十六話「止めるものはおらず、青年は歩く」
「どうだった?セーリスク」
「……イグニスさん」
戻ってきたセーリスクにイグニスは声をかけた。
セーリスクの表情はあまり良い物ではない。
話あっても、うまくいかなかったのだろう。
「まあ、その様子じゃあ……よくはなかったんだろ」
「あはは、泣かれちゃって話にならなくて……」
セーリスクは、笑ってごまかしていた。
それが作ったものであることが、イグニスにはばれていた。
イグニスは一番重要なことをセーリスクに尋ねる。
「今のお前の気持ちは伝えられたか?」
イグニスは、ライラックとセーリスクにはずっと仲良くいて欲しかった。
なぜなら、今この豊穣国において友人関係といえばこの二人ぐらいしか存在しなかったからだ。
少しの期間だが、ライラックとは良い友人になれた。
彼女の性格を好ましく思っているのも事実だ。
しかも彼女はマールとも会ったことがあるというのだ。
マールとも、セーリスクとも、加えてシャリテとも縁がある彼女が哀しみに落ちることをイグニス自身望んでいない。
しかし今の自分にできることは、二人の関係に必要以上に触れないこと。
あくまで彼ら自身で解消することが大事だと考えていた。
そのためには、セーリスクが自分の気持ちをしっかりと伝えることが必要だ。
「伝えました。でも……」
どうやら杞憂だったようだ。
もしセーリスクが自分の想像以上に鈍感だった。
あるいは彼が心のうちを隠すような人物であれば彼女はセーリスクのことを完全に否定するだろう。
しかし彼は、自身の心を誠実に伝えたのだ。
それならきっと彼女は受け入れてくれる。
「……次会う時には、ライラックと仲直りするんだぞ」
そういってイグニスは、席を立つ。
食事は既に食べ終わっていた。
関わっていてわかるが、セーリスクは酷く真面目で善良だ。
彼が悪意あって人を不幸にすることはないだろう。
彼が、誠意あって真面目に自身の心の内を伝えたのであれば
きっとライラックはどんなに遅くてもセーリスクの気持ちに答えてくれる。
そしてセーリスクもきっとライラックが気持ちを出すまでは待つことのできる人物だろう。
短い付き合いだが、そんなことだけは確信を持つことができる。
「店主さん。ご馳走様でした」
店を出るために、懐から食事の料金を出す。
イグニスの声に反応して、店主は店の奥から出てきた。
恐らくだが、それまではライラックと話し合っていたのだろう。
複雑な表情をしていた。
店主はイグニスから金銭を受け取る。
「……ああ。……あんたらライラックちゃんのこと……嫌いにならないでくれよ。優しい子なんだ」
どうやら店主もライラックのことで話をしたいようだった。
それは、ライラックとイグニス達の関係を心配するものだった。
「大丈夫ですよ。彼女は大切な友達ですから」
しかしそれは元から心配するようなものではない。
イグニスはこのことでライラックと縁を切るほど薄情ではなかった。
むしろセーリスクがライラックのことを雑に扱うようであれば一度心が折れるまで叩きのめすのもありかもしれない。
そんな冗談を頭の中に浮かべる。
きっぱりとイグニスは店主に向かってライラックのことを友達と発言した。
それは、店主にとって好ましいものだったようだ。
「……それならいいんだけど」
少しばかり店主の口には笑みが浮かぶ。
「あの……」
しかしセーリスクに声をかけられたことによって、少し目つきが悪くなる。
どんな状況で、どんな関係であっても、セーリスクがライラックを泣かせたことは変わりない。
店主はセーリスクに対しては、彼女の代わりに毅然とした態度をとるようだ。
彼女は問う。
一体、セーリスクは自身にどんな言葉を投げかけてくるのかという警戒をしているようでもあった。
「……なんだい?」
「次……ライラックには……会うことができますか?」
言葉には当然つまりはあった。
しかし彼は、最後の「会うことができますか」。
その言葉はしっかりと目を見つめそらすことなく彼は伝えた。
「……また来な。あたしからもしっかりと話しておくから」
少なくとも、セーリスクはライラックと真面目に触れていた。
それは評価されたようだ。
二人は、重い足取りでその店を出ていくことにした。
店から少し離れたところにある路地裏で二人は話すことにした。
どこかの露店で買ったフルーツを絞った飲み物を手にイグニスは語る。
「お前も、戦いに参加するんだってな」
その言葉には重みがあった。
それは、セーリスクが本格的に戦いに参加することへの入り混じった何かだった。
きっと彼女自身、セーリスクが戦うことを望んでいないのだろう。
守る以上の戦いは。
「……はい」
「……誘われたのか?それともお前からなのか?」
彼女は、その行為が自身によるものなのかそれとも他者によるものなのかを尋ねた。
