いてー」


 俺は反射的に笑顔を向ける。どうせ撮られるなら、間抜けな顔は撮られたくない。

 すかさずシャッターが切られ、彼女は満足そうに微笑んだ。


「ありがとう、先生。大好き」

「こらーっ! ホームルームが始まるぞ。教室に入りなさい!」


 俺の後ろから大久保先生が怒鳴ると、「すみませーん」と叫びながら、彼女は自分の教室に向かって駆けて行った。


「ったく! 氷村先生も、もう少し毅然とした対応をお願いしますよ」

「はぁ、すみません」


 ブツクサ言いながら職員室に入る大久保先生に頭を下げ、俺は遠ざかる彼女の後ろ姿を見送った。

 挨拶代わりに「大好き」と言う彼女は、三年生の堤彩女つつみ あやめ。クラスは知らない。俺は彼女の担任になった事もないし、化学の授業は二年生の時しかないからだ。

 ショートカットのよく似合う、明るく元気な子で、本人曰く、彼女は写真魔だ。とにかくなんでも写真に撮りたがる。

 一度強制的に見せられたが、友達のペンケースの模様とか、ペットボトルのフタとか「かわいいでしょう」と訊かれても、返答に困るようなものが、彼女のスマートフォンの中には大量に保存されている。

 堤を個体認識したのは、彼女が二年生の時だ。俺の授業中、突然シャッター音が鳴り響いたのだ。

 授業中にスマートフォンを使ってはいけない規則になっている。だが退屈な化学の授業中に、SNSの電波が飛び交っている事くらいは想像がつく。

 それは黙認するとしても、さすがに音が聞こえては看過できない。


「今、写真撮った人、起立」


 授業を中断して声をかけたが、当然のごとく誰も立たない。

 クラス中がクスクス笑いに包まれ、チラチラと送られる視線を辿れば、容易に犯人の目星は付いた。

 俺は席表で名前を確認し、教卓に両手をついて堤を見据える。


「授業中にスマホ使ったらいけない事になってるだろう。誰だか分からないから、全員のスマホ没収」


 一斉に沸き起こるブーイングの中、堤が席を立った。俺の視線にバレている事を悟ったのだろう。


「先生、あたしです」


 ブーイングが止み、クラス中が堤に注目する中、俺は彼女に歩み寄った。


「かして」


 堤が握りしめたスマートフォンを、半ば強引に奪い取る。すると彼女は、俺の腕を掴み、必死な表情で懇願した。


「ごめんなさい、先生。もうしないから、没収しないで」


 俺はひと息嘆息すると、交換条件を提示する。


「OK。俺の出す問題に答えられたら、返してあげよう」


 途端に堤は泣きそうな顔になった。


「え、化学?」

「当たり前じゃないか」


 俺を何の教師だと思っているんだ。


「問題! 硫酸の元素記号を答えなさい」

「硫酸?」


 堤は不安げに目を泳がせた後、黒板に目を移す。そこには硫酸の化学式が書かれていた。

 少し見つめた後、彼女は項垂れて、か細い声でつぶやいた。


「わかりません」


 俺は堤の目の前にスマートフォンを差し出す。


「正解」

「え?」


 堤はスマートフォンを受け取り、目を丸くして俺を見上げた。


「硫酸は元素じゃない。元素記号なんか俺にもわからない。だから正解」


 堤に背を向けて教壇に向かう途中、背後で「よかったね、堤」という小声のエールが聞こえた。

 それを聞きながら、俺は内心大きく落胆する。

 ちっともよくないだろう。黒板に目をやりながら、そこに書かれた硫酸の化学式がわからないなんて。授業をさっぱり聞いてないってことじゃないか。そう思うと、言いようのない虚しさを覚えた。

 その日以来、堤は校内で俺のストーカーになった。



Copyright (c) 2008 - CurrentYear Kiyomi Yamaokaya All rights reserved.



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