イグニスにとってそれは最も大事なのだろう。
やはり真剣な顔は、変わらなかった。
「誘われました」
「誰から……ってそうか。お前を助けたのはプラードか」
「やっぱりお知り合いなんですね」
「……まあ、そうだな。協力関係にあるというか」
「少し意外というか、納得というか……」
イグニスが、プラードのような位の高い人物と知り合いなのは意外だった。
しかし獣王の息子としてのレッテルを外すと、彼は至高に近い武人の一人だ。
そうしてそういう強者としての面でみるとイグニスがプラードと関わり合いをもっていることはなんとなく納得できるようなものであるのだ。
イグニスとプラードが戦うような機会があったとしてもまだまだ未熟な自分では、どちらが勝つのか想像することすらできない。
いやイグニスのほうが有利だろうか。
まあ、結局が空想なのだが。
ともかく、イグニスとプラードは両者ともに【向こう側】の世界にいるものだ。
その壁は果てしなく遠い。
少し自分の中に、歪んだ黒い感情が湧きだってくる。
「……まあ、俺からしても納得だよ。お前には遅くてもいつかはあいつの目につくとは思っていた」
「……本当ですか」
イグニスは、自分の予想とは異なる言葉を投げかけてきた。
それは、セーリスクのことを認めるものであった。
セーリスクは、その言葉に少し頬を緩ませる。
「あまりこういうことは言いたくないんだけど……お前は【持ってる側】だよ」
「持ってる……?才能とか」
セーリスクはイグニスのいっている言葉の意味が理解できなかった。
生憎だが、目の前の人物に才能だとかほざかれても納得はできない。
自分は才能というものを持っていないからこそ、こんなにも強さという物に焦がれているのに。
彼女は一体自分というものになにをみているのだろうか。
「いや才能とも言い難いものだよ。ともかくそれがなければお前は前の戦いでカウェアさんと一緒に死んでた」
「…‥」
自分は【生き残った】。
カウェアは【死んだ】。
その両者を明確に両断するのは一体なんだろうか。
説明することができないのは当然だ。
説明できたとしたらそれはカウェアに対する冒涜になるとさえセーリスクは考えていた。
あの時、カウェアと自分の実力はかなり近かったがそれでもまだカウェアのほうが上だった。
しかしカウェアは殺された。
それは、イグニスですら説明できないあたり難しいのだろう。
それこそ神のみぞ知るか。
一度神に拝んでみるのも一興か。
あの世で会えるかもしれない。
その時は唾でも吐いてやろう。
「だがお前は生きてる。そうだろ。それが結果だ。その結果を噛み締めろ。生き残れるのも十分な才能なんだよ」
生き残るのも十分な才能か。
少なくとも今の自分は醜く地に張って逃げているような気分だ。
しかしイグニスはそんなセーリスクの感情を見透かしているようでもあった。
さきほどとは違って温かい言葉でイグニスはセーリスクに語る。
「お前の言いたいことはなんとなくわかるよ。でもな、強いやつはどんな形でも生き残るものなんだ。それなら、泥にまみれてでも逃げて見せろ。それも俺は立派だと思う」
「……」
この言葉に自分はどんな顔で応じればいいのだろうか。
強さを得られて死ねるのであればどこか満足している自分がいた。
きっと前の自分であれば、コ・ゾラと相打ちできれば満足だったのだろう。
しかしそれでは駄目なのだ。
どんな形でも生き残らなければ。
そうでなければ、強くなれない。
そうしてライラックにも会えない。
どうしたいのだ。
自分は。
答えが欲しい。
自分が望むままの答えが。
強くなれる。壁を越えれる。
この二問に答えられる答え。
それでは駄目なのかもしれない。
「……ともかく、プラードに評価されて戦いに加わるならお前は重要な戦力だ。よろしくな」
「はい…‥!それで…‥」
「……ああ。強くなりたいんだろ?」
「今の自分からどうやって成長すればいいのか……それを考えたときイグニスさんが浮かんで」
「……うーん。俺でもいいとは思うんだ……」
「でもいい?」
でもいいとはどんな意味なのだろうか。
むしろ今の自分ではイグニス以外に答えれる人物はいない気がするのだが。
「ああ、基本的に戦闘スタイルは俺ら結構近いだろ?でも剣の使い方というか魔法と剣術の組み合わせのイメージは違う気がするんだ」
「…‥そうですか?」
剣術と魔法。
そしてその組み合わせ。
なるほど、確かにイグニスの魔法は身体を強化することや斬撃に用いられる。
しかし自分の氷の魔法は、破壊力のある氷の剣を作る。
氷による物理的な防壁を張る。
あとは相手の拘束だったりと、イグニスとは方向性が違うのかもしれない。
「体の使い方だったり、剣の振り方戦い方、それだったら俺でも教えることができる。だけど今の君にはほかにもアイディアを得たほうがいいんじゃないかってね」
「なるほど……」
確かに、今の状態ではネイキッドに勝てるかは怪しい。
それならば、なにか小細工でもいいからひとつはアイディアを生み出すのも確実な一歩か。
魔法による体の影響は、ペトラが改善をしてくれることだろう。
それならば、なにかあの不可視の攻撃。
その隙間をつくような手段を考えなくては。
そんなことを考えていると、ある一人の人物が脳内に浮かぶ。
それは灰褐色のような髪色をした一人の少女であった。
「そういえばマールちゃんの情報は手に入りましたか?」
しかしイグニスはあまりいい情報を得られなかったようだ。
心残りのある表情で、否定をする。
「……全くだよ。一切手に入らない」
イグニスがこの戦いに臨んでいるのは、きっとマールの情報を集めるためだろう。
それなのに、一歩も近づけないとなると落ち込むのは当然か。
「見つかるといいですね」
たとえこの言葉が、誤魔化しであってもセーリスクはイグニスの心の痛みが少しでもほぐれることを願った。
それは多少なりともイグニスに届いたようだ。
「ああ……有難う」
イグニスは、セーリスクの気遣いに感謝した。
マールはどうしているのだろうか。
なぜ彼女は攫われたのだろうか。
この長い期間悩んできたが、答えは得られなかった。
イグニスは酷く落ち込んでいた。
やはりマールのことを話題に出されるだけでもあまり気持ちのよいものではないのだろう。
しかしセーリスクは自分にとって最も重大なことを話していなかった。
セーリスクはその内容をイグニスに問う。
「……最後にひとつ話したいことがあります。コ・ゾラはどうなりましたか」
それはコ・ゾラの最後。
ある程度話は聞いたが、殺したという本人の言葉を聞かなければ気が済まない。
「ああ。俺が殺したよ。仇はとった」
その顔は無表情だった。
セーリスクにはその表情の真意が読み取れなかった。
ただそれはどうでもよかった。
セーリスクは自身の憎んだ相手の最後が知りたいだけだ。
「あいつは、どんな顔をして死にましたか」
「……満足そうな顔をしていたよ。きっと幸せに逝けたんだと思う」
「……はっ」
セーリスクは、酷く侮蔑するような表情でコ・ゾラのことを笑った。
笑いは出てこなかった、ただその場をバカにするので精一杯だった。
そうだ。
自分はそんなものにまけたのだった。
「セーリスク」
イグニスは、そんなセーリスクのことを少しやさしめに叱咤する。
それは、カウェアを殺されたセーリスクの心情を考えてのことだろう。
しかしいくら目の前の彼女が、セーリスクの考えを読みとりくみ取っても事実は変わらない。
自身はあの狂人に負けたのだ。
「イグニスさんには、あいつが満足して死んだ理由が理解できるんですか?」
「……俺にも理解はできないよ。ただ……」
「ただなんですか」
自分の腹のうちから酷く冷酷な声が出た。
やはり自分はカウェアのことを殺したあの獣人を酷く憎んでいる。
そんな感情を持てていることにどこか安堵をした。
イグニスは、セーリスクの問に対して答える。
それは、きっとそうであってほしいという願望だった。
かれとはそう多く言葉を交わしていない。
かわしたのは、剣と拳だった。
だからこそ彼の代わりに答えたかった。
「あいつは、死に場所を求めていただけなんだと思う……そして俺はあいつを殺した。それで終わりなんだ」
それは、イグニスのそうであってほしいというただの祈りであった。
実際それが答えなのかはわからない。
でもそれでも、あの狂人は自分なりの道を歩んでいる中に止まれなくなった。
そうであってほしかった。
自分はそれを優しく受け止めたのだ。
それはイグニスの自分勝手な我儘な解釈だった。
「随分と身勝手な自殺ですね。そんなものはカウェアさんは巻き込まれたんだ」
「セーリスク!!」
セーリスクの暴言に対し、イグニスは怒る。
いやその怒りは思わず口から飛び出たもののようだ。
イグニスにとっても想定外のようで
セーリスクの名前を呼んだあとは、あわてて口を押えていた。
「……これ以上はあなたに失礼ですね。ごめんなさい」
「……いいんだ。俺ですらあいつの感情に付き合えていない」
二人とも戸惑いを隠せなかった。
セーリスクは、イグニスがコ・ゾラを庇っていることに。
イグニスは、自分自身がコ・ゾラという存在にどこか安らかに休んでほしいと願っていることに。
両者想定外のことに戸惑っていた。
「いいえ気にしないでください。おかしいのは僕なんだ」
やはり自分はおかしいのだろう。
そんな自嘲にセーリスクは駆られた。
そしてそんなセーリスクにイグニスは何の声もかけることができなかった。
「……」
「僕は王城に帰ります。これからお願いしますね」
イグニスは、自身の言動に呆然としながら王城に帰っていくセーリスクをただ見るだけであった。
その歩みを止めることはできなかった。




